missing tragedy

cock-and-bull……¡

恋か愛か、欲か願いか ④

  
 『主サマよォ、嘘も方便って知ってるか?』
 ニヤリと笑む悪魔に、ノアは苦笑を返した。

 計画についての話を終えてから。就寝までに時間があった為に、二人は各々の準備へと取り掛かっていた。
 エリスは階下で資料を、ノアはサラに連絡をする為に一人書斎脇の部屋で電話を……という事になっている。もちろん、ノアの行動について言えば先程までは全くの嘘ではなかったが。

『バルトの目的が使えなさそうな役人のお前を探るため、だなんて。理屈もこしらえて、よく言うねェ』
「わからないじゃないか。なら、それが理由だと推定しても構わないだろう?」
 諦めの混じる笑みに、悪魔は瞳を細くさせる。ノアは気にせずに、ペンを取り視線を紙へと移した。
『そうかい、そうかい。俺にも今度、嘘のつき方を伝授してくれよ』
「機会があればね。それよりナール、新しい約束をしないか?」
 ふと、手を止めノアは浮遊する悪魔を見上げる。特段驚く様子は見られない。予想の範囲内とばかりに、彼は唇の端を持ち上げた。

『嬢ちゃんの護衛か?』
「ああ。僕の魔法だけでは心許ない」
『……じゃあこれと、あと左足のを一つだな』
 首をさすっていたナールの指と指の間と左足首に二つの異なる枷があらわれる。

 一つは美しい青色の首輪。すぐ脇には枷と同色の螺旋をまとう純白の翼と異国の文字が宙に刻まれている。
 もう一つは鈍色の足枷。首輪と同様、交差する漆黒の爪と銀白の花紋様と文字が伴っている。

「綺麗な枷は残しておきたいんじゃなかったの? 別のものにしてくれ」
 一瞥もせずに即答。しかし悪魔にとってはまたしても想定内の出来事だったらしい。
『やっぱりな。ならお前が決めろ』
「……条件付きで、僕の命でどう?」
『ほう……?』
 打って変わって。ナールは信じ難いとでも言わんばかりに片眉を上げ、続きを促す。
 その様からも、"見透かされている"という漠然とした感覚はおそらく当たっているのだろう。食えない相手に内心苦笑しながらも、ノアは条件を示した。

「実際にエリスが危なくなり、君の能力を使う事があった時は。僕の命を使って守ってくれ。わざと襲わせるのは違反とみなす。もちろん敵方を唆すような真似も」
『へぇ。でもそれ、お前にも俺にも良い話じゃねーな?』
つまらないとばかりに、月のような瞳がノアを見つめる。

「そう? 新契約の結果がどちらに転ぶかわからない以上、確率を上げておくのは悪い事じゃないはず。なんのリスクもない君にとっては願ったり叶ったりじゃないか」
『面倒なんだよ。つまらなそうだし。お前が大人しく自分の命(たま)を差し出すなんて、胡散臭いね』
「別に素直に頼んでいるだけなんだけれどな……」
 乗り気でないナールにノアは苦笑い。続けて場をとりなすように軽く咳払いすると、小声で耳打ちした。

 途端、悪魔の顔が明るくなり、瞳が輝き始める。
『まあ、お前がそんなに言うなら。良いぜ! 新契約の事もあるしな』
 しゃらり、と悪魔の首元で青の輪が音を立てた。
「ありがとう」

『しかしお前の事だ、俺はてっきり"第三王子ノアを消しても構わん"とか言い出すかと思ったのによォ?』
 ニヤニヤ笑いの悪魔にノアは困ったような笑みを返す。
「初めは、ね。でも残念ながら僕は駆け引きや取引は苦手なんだ。……そのくらい、自分でやるよ」
『そこは"ナール様を信じて! 出し抜くなんて出来ないわァ!"って言って欲しかったねェ』
「言ってあげようか?」
 望み通りにと冗談を返せば、
『んな気持ち悪いモン……呪われそうじゃねぇか』
 悪魔は自身の両腕を抱き、引きつった顔で一歩下がる。
「大丈夫。そんな力、僕にはないよ」
『お前、呪いを舐めてるな? 良いか……』

 唇を尖らせながらも、彼は至極真面目な様子で呪いの恐ろしさや容易さ、契約や魔法契約との違い、悪魔側のリスクの大きさについて滔々と説く。手紙を書きながらも、相槌を打ち耳を傾けるノアに気を良くしたのか、次第に話は逸れ。終いには他者を嘲笑う者の末路や軽んじた者の行く末、天罰などについてまで力説し始める。
 そして総括として。

『……つまりな。まず、お前のように性格悪いとモテねぇんだよ』
 彼はノアを指し示すと、これがすべての結論であるとでも言わんばかりに頷いた。
「僕はもてなくて良いかな」
 必死に笑いを堪えながら、ノアはナールに答えを返す。

 元来の好奇心旺盛な性格と、天使時代に培われた価値基準。そして悪魔的とも言える潜在的な欲望への無自覚さと執着、行いへの無頓着。そして全てを踏まえての結論が『モテたい』という点も。ノアは微笑ましく思っている。
 悪魔的な非道は許せないものだとしても、どうか彼にもこの世界を楽しんで生きて欲しい。……悪魔に接すれば接するほど、ノアの内に育つその想いは一種の呪いや魔法なのかもしれない。

「……けど、性格の悪さについてだけは困ったね。改めておく」
『そういうさ……ホントお前。めんどくせぇ、いい性格してるよ』
「ありがとう?」
 軽口を交わし合いながら、ノアは手紙に指示を記していく。
『それ、意味あるのか?』
 怪訝な顔で問いかける悪魔に、どう答えれば良いものかとノアは眉を下げた。
「あるものに、するつもりだよ」
 分厚い紙の上で踊っていたペンが締めの言葉を綴り始め。
「君も旅の支度をそろそろしておくと良いんじゃない?」
 終いに黒の螺旋と翼――――名ばかりの裏部隊を示す印を押し、ノアは悪魔にニコリと微笑みかけた。


○○○


「うまくいきました。バッチリですよ」
 頬に無数のすり傷を作りながらも、フェリクスは自信満々に己の成果を宣言した。
「人間、素直に謝れば結構許してくれるものです。特に私のように色々と揃っていれば。これで私の事、信用なさってくれましたか?」
 バルトは「ああ」と肯定の意を答えながら、驚愕を隠す。更に続くフェリクスの同意は、右から左へと受け流した。
(ベークマン家のボンボンか。ここまで自分に自信が持てるのは、ある種の才能だな。私もまさか三日で成果を出してくるとは思わなかったが……)

「今後の指示は追って出す。それまでは両手に花だとでも思って、おとなしく待ってろ」
「なかなかリスキーなお花ですがね」
「一切手は出すなよ。お前の女癖の方を言ってる」
「わかってますよ」
 笑みを浮かべたまま肩をすくめると、フェリクスは部屋を去っていった。

「全く、上の考えは理解出来ん」

 机の上の封筒を見下ろし、バルトはエーミールの視線を思い出す。基本冷たく無機質で、獲物を見つけると途端に鋭くいやらしいものになる。あの蛇のような視線を。
「わからん」
 バルトは同じ事を呟き、身震いした。もちろん夜の肌寒さからでは無い。
 外では梟が鳴いている。閑静な王都の貴族街に比べて、思ったよりも田舎の夜は騒がしい。
 野鳥に獣の唸り声、水辺に近ければ蛙の声も。人工的な音が耐えぬ歓楽街の方が、不気味さに関して言えばまだ心も落ち着くというものだ。

「渡りに船だったが……あの男はうまくやってくれるだろうか?」
 バルトは短く息を吐き、程よい弾力が売りの高級椅子へと身を沈める。
 考えたとしても、どうにか出来るものでもない。早々にバルトは問題への思考を止め、得られる報酬について思いを馳せ始めた。