missing tragedy

cock-and-bull……¡

恋か愛か、欲か願いか ②

  昨晩エリスと深く交わり、尊く濃密な時間を過ごしたノアはローエの屋敷を訪れていた。

 澄んだ空には雲ひとつない。
 甘い朝を過ごし、エリスから受け取った二日酔いに効く薬湯を飲み干し、昼食の約束をして。そこまでは不安や懸念よりも、どんな困難があろうと絶対に成し遂げるという決意の方が大きかったものの。
 屋敷を出てからその比率は逆転してしまった。

 淡い色の美しい花を見て爽やかな風が吹く林道を下っても、当然のように屋敷に入っても。ノアの足取りは軽くならない。
 力量不足を感じているノアにとって、彼女の事を想えば想うほど己の信じる最善だろう方法を推し進めて良いものか不安になっていく。
 いつもならば見逃すはずのない男の気配に気付かなかったのも、ずっと下を向いていたからだった。

「やあ。こんな所で会うとはね」
 慌てて普段の自分が浮かべる微笑を作り、突如始まった寸劇に付き合う。
「近くに来たので、義姉に挨拶をと思いまして」

 彼の金の瞳は抜け目なく、飄々とした雰囲気や合間に見せる爽やかな笑顔は初めて会った時から変わらない。彼の本心が一体何処にあるのかは、未だにノアにも知り得ない。
(屋敷内は特に魔法の効力が強いのに……。エリオットさんの流儀なのか、警戒か。慎重な彼なら両方かもしれない)

「今日はあいにくの天気ですね、フリーダー卿。昼頃には獲物の話がしたいと、猟師が言ってましたよ」
 乱れる心を落ち着かせるように、わざとのんびりとした調子でノアは窓の外を見た。偽名で呼ばれたエリオットもならい、分厚いガラスの先へと視線を移す。

 煌めく午前の日差しは眩しく、青々と生い茂る草木を照らしている。
「へぇ。猟師もお天道様には勝てないね。ところで彼は昼までに、獲物を捕える準備をするのかな?」
「人捜しを……魔術師を探すみたいです。猟とは別に個人的な案件だとか」
「……そうなんだ。彼に伝えといてよ。時は金なりってさ。忙しいんだよ」
 ニコリと微笑むエリオットにノアも微笑する。受けるのは構わないが詳しい指示を出すなら迅速に、彼はそう言いたいらしい。
「伝えておきます。ところで、今日は義姉(あね)に何か?」
「別に? でもそろそろ帰るよ。怖いお方に睨まれちゃうから」
「……すみません」
 一呼吸おいて。ノアの口元に苦笑が浮かぶ。エリオットの言わんとすることに対して、謝罪の言葉しか思い当たらなかったからだ。
「ノア君でも気をつけた方が良いと思うよ? あいつ、お姫が絡むとやばくなるからさ」
 自らの頭を指先で軽く叩くエリオットに、ノアは「はい」と眉を下げ応えた。酷い物言いだが、事実とそう大きくは違わない。
 優しく争いを好まぬ兄が冷静さを失い、過激な行動に出るのは、いつだって義姉が関わる事柄だ。
(調査を許して貰う為に利用したけれど……さすがに誤解はされてない……とは思うんだ)

「じゃあ」
 ひらひらと手を振り、エリオットは去っていく。その背を見送り、ノアは客間へと戻る歩みを再開させる。
 三百年前に生きる深窓の令嬢と二人きりになるならばいざ知らず。現代において、互いに恋愛感情を持たぬ姉弟のような男女が部屋で二人、仕事の話や世間話をしただけで誤解されるなど珍しく……。

(……もないのか?)
『刺されたら骨だけは拾ってやるよ』
(ありがとう。恩に着るよ)
 脳内に話しかけてくる悪魔に、ノアは失笑しながら扉を開けた。

「ノア」
「サラ姉、ごめんね。待たせたかな」
『よっ! 久しぶりだな!』
「っ……! どういう事⁈」
「まあまあ、手短に済ますから……」
 ノアが宥めるとサラは大きなため息を吐き、椅子へと座る。姿を現したナールは大人しくノアの後ろに続いた。
(今日は約束通り、後ろで見ててくれる?)
『はいはい、刺激しねーよ。すげぇ不機嫌じゃん……折角の再会なのによォ……』
 ナールの予想に反して。そしてノアの予想通りに、サラは難色を示している。
 萎れた様子の悪魔にサラは気付く様子もなく、真下の床を指さしながら艶やかなダークブロンドをかきあげた。
「で? あの男、どうするの?」
 不快さを素直に表していた美しい顔から感情が消え、隙のない金の瞳がノアを射る。

 あの男とは昨晩保護した商家の次男、フェリクス・ベークマンの事だ。彼の処遇と今後については今日ここでサラと相談し、決断しなくてはならない。
「同行して貰おうかと。僕の代わりに」
「はぁ?」
 余程納得いかなかったのか。令嬢らしからぬ声を上げ、サラは眉をひそめる。
「……貴方が言うなら従うけれど。足手まといになったら、黙らして良いのかしら?」
 彼女らしい荒っぽい案にノアは苦笑し許可を出す。信頼を置いての許可である。

「それから……」
 深く息を吸い、ノアは一息に告げた。

「エリスも計画に組み込む事にした」
「えっ、ちょっと待ってよ。エリスは一般人なのよ?」
 フェリクスの時とは打って変わって、サラは引かない。
(知ってる……僕だって、できることなら巻き込みたくない。でも……)
「万が一でも、サラ姉なら二人を守れる。参加者も五十人弱なら……」
「屋敷に居る人間がどうして参加者だけなのよ! 私みたく訓練も受けてない、特別な魔法も使えない。殺気も嘘も、男の下心でさえ全く気付かない子なの! 気付かれたらいいカモ……って貴方……」

「僕の代わりになり得るでしょう? エリスなら」
 自分でも驚くほどに、乾いた唇から冷たい声が出た。

 殴られるとノアは覚悟していた。それ程の事をノアは世話になった義姉のサラに提案している。そして愛するエリスにも、全て伝え、願うつもりだ。
 危険を承知で囮となり、敵陣に飛び込んで欲しいと。
 少なくとも両頬と頭は差し出すつもりで衝撃を待っていたノアに、頭上から大きなため息と。
「…………理由は?」
 先を促す冷酷な声が続いた。
「……まずエリスが代わりに出席すれば僕が動ける。エリオット君一人よりは助けやすくなる。それに万が一サラ姉の素性が知られていた場合……」
「ないわ。伝わっていても、落ちぶれた騎士の娘くらいの認識よ」
 言い切るサラに、ノアも断言する。
「うん。だからちょっとお転婆なオルコットの縁者だと知られていたら、もう少し回りくどい方法で接触してくるかもしれない。少なくとも僕が相手だったら警戒する。まずは絶対に監視対象でないエリスを利用してサラ姉の自由を奪って、陛下からの使者らしき僕の利用も考える。魔法がちょっと使えるだけの文官なら都合も良いはずだ。その為にも、すぐにはエリスに危害を加える事はしない」
「……ばらまき過ぎじゃない? そんな美味しい話」
 サラの言う通りだ。全て把握されずとも、何かあるとは思われるかもしれない。しかし。
「薄々気付いていたとしても、男爵家だ。リスクを差し引いても有り余る。乗ってくる」

 晩餐会を主催する男爵家の内情は調査済みだ。世間知らずな男爵夫人の浪費により、男爵家は火の車。妻を止められぬ男爵は、エーミール卿と特別に親しい関係にあるバルト卿にどうにか取り入ろうと必死だ。
 それに必要な情報はもう幾つか流してある。
「なら、対処法は? まさか私だけが保険、なんて馬鹿な事考えてないでしょうね?」
 ノアは首を振る。床を見つめたまま、サラを正面から見据える事は出来なかった。
「もちろんそこも手は打つ。抑え次第、僕も行く」
 本日何度目かの深いため息に続いて、ドサリと椅子に腰を下ろし直す音が柔らかな日差しの指す室内に響いた。
「もう……今度こそエリスを傷付けたら、事情があろうと容赦しないから」
「ありがとう、サラ姉」
「どうせエリオも乗り気なんでしょ?」
 問いには答えずにノアは困ったように微笑む。
「……それから…………申し訳ない」
「なによ? 改まって」
「これからもお世話になるから?」
「気持ちの悪い疑問形ね……」
 胡乱な眼差しを向けるサラにノアは微笑み返し、真っ直ぐに金の瞳を見つめた。

「どうかエリスを……お願いします」

 そのまま頭を下げ、ノアは瞳を閉じる。既に声に震えはなく。噛み締めた唇からは何度も味わった残酷な紅が滲んでいた。


 ○○○

 
『おい、いくらエリオットでも指示出さねぇと。指輪の魔法、解けない奴が来たら意味ねぇだろ』
 珍しくも、背後の悪魔から先を案ずるような声が上がる。ノアは歩みを緩めることなく淡々と答える。
「もちろん出すよ。でも、今はこっちが先だ」
『どこ行くんだよ』
「君が予想している通りの場所」
 絶句したような息遣いが背後から漏れ聞こえた。そんなに意外でもないだろうと、ノアは頭の片隅で悪魔と己を嘲笑う。
 頻繁に使われるようになった為か、山道は幾分か歩きやすくなっている。暗澹たる心の内とは裏腹にそよぐ風は心地良く、山道に落ちる木漏れ日は美しい。見上げた先には、ぽっかりと口を開けた洞窟が居座る。

「外して欲しいんだろう? それ」
 振り向き、ノアは薄く嗤った。揺らぐ深く暗い青に悪魔はゴクリとつばを飲み込んで、唇の端を上げると肩を竦める。
『どうせタダじゃねぇんだろ?』
「もちろん」
 再びノアは歩み出す。

『どうせならこっちの灰色の方を頼みてぇな』
「どうして?」
『そりゃ……まあ、綺麗な方を残してぇから、じゃねぇの?』
「……」
 悪魔は首を傾げながらも答えを示す。
 暗く、先の見えない洞窟へと一人と悪魔は迷うことなく入っていった。


 ○○○


 他方、王都。フェルザー家の屋敷で。当主のロッシェが四角い顔を顰めながら、エーミールの前の机上に複数のゴシップ誌を投げ捨てた。
「どういう事かわかるな?」
「さあ。有象無象がくだらない事を書き立てたところで、フェルザー家が何を恐れましょう?」
 エーミールは率直に事実を述べる。

 年の離れた腹違いの兄はエーミールにあまり似ていない。四角くがっしりとした体躯のロッシェに対して、エーミールは背が高く、青白い細面と合わさってか骸骨のようだと言われている。若い時分は女にちやほやされる事も珍しくなかったが、それも今はない。寡黙で時折朗らかな笑みを見せる美男子は、いつしか無愛想で時折世界を嘲笑うかのような笑みを浮かべる偏屈男になったからだ。
 四十も半ば、魔術師仲間や魔法研究とも距離を置き、エーミールは未だ独り身。当然の如く、以前より更にも増してエーミールに『フェルザー家当主の弟』を求める人間は増えている。
 ふてぶてしい弟の態度は兄の怒りを増幅させたらしい。かさついた額に青筋を立てると、神経質そうな唇に皮肉げな笑みを浮かべながらエーミールを睨んだ。

「お前の悪趣味については口を挟まん。だが、フェルザーの名を汚す事はするな。今は特に大事な時期なのだ。フェルザーの命運がかかっている」
 大切な時期だの家の命運だのくだらない、そう言いそうになるのを堪え、エーミールは「わかりました」と似た笑みを返す。
「……お前、まさかとは思うが、このくだらない噂を流したのはお前か?」
「なぜそんな事を! それこそフェルザーを良く思わない輩の差し金でしょう。兄上の醜聞となれば波風がたちすぎますが、至らぬ弟の噂ならばどうにでもなると高を括っての事ですよ」

 エーミールはうそぶく。実際、自分は噂を流してなどいないし、流す意味も無い。また噂を流した者の真意など知りようもない。
 エーミールが家を貶めるならばもっと徹底的に貶める方法があるというのに、そんな簡単な事も兄はわからないらしい。
 気付かれぬよう嘆息した。こんな些細な事で疑心暗鬼になる、見る目のない兄が当主だなど辟易する。

「もういい、」
 下がれと顎をしゃくられ、エーミールは言われた通りに部屋から退出し、用の無くなった屋敷を出た。
 この後にエーミールはまた、欲に目の眩んだ馬鹿を相手にしなければならない。
 今では貴族だという見栄の象徴となった馬車からは王都の街並みが見える。
 忌々しい城とそれらを囲む虫けらのような家々と人々。川沿いには最新式の魔動機関車が走り、大通りでは産業の発達を振りかざすような自動車が虫けらと乗合馬車の間を縫うように通っている。
 空には排気と同じ灰色の雲がたちこめ、今にも雨が降り出しそうだ。

(やはり私を理解してくださるのは後にも先にもあの方だけ。早くあの方の全てを屋敷へと連れてこなければ)
 憎き城の奥、霊廟に愛した人の遺体が全て無いことを既にエーミールはおさえている。今までに手に入れた遺体も本物かどうか、全て揃えて完成させるまではわからないのがもどかしい。
 胸ポケットを探り、思い出の万年筆を取り出す。漆黒の軸に刻まれた、青の螺旋をまとう翼の紋章につい笑みが零れた。

 美しく深い青の瞳に触れれば消えてしまいそうな淡い金の髪、学内でも一際目立つ白磁の肌、瞳と同じ幻想的な彩りを持つ魔力。彼女は陳腐な表現をするならば、無秩序に乱れる世に誤って生まれてしまった女神そのものだった。

 
「あぁ……」
 エーミールの唇から感嘆の声が漏れる。

 全て手に入れ守り崇め、軽薄で薄汚いあの男の手から完全に解放せねば彼女は幸せになれない。そしてそれが出来るのはこの世でただ一人、彼女が真に愛した自分だけ。あれは彼女を救う為の唯一の方法だったと今でもエーミールは信じて疑わない。
 エーミールの義務はまだ終わっていない。バラバラに散らばっている彼女を一つに作りかえるまでは、エーミールは死ぬに死ねないのだ。

「あの……それでいかがなさいますか?」

 困惑する男の声にエーミールは現実に引き戻された。
 自分がフェルザーの屋敷を出た後、馬車で郊外の別荘へと向かった事を思い出す。そこで今、エーミールはバルト伯爵と密談を行っているのだった。
「あぁ、噂の影響で仕事が滞っている、という話でしたね」
「とんでもない! エーミール卿のせいだなんて、私はこれっぽっちも思ってませんよ。ですがね。悪魔研究に理解のない奴らは益々、非協力的になりました。……ですから今後の為にも、殿下達の周りもそれとなく探ってみたら良いんじゃないかと思うんです」
「ほう……?」
「実はですね……」
 バルトはエーミールの顔色を伺いながらも、彼なりの名案を話し出す。
 彼が言うには、悪魔研究に熱心な旧友の近くの村に希有な女がいるそうだ。
 その至って何処にでもいるような女の元には、少なくとも二年近く、頻繁に素性の知れぬ複数の人物が通い詰めている。

 全員に共通するのは辺鄙な村にはそぐわぬ立派な身なりだという事と、どうやら高価な宝飾品や金品を持ち込んでは金品ごと女に追い返され、数日から数週間で村から居なくなってしまう事。仕事の都合で訪れているらしいが、尋ねてもなんの仕事をしているのかは曖昧でよくわからない事。
 そして幾人かの村人の証言によれば、多くは”翼に黒い蔦や稲妻のような何かが絡んでいる紋章”が刻まれた懐中時計を持っているらしい。
 先日も一連の者だろうと思われる男が有能な魔術師を探すという仕事で村へとやってきて、屋敷まで購入して粘っているそうだ。

「つまり、ティーアの奴らなんだな?」
「はい。間違いなく。諜報から王女の恋文を届ける役まで、噂の王家の下僕たちです。調べたところ女の両親は貴族の生まれで父親はエクヴィルツ家の遠縁、母親はアメリア元王妃様の侍女をしていたようです」
「なんだと?」
「ええ、ええ。お察しの通り、女はカルロ殿下やジーニアス殿下と面識があるらしいのです。それに女の通っていた国立魔術女子大はカルロ殿下の通われた大学と交流会を持つなど、深い交流がありました。カルロ殿下が長年、とある元貴族令嬢に執心しているとの噂も掴んでおります。もちろん、その女である事は間違いないでしょう!」

 エーミールが反応したのは別な理由からだが、結果的にバルトの話はエーミールの興味を強くひいた。
「しかもですね。最近その村に住み始めた使者らしき若い男が先日、花束と紙袋を持って屋敷へと訪れているのですが、今回は花束と紙袋とを置いていったようなのです。郵便屋は男が上機嫌で魔法院の事務局に宛てて手紙を書いていたと申してますし、『自分は運が良かった、大出世するかもしれない』と漏らした後、ハッとした様な顔をして『浮かれ過ぎていた』と妙に慌てていたそうです」
「魔法院? それは王立魔術師協会附属のか?」
 意気揚々と話していたバルトにエーミールは掴みかかる。
 バルトは瞳を瞬かせると、こくこくと首を縦に振った。

 王立魔術師協会魔法院は、前王妃アメリアの古巣、国内屈指の魔法研究施設である。
 施設内は最新魔法による厳重な警備が幾重にもひかれ、中で行われている研究の三分の一は重要研究の為にと経過や手法等が未公開となっている。
 現在は第二王子のジーニアスの影響が強いと言われており、エーミールが目をつけていた施設でもあった。
(やはり魔法院が噛んでいたのか! いや、忌々しい王子達と言うべきか。だとすると、その稀有な女というのも……)

「捕らえろ」
「は、はい⁉」
 口をあんぐりと開け、バルトはもう一度瞬きする。頭の悪い男だ、エーミールは悪態をつきたくなるのを必死で我慢し、欲深い部下に命令した。
「どんな手を使ってでも良い。その女と、ついでにその使者の男を捕まえろ」
「で、ですが確認もありますし、今後の為には懐柔した方が……」
「目的を違えるな。捕まえたらすぐに報せろ。誰が誘拐したかわからなければ、王子達も手を打てまい。その代わりお前が求めていた金を三倍に、明日にでも半分渡してやる」
「わかりました!」
 バルト顔に浮かんだ喜色に、エーミールは満足げに笑った。
 欲望を満たす為ならば他人の不幸も、自分の多少の不満もすぐに見捨てられる。浅はかだから目先の欲に飛びついてしまう。バルトはそんな男だ。
 エーミールは実に人間らしく単純なバルトを信用してはいないが、心の底から嫌ってもいない。強いて言うならば、バルト含めて多くの事はエーミールにとってはどうでもいい事柄である。
 バルトは「ではこれで」と足早に去って行く。『悪魔伯爵』だの『悪魔に取り憑かれた家』だの、根も葉もないくだらない噂を真に受けているのだろうか。

 エーミールは鼻を鳴らした。悪魔に取り憑かれたなど馬鹿馬鹿しいにも程がある。全ては遠い過去のもの。そう簡単に出会い、使役する魔法など無いと、かの魔法院も結果を出している。

「全く馬鹿な男だ」
 エーミールは嘆息した。

 
 一方扉の外では、バルトが嘆息していた。
 毎度訳の分からない理由で使用人のように使われるのならば、中央の貴族や侯爵家とのコネ作りに利用してやろう。フェルザーだけでなく、他の五家との縁も結んでおきたい。そんな魂胆は裏目に出てしまった。
 少なくとも相手はあの有名なエクヴィルツ家の縁者。もし狙い通りに次期王の愛妾候補だとしたら、こんなにも利用価値のある女はいない。
 エーミールの言う通りこちらが何者か知られないように拐かし、一切を悟られぬまま家に返したい。なんなら知らぬ振りをして助け、女に恩を売っておきたい。
 エーミールの用意する大金はしっかり貰い、まずまずの関係も温存し、新たなコネや金づるも見つけられる方法はないものか。

「ううむ。頭が痛いわい」
 バルトは数度首を振ると、別荘の玄関先からあさっての方向を仰ぎみた。