missing tragedy

cock-and-bull……¡

穏やかな日々の終わり ②

 「は、あっ……エリス……」
「ノ、ア……?」
「ぜんぶ、入ったよ……? エリス……大丈夫?」

 ノアの瞳は切なげに潤み、頬は赤く息は荒かった。十年以上想い続けた少女をノアは抱いている。両手を繋ぎ合い、お互いの温度を感じ合っている。
 もう死んでしまっても良いと思えるほど幸せで、意識が飛ぶほど気持ちが良かった。彼女の中は狭くて。温かくて。ぎゅうっとノアを締め付けて離さない。
 ただ、ノアが奥に進むたびに、エリスが苦しげに眉間にしわを寄せる事に胸が痛む。交わるそこからの鮮血が痛々しく、浮かぶ涙が自分のせいだということが辛い。
 それでも彼女と繋がれたという純粋な喜びと、もっと奥を知りたいという官能的な欲求と、自分をもっと受け入れ望んで欲しいという浅ましい渇求とで中断することは難しかった。

「うん。ノア……んぅ」
 エリスの言葉を飲み込むようにノアは口付ける。抱き締めながら貪るように唇を食み、口内を愛撫する。しゃらり、と胸元のペンダントが音を立てた。
「っは……あぁ……良かった、エリス。僕の……っ」
 更にぎゅっとそこが締まり、ノアは思わず呻きにも似た声を上げる。先ほど入ったばかりだと言うのに、危うく達しそうになってしまう。
「ノア……も、大、丈夫……?」

 エリスの細い指が頬に触れ、そのまま耳へと移動した。彼女に開けてもらったピアス穴をそっと撫でられ、ノアの熱い肉棒が温かい彼女の中で更に質量を増す。
「大丈夫だよ……すごく幸せで、溶けてしまいそうだけど。エリスこそ、痛くはない? 苦しいようなら、言って」
「大丈夫だよ、ノア」
 微笑むエリスの額には汗が滲んでいる。下がる眉と目尻の涙にノアの胸は一層苦しくなった。
 無理をさせてしまっていることは明らかだった。

 守りたい相手であるはずなのに、ノアが望んだばかりに苦しめている。自分の欲など抑えて今晩はもう行為を中断するべきなのかもしれない。たとえ今日最後まで出来なくても、ノア達にはこれからずっと一緒なのだ。多くの時間が残されている。
 ノアは中断することを持ち掛けようと、口を開きかけた。その時。

「すごく嬉しい……私も溶けちゃうかもしれない。ノア、ノア……」
 首の後ろに腕を回され、大胆にもノアは彼女に抱き締められる。エリスの甘い香りと、胸を焦がすような自分を求める声に胸がいっぱいになる。

「エリス……っごめん、動きたい。良い?」
 中断しないかと口から出かけた提案の言葉は閨の闇に消えてしまった。代わりにノアはまっすぐにエリスを見つめ、許可を得るための言葉を口にする。
「動いて、ノア。ノアのこともっと……知りたい」
「エリス……っ」

 初めての夜なのだから最後まで出来なくても良いなどとは、もうノアには思えなかった。
 最愛の妻に深く口付けながら、腰を揺らし始める。自らの熱い塊で彼女の隘路を優しく押し広げるように。更に奥へ届くように。ぎりぎりまで引き抜いてから、柔らかな恥毛が合わさるまで奥へ入れて。ぐちゅぐちゅと淫らな音をさせながら、ノアは何度も何度も繰り返す。

「んっ、ノアっ……あっ……あっ」
 荒い呼吸とお互いの名を呼び求め合う声、木製の質素なベッドのきしむ音が響く。交わった所から聞こえるいやらしい水音も。甘さを帯びたエリスの声も。エリスとノアを引き合わせてくれたあのペンダントが揺れる音さえも。今は甘くノアの耳を蝕む。

「っはぁ……っ好きだ、エリス……僕とずっと、……っ」
 瞬間、エリスの中で熱い欲望が弾けた。どくどくと震えながら精を出しエリスを染めていく。
 深く繋がるそこからは痛ましい色が混じった白濁が溢れていた。
 エリスの初めてを奪えたという、どうしようもない仄暗い達成感と優越感、そして彼女に無理をさせてしまったという罪悪感は計り知れない。
 しかしそれらさえも気にならないくらいに、愛する彼女が自分の全てを受け入れ、繋がり合えたという歓びは大きかった。
 エリスの初めてはノアだ。そしてこの先もエリスの最奥を知るのは自分だけで良い。ノアを知るのもまた、永遠に彼女だけで良い。エリスを満たすのはノアだけが良い。

「ずっと、一緒に居よう……本当の家族になろう」
「……うん。ノア。ありがとう」
 涙を浮かべ微笑むエリスを、ノアは包み込むように抱き締めた。瞼に口付け、鼻先、頬と続ける。
 いずれはエリスとの間に新しい家族を迎えたいと告げようとしたが、瞼が落ち始めた彼女を見て思いとどまった。
 別に起こしてまで今すぐ伝えなくてはいけないことではない。式を終えるまでは薬を使わねばならないし、その先のことはこれからいくらでも伝える機会がある。焦る必要もないし、今話してはかえって気が早いと彼女に苦笑いされてしまうかもしれない。なにより今夜は無理も随分させてしまった。
 ただ、あの事は明日にでも話すつもりだ。すぐに全てを話す事は出来ないので、今は話せる部分だけ。式を終えたら全てをきちんと。
 ノアにかかった魔法(ペンダント)のこと。この先も呼ばれることは決して無いだろう長い本名のこと。大切なもう一組の――――血の繋がった――――家族のこと。

 そして忌まわしい呪いの事を。彼女には全て伝えるつもりだ。

「エリス、一生僕に大切にさせて……」
 健やかな寝息を立て始めたエリスの唇にノアは軽く口付ける。唇を離してから急に恥ずかしくなり、彼女の首元にノアは顔を埋めた。
 締まりなく緩んでしまう真っ赤な顔を、彼女に見られなくて本当に良かったと思いながら。


 ∞∞∞


 眩しさにエリスは重たい瞼をあげた。
 原因は質素なカーテンの隙間から差し込む日の光だ。カーテンの柄には見覚えがある。毎日のように見ているが、エリスの部屋のものではない。
(身体が何だか重い……? あとすごく温かい。おかしいな……たしか昨晩もだいぶ寒かった――)
 その時首筋にノアの吐息がかかり、エリスは完全に覚醒した。眠気が一気に飛んで行く。
(そうだ、私ノアと……!)
 羞恥にかぁっと熱が集まる。恋人同士になってから一年。昨晩エリスはノアから求婚され、初めて身体を繋げて愛し合ったのだ。

 閨での行為や男性の下半身の様子について全く知らなかった訳では無い。
 しかしエリスの知り得る情報の源は医学書や淑女向けの作法が書かれた書物だけ。文字の世界と実際が同様であるわけがなかった。
 行為は想像以上に激しく、ノアの剛直の硬さや大きさ、熱さは書物に書いてある以上だったと思う。
 全身をくまなく愛撫され、ゆっくりと時間をかけて熱い愛を注がれて。エリスは夫婦の営みがこんなにも幸せで満たされたものなのだと初めて知った。

 未だノアの腕はエリスを包み込むように捕えたまま。下腹部にはまだ、いつもと違うあの感覚がある。今も繋がっているのだと知り更にエリスは真っ赤になってしまった。
「あ…………エリス。おはよう」
 瞼が持ち上がり青い瞳がエリスに微笑みかける。そのままちゅっと軽く口付けられ、エリスは真っ赤になった顔を隠すように身じろぎした。
「んっ……お、おはようノア……」
 僅かに身体を動かしたことでノアと交わる部分から温かなそれが溢れる。必死に平静を装って返答したが、ノアも気付いたのか彼の端正な顔にも朱がさした。
「ごめん。君の中気持ち良くて……。今、抜くから」

 言葉の通りゆっくりとノアはエリスの中からまだ熱く硬さを失いきってない自らの雄を引き抜く。蜜壺から中を満たしていたノアのそれと精が溢れ、寂しさにも似た疼きにエリスは赤面した。
 ノアもまた耳まで赤くさせている。あまりにも赤くなってしまった耳は、エリスが昨日贈ったピアスと同化してしまいそうだった。

「エリス、昨日はありがとう。気持ちを受け取ってくれて、僕と歩んでくれると約束してくれて……嬉しかった」
 ノアは交わりを解くと、真っ直ぐエリスを見つめ相好を崩す。幸せそうな笑みを湛える頬は未だ少し赤い。
「私こそ、ありがとうノア。これからも迷惑かけると思うけど、なるべくかけないように……っ」
 言い終わる前にノアはエリスの唇に人差し指をあてた。驚くエリスに、にこりと微笑みかけるとノアは告げる。
「かけて欲しい。僕にだけは頼って欲しい。エリスに一番に迷惑をかけられるのも僕が良い」
「ノア……」
 そっと抱き寄せられ、ノアの肌と再び触れ合う。蕩けるような熱い眼差しに捕らえられ、更に頬に熱が集まった。

「愛してる。誰よりも何よりも君が大切で、特別なんだ。だからずっと傍に居させて」
「ノア……私も、あ、愛してます。私の方こそ、その……ずっと一緒に居て欲しいって思ってる……」
 唇がどちらからともなく合わさって、離れる。照れくさそうにノアは眉を下げ笑うとエリスの耳元に唇を寄せ囁いた。
「もちろんだよ。エリスが嫌だって言っても簡単には手放してあげないから。何があっても、誰が何を言っても、この気持ちは変えられない。エリスが好きだ。誰にも邪魔させない。僕は君と絶対に幸せになる」
 穏やかな微笑みに反した、捨て猫が拾って欲しいと懇願するような切なげな声が胸を締め付ける。
 何故、そんな言い方をしたのかエリスに全てはわからない。この村でエリス達の結婚を揶揄う者は居そうだが、反対する者が居るとは思えなかった。
 ノアの他に唯一の家族である義姉のサラも、渋い顔をする可能性はあれど阻止するような真似をする可能性はないだろう。
 揺れる瞳のノアに、心配することなどないと。杞憂だと伝えようとしたその時、エリスは息を呑んだ。

「の、ノア!」
 ノアの胸元のペンダントがふわりと宙に浮き、淡い光を放ち始めたのだ。
 夜空のような深い青色はみるみるその色を明るい空色へと変えていく。小さな稲妻を携えながら、小刻みに震える。時折弾かれたように大きく跳ねて。淡かった光はあっという間に薄嫌い部屋を明るく照らすほど強くなった。
 あの時とまるで同じだった。エリスがノアからペンダントを外そうとした、あの時と。

「なんで……?」
 呆気にとられるエリスの隣で、ノアもまた目を丸くさせ信じられないとばかりに呟く。瞬間、何かが弾けるような炸裂音と共にペンダントが粉々に砕け散り、同時にノアの表情が凍り付いた。

「……まさか‼」
「ノ、ノア……⁈」
 弾かれたようにノアは飛び起き、着替え始める。

「ごめん、エリス。急用が出来た。今から王都へ行ってくる」
「えっ⁈ 今から……? ……それに村から出ても大丈夫なの?」
 ノアは村から一歩も出たことが無い。生家の事情と聞いているがその点は平気なのだろうか。
「大丈夫だと思う。僕の予想が正しければ。外れてると良いけれど。少し時間がかかるかもしれないからまた連絡する。場合によっては……いや、なるべく早く帰る。だから待ってて欲しい」

 眉間にしわを寄せ、険しい表情でノアはエリスにそう告げると寝室の扉を開けた。掛け違えたボタンからも、寝ぐせのついたままで外に出ようとしていることからも、平静さを失っている事は明らかだった。
「……わかったわ。ただ絶対に無事に帰ってきてね。自分の命を守ることを最優先にして」
 エリスは駆け寄ると、ノアの服のボタンを直し真っ直ぐに見つめる。
 きっと王都へすぐにでも向かわなければならない重要な理由があるのだ。今はおそらく聞いても答えてはくれない。もし言えるのなら、ノアのことだ。伝えているはずだ。
 ならばエリスは何も聞かずに送り出すべきである。ノアは帰ってくると言った。彼が嘘をついたことはない。
 しかし、命だけは守って欲しい。何があろうとも、命だけは。それだけは大切にすると約束して欲しいかった。

「うん。エリス。絶対に無事に帰ってくるよ。だから……帰ってきたら、君に伝えたいことがある」
 エリスはこくりと頷く。

 幼い頃から不思議に思うことはあった。
 ノアの胸元を離れない魔術のかかったペンダント。時折ノアに会いに来る商人風の男。ノアが決して村から出ないという事情。
 彼は罪人の息子なのかもしれない。或いは親戚や何者かに命を狙われるような理由がある者。たとえば何処かの貴族の妾腹や庶子など。そんな風にエリスは予想している。
 この村の孤児にそのような者は少なくない。望まれずに生まれた者、望まれて生まれたものの両親と死に別れてしまった者、諸事情で泣く泣く家族と生き別れた者。しかし皆、自分の足で道を切り開き、励まし合いながら毎日を楽しんで生きている。時には生まれで苦しむこともあるが、それでも前を向いて進んでいる。
 ノアにも何か事情があるのならば。今がそれと向き合う機会だというのならば。背中を押すべきだ。

「待ってる。だからちゃんと全て終わったら聞かせてよ? 言える範囲で」
 おどけたようにエリスはそう言うと口角を上げてノアを見上げた。
 いつの間にか彼はエリスの身長を抜いてしまった。お互いが一歳の時に出会い、共に育って十七年。時が経つのは早い。
「全部言うよ。君には全て知って欲しい。ただ、これだけは覚えていて欲しい。僕は誰が何を言おうと、エリスのことが大好きなただの『ノア(僕)』だって。決してそれは変わらないから」
「忘れるわけないわ。どんなノアであっても、貴方が大切な幼馴染みなことに変わりなんてない」
 エリスがきっぱりと告げるとノアは眉を下げて微笑み、額に音を立て口付けた。

「『幼馴染み』だけじゃ嫌だ。僕は君の夫になるんだから。ちゃんと覚えて」
 今度は右頬に。拗ねたようにキスされる。
「僕が居ない間、他の男と仲良くしちゃ嫌だよ」
 切なげな瞳が近付いて、口付けられる。下唇を舐められ、昨夜の熱い時間を思い出しエリスは頬を染めた。

「しないってば! ノアこそ、王都で浮かれて散財したり女の人に騙されたりしないようにね!」
「しないよ。君と治療院を開くのに無駄遣いなんてするわけない。それに他の女性なんて、僕がどれだけ君のことを好きか、まだわからない? 帰ったら沢山理解してもらうからね」
 最後にエリスを強く抱き締めノアは告げる。

「じゃあ! 必ず帰るから。また連絡する!」
「気を付けてよ! 絶対、絶対怪我とかしないでよ!」
 エリスの言葉にノアはへらりと笑うと背を向ける。
 だからエリスは気付かなかったのだ。彼の顔が再び険しいものへと戻っていたことに。

 そしてノアもまた気付くことは出来なかった。

 彼女、エリス・オルブライトとの一時の別れが、自分との――ノア・マリーツ・エリオット・ルイス・ファン・デル・ライとの――長い別れになることを。この時は未だ。