missing tragedy

過ちて、改めざる是を何と謂う

兎の想いは天に届くか 第四夜 ★

 フィンに気持ちが知りたいと真っ直ぐに見つめられ、ルナの身体の中の血はぶわりと昂った。
 彼の告白は泣いてしまうほど嬉しかった。触れられ、口付けられたことでルナの中の想いはより確かなものへと変わった。
 忘れられなかったのも、最期に会いたかったのも、罪悪感やそれから逃れたかったからなのかもしれないと何処かでルナは怯えていた。彼への想いも本当はもう消えかけていて、繋ぎとめているのは過去への罪の意識や自分を守りたいがためのエゴなのだと。
 怖かった。でも結局再会して改めて感じてしまった。

 フィンはもうずっとルナにとって特別で、かけがえのない大切な存在で、そして……。
――駄目。それ以上は……甘えちゃだめ。
「ルナ……」
 真っ直ぐなフィンの瞳が今は恨めしかった。この瞳が近づくとルナは嘘がつけなくなってしまう。想いをはっきりと告げてしまえばおそらく自分の死後、または生涯にわたってフィンを苦しめる事になる。

 彼はルナを助けると言ってくれたが、逃げるくらいしか道は思いつかない。一緒に逃げてしまったら、捕まった時に彼も同罪になり処刑は免れないだろう。逃げ切れたとしても大きな負担をかけることは明らかだ。ルナと同じようにフィンも特別に大事に思ってくれているのならば尚更、絶対に自分の想いを告げてはいけない。
 それなのに一方で、フィンにすべて本当の気持ちを伝えて一緒に生きて欲しいと願うルナもいる。ずっと傍にいて欲しいと望んでいる。
 声を出して他に好きな人がいるのだと、またあの時のように嘘をつけば良いだけなのだ。なのに真っ直ぐな瞳とルナの儚い願いは、それを妨げようと猛然と向かってくる。

 躊躇い、迷い、数分間が経った頃、とうとうフィンが口を開いた。
「……ごめんね、ルナ。急にこんなこと言われても困るよね……」
 困ったように眉を下げ笑うと彼はぴょんとベッドを飛び降りる。弾力性のあるベッドが揺れた。
「今日は疲れたでしょ? そこで寝て。明後日くらい迄にはなんとか専用のベッドを用意するから、それ迄は僕ので我慢して」
 そう言うとフィンは扉へ向かって歩いていってしまう。慌ててルナはフィンを追いかけ、袖を引いた。
「フィン! ちょっと待っ……」
「だめ。女の子を床で寝かす訳に行かないから……だからといって同じベッドで寝る訳にもいかないし……世話になる気なら僕の言うこと聞いて」
 振り向いた彼の顔は赤く、ムスッとしている。やんわりと袖を引いた手は掴まれて止められてしまった。
――そんなこと言ったって、それこそフィンを床で寝かせるわけには……!
「でも……」
「今発情期だから!」
 諦められずに食い下がると、真っ赤な顔で睨まれる。フィンに獣耳があらわれていることを思い出し、その言葉には納得した。
 が、発情期ならば余計に床で寝かせるわけにはいかない。昔から彼はその時期になるととても辛そうだし、対してルナは健康体だ。
「……うん? でもならば怠いでしょ? 寧ろちゃんとした所で……」
「駄目。夜は特に……って言うかルナには何故か昔からとっても反応しちゃうんだ……さっきみたいなこと沢山したくなるから、絶対絶対ダメ。夜は特にダメ」
 そう訴えるように告げるとフィンは脱兎のごとく走り出した。ルナは虚を突かれ茫然としてしまう。勢いよく閉まった扉がものすごい音を立てて、そこでやっと我に返った。

 フィンは耳や頬だけでなく獣耳や目尻まで赤く染めていた。
 蜂蜜色の瞳は潤んでいて涙目だった。
 昔から発情期になるとルナに無愛想になることは知っていたが、単に具合が悪いからだと思っていた。
 時期中も時折怠そうにはしていたが、あとは異性に対しても同性に対しても至って普通に接しているフィンを見て、ルナは思い込んでいたのだ。家族のように思うが故に、甘えて具合が悪いのを隠していないだけなのだと。
「え、え……?! 嘘……!」
 顔が、身体が、燃えるように熱い。フィンの顔を、さっき言った様々な言葉をなぜか思い出してしまう。
 彼は確かに言った。最期など許さないと、別れなど認められないと、今度こそルナを助けると。

――フィン……それ信じていいの? 本当? 頼って願ってもいい?
 どこかで、誰かが囁く。
 彼は、フィン・ウィンディッシュは――。



※※※



――ルナに強く言い過ぎちゃった……というか、無理矢理キスしちゃったし、僕のアレ押し付けちゃったし、なんかすごくすごく最低な気が……!

 フィンはとてつもなく大きな罪悪感を感じながら、熱くなってしまった身体を冷ますために書斎へと向かっていた。
 小さい家なのでルナを置いて出てきた寝室以外の主な部屋はリビングとキッチン、洗面所に浴室。あと小さな物置と書斎くらいしかない。
リビングやキッチンで寝るわけには行かない。しかしだからと言って物置は狭いし物がありすぎて寝られそうにはなかった。そこで消去法で書斎になったわけだが、目的のそこに着き床に寝転がろうとして、掛け布団を持ってくるのを忘れたことに気付いた。
 引き返して取りに戻ることは出来ないので、仕方なく部屋にあったタオルを枕と掛け布団代わりにし寝転がる。

 とうとう告白したのだ。一年前にも求婚はしているけれど、あの時はまた伯爵に無理に迫られないように、彼女の身を守る為にという意味もあった。勿論それの殆どは建前で、彼女を他の誰かに取られたくないという想いや、自分の特別になって欲しいという想いが強かったのだけれど。
 顔が熱い。少しでも冷えればとタオルに埋めたものの、効果は薄い。口付けの甘さと彼女の柔らかさは、離れた今もはっきりと残っている。同時に痛々しいほどに腫れた頬も思い出して、唇を噛んだ。
――機会があったら、ルナに怪我をさせた奴に一発お見舞してやる。あの傷からしてたぶん男だし、顔でも構わないよね……
 フィンは大きく息を吐くと、忌々しいほどに昂り苦しそうにしている自身の雄を見た。
 一回吐き出さないと治まらないかもしれない。本人が同じ家に居る中でするのは背徳感も罪悪感も大きいが、いつまでも放っておくわけにもいかない。
 履いているズボンをそっと下ろし直接熱い塊に触れた。未だ自分に残る彼女の匂いを辿って掌で包む。
「はっ……あ、あっ……ルナっ……」
 手の動きを速めて口付けの感触や甘やかなルナの声を思い起こせば、達するのは簡単だった。
 手の中に広がる白くべたべたとした精を見下ろして嘆息する。吐き出し冷静になった途端、とんでもないことをしてしまったのだと実感するのだから、質が悪い。

 フィンは不快感を伴う手と欲を零してしまった床をタオルで拭きながら、他に汚してしまったところがないか僅かな月明かりの中で目を凝らした。
 億劫だが灯りをつけて確認した方が良いかもしれない。そんな風に思ったその時、不意に彼女の匂いが強くなった。
 びくりと反射的に身体が揺れる。慌ててすぐに衣服を整え、汚れたタオルは綺麗なものでくるみ抱えて寝たふりをした。
 扉のきしむ音と衣擦れの音がして、誰かが部屋に忍び込んでくる気配がする。目を瞑りやり過ごしているとふわりと柔らかな温もりを感じた。どうやらルナが掛け布団を持って来てくれたらしい。
 ところが布団をフィンに掛けた後も去る気配は訪れなかった。目を閉じているのでわからないが、じっとこちらの様子を窺っているようだ。汚れたタオルは出来たら見られたくないし、あまり近くで見つめられるのも恥ずかしい。フィンは視線から逃れるようにタオルを抱いて蹲った。
――お願い……出てって、ルナ……
 しかし願いとは逆に更に彼女の匂いは強くなる。温もりが近づいてフィンはぎゅっと目を瞑った。
「好き……」
 瞬間、吐息が耳にかかってフィンは強く閉じたばかりの瞳を見開いた。続けて頬に口付けられ、今度こそびくりと震えてしまう。ぱっと彼女の方を向くと真っ赤な頬と驚いたような瑠璃色とぶつかって、フィンの顔もまた朱に染まってしまった。
「な、なんで……フィン起きてたの?!」
「うん……」
 素直に頷くと更にルナは赤くなる。
「今のは……その……」
 フィンは弁明しようとするルナの両手首を掴んで引き寄せた。胸に広がる喜びを押さえつけて、願うように言葉を紡ぐ。
「もう一回言って……」
 もう一度、ちゃんと確認したい。きちんと確かめて頬にされた口付けの意味も説明して欲しい。ちゃんとフィンと同じ気持ちなのだと、言って欲しい。

 思い切って首筋に舌を這わせると、ルナは大きく震えた。彼女は抵抗こそしないものの、もう一度口にするつもりもないと首を横に振る。その反応にフィンは落胆したが、簡単に諦められはしなかった。
 震える彼女への嗜虐心と悪戯心も手伝って、唇を離したフィンはルナのシャツ越しに胸へと触れる。そのまま彼女を抱え身体の向きを変え、位置を逆転させた。両手を床につき覆い被さる。
「……フィン!」
「やだ。もう一度言ってくれるまで辞めない」
 咎めるような声を遮り、魔除のために袖や襟に刺繍が施してあるシャツの上からルナの胸をそっと揉んだ。首筋を舐めて、時々牙で傷がつかない様に気をつけつつ軽く噛む。
「あっ……や、ふぃんっ……」
 甘かった。フィンの手の中で形を変える柔らかな膨らみも、舐めたり噛んだりすると熱くなる滑らかな首筋も、漏れ出る艶っぽい声も。それらは堪らなくフィンを満たし、蕩けさせ、どこかで安堵させる。
 布が邪魔になってフィンはとうとうシャツを捲りあげた。真っ白な二つの膨らみが目の前に晒され、思わず喉が鳴る。抗いきれない衝動に左胸を口に含むとルナから抗議の声があがった。
「だめ、フィン……そこ、や……あんっ……」
 フィンの頭を押さえ髪の毛をぐしゃぐしゃにしながら彼女は恥ずかしがるが、心底嫌がっていないような気はする。舌で先程桃色になっていた所を軽く押し潰すと、ぷっくりとそこは主張を強め甘い香りも強まった。答えてくれたようで嬉しくなって、もう片方の胸も手で掬って頂を探す。同じく尖ったそこはすぐわかり、フィンは親指でそこを撫でた。
「あっ……あ、あっ……」
 彼女の身体が揺れて声が高くなる。

 可愛くて、堪らない。もっとフィンの手で啼いてほしい。もっとフィンだけに、可愛い姿を晒して、自分だけに見せて欲しい。
 追い討ちをかけるように口に含んだ方の尖りを軽く噛むと、ルナは喉を逸らして数度震え、くったりと脱力した。
「大丈夫……?」
 あまりにもぐったりとしているので、心配になって唇を離す。
 今のはフィンがルナを「気持ち良く」させたことの証なのだと思ったのだが、そうではないのだろうか。書物で勉強した限り、女性は達するとしばらくは疲労感にも似たものに襲われて動けないこともあるようだが、それが今のこの状況を説明するものなのか自信はない。
 フィンはこのまま続けたくて堪らない気持ちを必死で抑え、ルナの返事を待った。
「フィンのばか……」
 数秒して帰ってきた言葉に青くなる。真っ赤になって恨めし気な眼差しを向けられ、不安は肥大していった。

 もしかして、もしかしなくとも、やり過ぎてしまったのだろうか。何せ実経験のないフィンには彼女が達したのかもわからなければ、それ自体が実際どのような感覚のものなのかもわからない。
「……気持ち悪かった? 痛かった……?」
 慌てて身体を起こして、恐る恐るルナに尋ねる。すると彼女は更に真っ赤になって睨んできた。
「違うけど……ただおかしくなっちゃうかと思った……」
「ごめん……」
 それはやはり気持ち良くはなかったということなのだろうか。痛くなかったのは幸いだったが、気持ちが良くなかったのは申し訳ない気がするし、ちょっとショックかもしれない。どうしようもないことだが、圧倒的経験不足な自分にしょんぼりしてしまう。

「だからっ……フィンは勘違いしすぎ……!」
 そう告げるとルナは両手でフィンの頬を包んだ。真っ直ぐな彼女の瞳に胸が跳ねる。
「今のすごく、好きだから……恥ずかしいのにフィンにされるとふわふわするし……もっとして欲しいって……」
 続けられた言葉に、包まれた頬だけでなく身体全部が真っ赤に染まってしまった。不安はもう、消えていた。
 ルナだけじゃない。フィンもルナに触れることが大好きだし、彼女に触れられるとふわふわする。もっともっと欲しいと思ってしまう。
「そ、そっか……」
 気恥ずかしいけれど、彼女がそう思ってくれることは嬉しくて、頬が緩んだ。
「フィン……なんか会わないうちにすごくえっちになった」
「そんなことないよ! 前から……っじゃなくて」
 うっかり言ってしまった言葉にルナの目が鋭くなる。
 違う。いや、前から彼女をそういう目で見てたことは認めるが、やましいことなんかは……なくもないかもしれないが、決して彼女が思っているようなことはないと思う。
「前から……こういう事してたの? 人の胸を揉むような?」
「しっ、してないし!」
 そんなことは断じてしていない。彼女以外にそんなことをするなんてあり得ない。
 ところがルナは胡乱げな瞳を変えなかった。その反応にほんのちょっとだけムッとしてしまう。
「そうじゃなくて……ルナだから、したくなるんだけど……」
 真っ赤な頬でフィンが真っ直ぐルナを見つめると、彼女はぎゅっと目を瞑った。恐怖からか瑠璃色の睫と小さな肩は微かに震えている。抱きしめようとして伸ばしかけた手は、自然とおろされてしまった。
「でも怖がらせてごめん。さっきのは僕が悪かった……同意も得ずにあんなことするのは卑怯だった」
 情けない泣きそうな顔をしている自覚はあった。彼女の甘い匂いは依然としてフィンの理性を揺さぶり続けているし、このまま続けてしまいたい気持ちもないわけではない。わざわざ格好悪い顔で謝るタイミングとしては遅い気もするし、ここまできたならばこのまま彼女に強く迫ってもいいではないかという悪い考えも浮かぶ。

 しかしどれもフィンの本当の願いとは違う気がした。少なくとも怖がらせてしまったことは謝るべきだと思った。唇を噛んで情けない顔と震える拳を叱咤する。
「もう……だからっ! フィンはどうして……!」
 その時突然ルナが叫んだ。潤む瑠璃色がフィンを睨む。フィンは驚き目を瞬かせ、直ぐに両頬を包まれた。ゴツンと鈍い音が響いて、頭突きをされたと気づいた時にはフィンの涙は引っ込んでいた。
「たしかに勝手にするのは良くないけど、怖がってなんかないわ。私のこと守って……ずっと大切にしてくれるんでしょ?」
 真っ赤になりながら睨まれる。見上げられる瞳に一気に頬が熱くなる。おかげで間抜けな答えしかフィンは口から出せない。
「あ、……え」
 ルナにするりと指を絡められて心臓が跳ねた。
「私は二度目のも……嬉しかったんだけど」
「え、っとそれって……」
 絡む指が甘い。真っ直ぐにフィンを捕らえる瑠璃色もいつもよりずっと甘やかだ。
「だから……今度こそちゃんとフィンのお嫁さんになりたい……あと、私はフィンにはもっと沢山……触って欲しい」
 真っ赤な彼女が、求婚の応えをくれているのだとやっとわかった。待ち望んでいた、願い続けていた応えは嬉しく、しかし真っ直ぐな告白の言葉にはやはり赤面してしまう。
「あ……う、僕もそうかも……ていうかいいの……? ほんとに?」
 今になってその問いは失礼だとは思ったが、それでも聞いてしまった。二度目の求婚が急で強引だったことは自覚している。だからこそ本当の気持ちを聞きたいと言いつつも、せかされ彼女が流されて出した答えなのではないかとも不安になってしまう。それに彼女が自分を特別に好いてくれる要素が自分にあるのかも自信が持てなかった。
 その問いにルナは怒りと悲しみが混じったような瞳でフィンを睨む。
「フィンは冗談で言ったの? それとも気が変わった?」
「違う! そうじゃなくて……だってさっきまでルナは……」
「今度は間違えないように、良くない頭でちゃんと考えたの。フィンが何も考えずに気休めで私に助けるなんて言うとは思えない。あと気持ちも覚悟もなく求婚するような人でもないわ。助ける方法だって多分貴方のことだもの、正攻法なんでしょう?」
 その答えにフィンはすんなりとは頷けなかった。はっきり答えられずつい目を逸らしてしまう。
「う……うん多分……うまくはこぶつもりだけど、正攻法かと問われると微妙かも……」
 計画に狡い部分がない訳では無い。第一犯した罪を失くせるような策ではないことは確かだ。だからもっとフィンに力があれば、違う方法で助けられたかもしれない。

 でも、これが今のフィンのできる精一杯の可能性なのだ。気休めではないし失敗するつもりも、させるつもりもない。そしてルナを求める気持ちは今も昔も、未来も変わることはないだろう。
「ただ僕は、ルナとずっと一緒に居られるなら尚更……絶対やり遂げる」
 穏やかで静かな、そして何者にも侵されぬ凛としたフィンの声が静寂に包まれたその場に響き渡った。
 真っすぐフィンはルナを見る。しかし泣きそうなルナの顔が視界に入って、何かまた間違えてしまったのかと慌ててしまった。
「ルナ?!」
「好き」
 瞬間、強く抱き締められる。はっきりと告げられた言葉に、フィンの心臓がひときわ大きく跳ねた。