missing tragedy

cock-and-bull……¡

新居にて ③ 

「参ったな……」
「ですね……」
 王都の東側に位置する城の執務室では、カルロとその弟である魔術師長のジーニアスがそれぞれ眉間にシワを寄せ、ゴシップ誌の数々を睨んでいた。

【魔術界に激震‼ 悪魔払いの名家 フェルザー家の秘密⁉ 奇行には疑惑のあの方も関与⁈】
【名門魔術学院の危機⁈ 理事長の悪魔召喚疑惑‼】
【被害は甚大⁉ 魂を売った悪魔公爵の噂に迫る‼ 過去には女性問題も⁈】

 当然、数々の見出しは根拠のないものだ。
「どうする? 放っておくか?」
「噂は噂ですからね」
 ジーニアスの言葉にカルロは俯く。
 多くの貴族が存在する中で、現在この国では五つの家がそれぞれ大きな力を持っている。
 人望厚く武芸に秀で、歴代将軍の八割を担うエクヴィルツ家、変わり者だが有能な文官や世界に名だたる学者を排出するオルコット家、斬新な考えを持ち商才に長け経済界でも絶大な力を持つベルムバッハ家、古くから芸術分野を通して外交に取り組み、複数の国際機関の理事を務めるリンデンベルク家。
 そして魔力量や魔術に長け、高名な魔術師を多数輩出するフェルザー家である。
 五大貴族の中では一番、歴代当主が総じてまともだと言われているのもフェルザー家であり、建国草創期からの王家との関連も深い。
 かくいうカルロ達の母アメリアもフェルザー家に縁し、現当主ロッシュ・ファン・フェルザーの従姉妹でもある。

 数日前から複数のゴシップ誌に取り上げられ、瞬く間に広がったとある噂。ロッシェの弟、エーミール伯爵が悪魔に取りつかれたとの噂ーーーーはいまや王都中に広がっている。
 記事の内容は少しずつ異なり、三兄弟間の王位争いと関与しているとの某所関係者の証言や、エーミールが理事長を務める国内最大の魔術学院を含む複数の魔術関連施設では三兄弟の指示の下に悪魔研究が進められている等々。情報源をぼかし、見てきたことのように詳細に書かれている。

「しかし言われ放題ですね。『カルロ公の差し金か?』だの『仲間割れの末の報復⁈ 二人の怪しげなカンケイは三年前から……?』だの。感嘆符を付ければ事実でもなく、主張や誹謗中傷とも異なるとでも思っているんでしょうか。まあ女性問題に関しては当たらずも遠からずですがこの書き方では……エーミール卿も憤ってらっしゃいますかね」
 愚痴なのか嫌味なのか疑問なのか。ジーニアスの物言いはいつにも増して刺々しい。カルロ自身も同意見だけに反論もし難い。

「そうだな。とにかく噂は仕方ないとしても、出所と目的は探るべきだろう。この際フェルザー卿だけでなくエーミール卿の様子も」
「”戻し薔薇”に給金の値上げを要求されそうですね」
「ああ。また皮肉を言われそうだ」
「余計な仕事も頼むからですよ」
 びくりと肩を揺らした長兄をジーニアスは見逃さない。やはりまだ続けているのかと嘆息し、彼の嘲りを隠しきれていない満面の笑みを思い出した。
「ノアにも伝えておきます。調査も終えている頃でしょう」
「ノアか……大丈夫だろうか」
 顔を曇らせる心配性の兄にジーニアスは肩をすくめる。
「平気ですよ。ノアは決めた事はやる男です」

 ○○○

 明け方の空の端で黒ツグミが鳴く。
 腕の中で健やかな寝息をたて眠るエリスの茶の髪を撫で、ノアの眉間から皺が消えた。自然と緩んでしまう頬を必死に引き締め、ノアは後ろ髪を引かれる思いでベッドから起き上がると着替え始める。様子を見られるように隣室との間の扉を開けたまま、音もなく書斎の机へと向かった。
 机の上の書類には――――ここらでは名のある家具店、寝具専門店、化学薬品卸商会等の名が並ぶ。諸々機関への礼状をしたため、ノアは大きく伸びをした。
 朝日がカーテンの隙間から差し込み、エリスが休むベッドに一筋の跡を印している。その様を見て、ノアはうめき声ともため息とも取れる声を出しながら顔を覆い机に突っ伏した。

「ああ……何やってるんだ、」
 もちろんそれは己への戒め、恨み言である。
(いつもならもう起きている時間なのに……! やっぱり無理をさせすぎた……⁉)
 がばりと顔を上げ、立ち上がり。しかしすぐに己の欲を……彼女の傍に行きたい欲を必死に抑え椅子に座った。
 エリスは未だ深い眠りの中。目覚めた瞬間は絶対に傍に居るつもりだが、一方でやらねばならぬ事も山積みだ。

 ノアは大きなため息を吐くと何事かを呟いた。左手の上で青の光が弾け、青の光の箱に入った色とりどりのそれらが宙に現れる。昨日採取した七色の石たち。この先の為にも、魔鉱石の解析だけはしておかねばならない。
 色、形、質感に始まり、大きさや重量、成分分析と魔力反応による分別。時間経過と洞窟からの距離、室温等の環境。それから色別、種類別の魔鉱石同士の反応、ノアの持つ魔力との相性。研究所に転送する前に調べておきたいことは沢山ある。
 もう片方の手でノートを取り出し、一つ一つ記録していく。
 彼女がノアを支えたい、相応しくなりたいと思ってくれていたように。ノアの想いもまた――――。

 
『おい』
 光の箱が揺らめき、低く冷たい、それでいて妙に艶のある声が響く。ノアは振り向くことなく「何?」と応えた。
『菓子がもう無いんだが』
 まるで子供のような言葉に含まれる僅かな違和感に、封書の宛名を書いていた手を止める。
「……何かあった?」
 ナールは薄い唇に微笑をたたえ、肩を竦めた。その場の空気が一変し、朝日に白む室内には凡そ不似合いな叫び声達が鼓膜を逆撫でしていく。
『これは報酬が足りないって事だよなぁ?』
 首に現れた二重の光輪をナールはつまむ。一つは手枷と同じ鈍色。そしてもう一つは深い深い青。
『せめてどっちかは外したいんだよな』
 にやりと悪魔が嗤う。
 ノアは努めて眼差しを鋭くして。少し早いな、と内心苦笑する。
「僕は解除方法を知らないと……」
『今は、予想くらいはついてるんだろ?』
 暫し逡巡して、徐にノアは呟く。
 隠し立てしてもいずれは知られてしまう。それにそんな事は些細な事だ。
「もう少し動いてくれれば検討しても良いよ」
『焦らすねぇ。で?』
 不満そうな声音ながらも、一応は納得したのかナールは先を促す。

「ベークマン、それとバルト閣下に接触する」
『なんだ、使いっ走りかー。そうだ! 揺さぶっとくか?』
「やめとくよ、今回は」
 嬉々として提案する悪魔に、唇の端を上げノアも嗤った。
『果たして次回なんてあるのかねぇ』
 ニヤニヤ笑いの悪魔を一蹴するかの如く。
「八割に達し次第、フェルザーとエーミール卿を動かす。お前の力を使わせて貰う」
 ノアの冷たく重い言葉が室内に木霊し、ナールに纏う叫び声達が呼応するように騒ぎ始める。
『ははっ。二割残れど、哀れな獣が苦しまぬうちに、か?』
「よく言うよ。既に遅い事は君も知ってるだろう?」
 好物のアップルパイを目の前にした時と同様に。悪魔は無邪気で艶やかな笑みを深めた。

○○○
    
 遠くで聞き馴染んだフクロウの鳴き声が重なり、エリスは覚醒の縁に近付いていった。
 体は重いが、頬を擦る温かく滑らかな感触は気持ちが良く、柔らかな匂いと焼きたてのパンの香りは懐かしい。ゆっくりと瞼を開ければ、瞳を細め微笑するノアが目に入った。
「ノア……」
 見えてるままに名前を口にし、艶めいた表情で「おはよう」と返事を返されて数秒。鼻の先が触れるほど近い距離と、きっちりと締められているはずの襟元から覗く鎖骨に気付き、徐々にエリスの意識は明瞭になっていく。
(あ……わ、私……!)
 同時に昨晩の甘く濃密な情交を思い出し、頬に熱が集まる。
 昨晩は前回同様どころか、それ以上に丁寧に時間をかけて愛撫され、隅々まで見られ、あらぬ所を舐められ。まるで会えなかった時を埋めるように激しく求められた。
 ノアが用意した薬も手伝ってか、互いに絶頂を迎えた後も熱は冷めず、益々欲を煽られるばかり。羞恥心と乱れる自らに戸惑いながらも幾度も欲を受け入れ、互いに気持ちを伝え合っているうちに寝てしまったらしい。
「エリス、体はどう? 起き上がるのが辛いようなら、昼食を持ってくるよ?」
「大丈っ……」
「僕が心配だから、持ってくるね」
「……ありがとう、ノア」
 あまりにも彼に甘え過ぎではとの思いもあったが、覚えのある腰の鈍い痛みにエリスは素直に肯いた。
 既に着替えたノアの背中を見送る。生々しい傷跡の数々を思い出し、エリスは深く深呼吸した。
(ノアを忘れるなんて絶対にしたくない。でもどうやったらナールさんに認めて貰える? ”見定める”と彼は言ったわ。”納得する応えを示せ”とも……彼が納得する応えって……? もう少し彼の事を知らないと……!)
 九十日と残り時間は長くない。ノアと約束した調査も疎かにしたくない。今日や明日のように休日や半日勤務日ならば洞窟への行き来も可能だろうが……。
 エリスはそこまで考え、ハッとする。
「いけない……! やだ、私っ……まだ間に合うかな……」
 治療院開院に向けて、明日、医師・看護師派遣協会の担当者と会う約束をしていたのだ。
 慌ててエリスは着替え始める。

 まずは一旦ローエ家に帰宅し担当者に連絡。約束のキャンセルと謝罪、立ち消えとなってしまった旨を説明し、丁重にお礼を伝えねば。場合によっては後日訪問し伝えるべきかもしれない。
 他にも既に見積もりや特注の相談をしてしまった備品会社への謝罪や、発生したキャンセル料の支払い、治療院な土地権利関係の行方も早急事案だ。
 村の皆の顔が胸を過ぎる。皆、この小さな村に治療院が出来ることを楽しみにしてくれていた。エリスだからと相談を受け、協力する事を約束してくれた人もいる。

「はぁ……結局は私、ノアが帰ってきて浮かれてたんだ……」
 今更ながら、自身の愚かさにエリスは肩を落とす。
 思えば具体的なこの先の話をノアとは殆どしていない。洞窟でとの話だったが、悪魔や呪い、国王夫妻の不審死の話などですっかり忘れてしまっていた。
 ノアは治療院についてどう思っているのだろう。再会した時に彼は確か自分にも手伝わせて欲しい、と言っていたような気がするが、それはエリスが治療院を開くという夢を今でも応援してくれている、と都合良く受け取って良いものなのだろうか。
 親身に相談に乗ってくれた協会の担当者、治療院開院を心待ちにしてくれた村の人々、祖父思いのジウの笑顔。走馬灯のようにエリスの脳裏に記憶が蘇る。
 真実を伝えれば村の皆は落胆はもちろんのこと、軽蔑し嫌悪するかもしれない。信用も失うだろう。だがそれはエリスが耐えれば良いだけの話である。

 問題はこの村の医療体制が乏しいままだという事だ。
(……やっぱり治療院をつくりたい)
 ノアに反対されるかもしれない。またエリスとノアが望んでも、資金的な問題や法律の問題は残り何年先になるかもわからない。だが無理だという理由が考えればいくらでもあるように、可能であるという道も必ず幾つかはあるはずだ。
(洞窟では聞きそびれちゃったけれども、治療院の事をノアに相談しよう。私一人の考えでは狭いもの……! 皆には改めて……って言うのも手間を取らせるから、さりげなく……まずはお店に来た人に事情を話して謝って、あと担当者の人と備品関連の企業に通信を入れたら、お詫びの品を見に行く前に書庫で法律関係も少し調べてみよう……)
 鈍く痛む腰に僅かに羞恥を覚えながらも、それが逆にエリスの目を現実に向けさせている。彼が傍に居るのだと思うだけで、こんなにも心強い。

「私、やっぱりまだ浮かれてるかも……」
 ノアに対しての絶大な信頼――――でほとんどの曖昧な事柄を信用たり得るものだと判断している。それは危険で、本来ならばベークマンの時のような轍を踏まぬよう警戒すべき事なのに。
 たとえ第三王子の妻になろうとも、オルコット家の養子になろうとも、ミニアムに住む一村娘であり続けようとも。エリスがやるべき事は決まっており、願うものが変わる事もおそらく無い。
 果たしてそう思わしめるものは有頂天になる己の愚かさ故なのか、彼だからなのか。エリスには判断がつかなかった。