missing tragedy

その声、違反行為です

▽イケボには注意です ②

「あがって」
 裏返る声に彼が気付いてないと良い、そうひやひやしながら優乃は誠司を玄関に通した。
 決してきれいではないが、最低限の掃除はしている……と思う。少なくとも誠司の家よりは綺麗なはずだ。
 短い廊下を通り、手前のリビングルームに案内する。間取りは誠司の部屋と反転して同じだからトイレなど説明する必要もないだろう。大体、ご飯を食べたらすぐ出ていくのだから問題はない。
「お邪魔、します……」
 きっちりと靴をそろえ、きょろきょろと辺りを見回しながら誠司は入ってきた。あまり見渡してほしくはないが、見られて困るものはリビングルームまでの部屋にはない。いつ仕事仲間が来てもいいように、その辺り準備していたのは本当に幸いだった。
 奥の寝室にはオタクだとばれるようなポスターやら美少女フィギュアや漫画があるが、そこまで彼が入ることはこの先もない。
「そこに座ってて。ご飯すぐに用意するから……って、あー!」
 ダイニングテーブル兼ちゃぶ台を指さして、優乃は悲鳴を上げてしまった。なぜなら、ガンシューティングゲームのパッケージが広がっていたからだ。
 思えば、さっきまでテレビゲームをしていたことをすっかり忘れていた。例のゲームでは苦い思い出がある。ガンシューティングということで十八禁のレーティングのそれを職場の人間に見られて、弄られたことがるのだ。
 あの時は女性だったということもあり、だいぶ引かれた。どうしてそのレーティングなのかも一生懸命説明したし、暴力をふるう趣味もないと力説したが、かえって逆効果だったのは思い出したくない記憶の一つだ。
 まあ、彼も声優だから、オタク耐性はついているだろうが、女子として十八禁ガンシューティングが好きってどうなのよとも思う。 
 せめて同じくらい好きなRPGオンラインゲームにしておけば良かった。しかしもう遅い。
「どうしたの?」
 きょとんとする誠司はまだ気付いてないのだろうか。こちらを見上げ不思議そうに首を傾げている。
「あの、それ、借りたやつなの!!!」
 必死になって優乃は嘘をついた。嘘をついたところで何も変わらない気はしたが、自分で買ってやっているのと、借りたのでは大分違う。……と思いたい。
「へー。これ面白いでしょ。俺好きなんだよね。ってあー!」
 そこまで言って、今度は誠司が突如大きな声をあげる。どうしたのかと彼の視線の先を見ると、例のRPGのパッケージが置いてあった。
「さ、最新作……しかも特別エディション……宇留志先輩と佐藤先輩の特別ドラマCD とOVA入り!!しかもゲーム内衣装付き!!」
「あ! わかる?! そう、そうなの! コウタ君とイリスちゃんの特別OVA付きのやつなの!」
 無意識というよりは、反射的に、優乃は答えていた事にすべて言い終えてから気付く。
(や、やばい……つい答えちゃったけど、大丈夫かな。でも国本さんもこの仕様を知っているならばもしや……)
 恐る恐る彼の方を見やれば、キラキラと瞳を輝かせ、既にテレビゲーム機本体を起動しようとしている彼がいた。
「これ、DVDも観られるよね? 見ていい?」
「素早い……」
「ごめん、勝手にいじった。でも、俺これ持ってなくて。もうネットでも販売してないし、中古でもなかなかないし……」
 しゅんとする誠司の手を優乃は慌てて取ると強く握る。そういう訳ならば放っておけないではないか。
「いいよ! すっっごくコウイリ良いから! 感動するし見よう!」
「桜木……さん」
「優乃でいいよ! なかなかね、このゲームのファンの人周りにいなくって。嬉しいなぁ~!」
 思わぬ同士発見に頬がゆるむ。ギュっと手を握り直し、満面の笑みを向けるとそっぽを向かれてしまった。しかしその赤くなった耳から、彼が拒絶したわけではないことだけはわかる。きっと彼は極度の照れ屋なのだろう。
「ほら、見よう? 」
「で、でもいいのか?」 
 未だ戸惑いつつも、その瞳は輝き、期待に満ちている。こくこくと頷き、優乃はDVDをゲーム機本体にセットした。
 じじじ、と機械音が響きテレビに『now loding……』の文字が現れる。
「はい、もうそろそろ始まるよ。私ご飯の用意してるから見てて」
「おう、サンキュ」
 今度は誠司も心底嬉しそうな笑顔を優乃に向けてくれた。その笑顔は心臓に悪いほど格好良いのに、ずれた眼鏡がなんだか完璧さを欠いている。それでも、なんだかそれがとても彼らしくて、優乃はつい噴き出してしまう。
「な、なんだよ」
「いや、眼鏡曲がってる」
 訝し気に覗き込む彼の眼鏡を両手でそっと直してあげると、誠司はびくりと肩を揺らして飛びのいた。
「国本さんこそ、どうしたの?」
 近づかれたのがそんなにびっくりしたのか。それとも、眼鏡のずれを直してほしくなかったのか。どうにも彼の反応はわからないことがある。
「だ、だって、優乃さんが」
 優乃、と呼ばれて頬が熱くなった。先ほど勢いで言ったことを彼は覚えていてくれたのだろう。自分で言っておいてあれだが、ちょっと恥ずかしい。
 優乃はそんな気持ちを誤魔化すようにわざとらしく話を促すことにした。
「私が? どうしたの?」
 しゃがんで誠司に視線を合わす。今度は顔を背けられることはなく。真っ赤な頬と対照的な、闇色の彼の瞳と目が合った。
 瞬間、何故か目を合わせられなくなって優乃は俯いてしまう。心臓がバクバクいう。頬が熱い。こんなの隣人に対する反応じゃない。
「優乃さん……」
 耳元で、低く囁かれる。それはあの可愛い『悠介君』の少年声なんかではなかった。出会ったばかりだけど、良く知っている『国本誠司』の声だ。
 恥ずかしさに、我慢できなくなって優乃はぎゅっと目を瞑った。頬に誠司の温かい手が触れて、更に心音が速くなる。
「優乃さ……」
『あの冒険を終えてから半年……』
 その時、テレビから渋い声が聞こえた。慌てて優乃と誠司はお互い飛びのき、背を向けあう。
「は、始まったよ!!これから感動するシーンなんだね」
「へ、へぇー。た、楽しみだな」
 わざとらしく二人は大声で話し合う。優乃はその場に居続けることが何故かできなくなって、急いで台所へと向かった。
(私、おかしい……そっか、きっと男性に、それもあんな格好いい声と顔に耐性がないからだ! そう、そうに決まってる! イケボには注意しなきゃ!!)
 台所に立って、包丁を握る。しかし、トマトを切る手が自然と震えてだしてしまう。
(うん、そうだ。だから考えるな! もしかしてとか考えちゃダメだ、底辺女子よ!!)
 ふーっと深呼吸を何度かし、優乃はようやく落ち着きを取り戻した。彼は隣人。ゲームの趣味の合う隣人だ。
 ふとリビングルームの誠司を見れば彼はOVAに感動し、涙を流していた。泣いている姿も格好がつくのだから、優乃はちょっと狡いと思ってしまう。自分があのOVAを見たときはひどい泣き顔だったに違いないからだ。
(でも、あれは本当に感動した。コウイリ最高!!)
 OVAの内容を思い出し、ぐっとこぶしを握ってしまうところ辺り、オタクなのだろう。
 そのまま優乃はOVAの内容を思い出しながら一人鼻歌を歌い始めた。

「う、うまそう……!!」 
 瞳を輝かせ、ごくりと唾を呑み込むと誠司は一言、そう呟いた。
 作ったものとして、その反応が嬉しくないわけがない。思わず優乃は相好を崩して饒舌になってしまう。
「パエリヤは炊飯器で炊いたものだからアレだけど、シチューは多分おいしいと思うよ。だいぶ煮込んだし。サラダは簡単なものにしちゃって申し訳なかった。口に合わなかったら言って」
 湯気を立てる料理たちは、優乃の胃をも刺激する。このままだと誠司のようにお腹がなってしまいそうだ。
「いただきます」
「いっただきます!!」
 二人はお箸を持って一斉に食事前の挨拶をすると、食べ始めた。
「こへ、おいふぃい! ほうひゃったひゃこんにゃんひゅくれりゅん……」
「国本さん、もう少し落ち着いて食べようか?」
 パエリヤのイカを頬張りながら、同時に何か喋ろうとする誠司に優乃は苦笑する。おいしそうに食べてもらうのは嬉しいが、彼が舌を噛まないか心配ではある。
「優乃さん、」
 ごくりとイカを飲み込んだ誠司が不満そうに頬を膨らます。不機嫌なその声色に心配になって、様子を伺うように見上げると「うっ」という短いうめき声が誠司から上がった。
「どうしたの……?」
 うめき声といい、彼の顔が赤い事といい、喉に何か詰まらせでもしたのだろうか。だとしたら大変だ。卵の白身でも持ってきたほうが良いだろうか。いやその前に水か?
 優乃が悩んでいると、誠司は深い深いため息を吐いた。そして再度頬を膨らませ、優乃を睨む。
「名前……俺だけ優乃さんって呼ぶの変だろ……」
「じゃあ『桜木さん』でいいよ?」
「もう、そうじゃなくてさ……」
「なら何なのよ」
 今度は優乃はむくれる番だった。呼び方に不満があるというから平等にしたのに、彼は結構わがままというか、こだわりがあるというか、めんどくさい。
「誠司、って呼ばないの」
 頬を朱に染めて、彼は優乃に聞いた。
「ああ!」
 そこで優乃はようやく合点がいき声をあげる。そうか、そう呼んでほしかったのか。
 しかし、別に『国本さん』でも『誠司さん』でも『誠司君』でも変わらない気がするのは優乃だけだろうか。
「じゃあ誠司君」
「じゃあって……まあ嬉しいから良いけど」
 そんなに嬉しいものだろうか。優乃にはよくわからないが、誠司は頬を真っ赤にしては照れながらも笑ってくれたので良いということにした。
(友達感が増すとか、そういうことかなぁ。というか私たちって何なんだろう)
 ふと、そんな疑問が浮かぶ。隣人……というには近しい気がするが、だからと言って友達かと聞かれれば甚だ疑問だ。
 ご近所さん、ゲーム仲間、どれも違う気がする。
「しかし、さっきのOVAすごく良かった!コウイリ感動したなぁ~!そしてやっぱり宇留志先輩の声はいい!」
「でしょ?! 感動したでしょ!! 良かった! 喜んでくれて!」
 先ほどのOVAの話が出て優乃は内心ホッとした。きっとさっきみたいなことを考えても仕方のないことなのだろう。それに関係性がどれだとしても、誠司と一緒にいて楽しいことに変わりはない。
「宇留志さんの声もいいよねぇ! 私『おんかれ』で『良平君』が最推しなんだよね! あの声すごく素敵だよね!」
「へぇー……宇留志先輩良い声だもんね」
 先程と言っている内容は同じはずなのに、急に彼の声の温度が低くなる。もしかして、なにか地雷でも踏んでしまったのだろうか。優乃は不安になって問い返す。
「どうしたの?『悠介君』も私はいい声だと思うよ?」
「も、かぁ。それだけ?」
 頬杖をついて眉根を寄せる彼は何が不満なのだろうか。眼鏡の奥に見える瞳はさっきまでとはうって変わって、笑っていない。
「く、『釘谷セージ』さんもいい声だと思いマス」
「ふーん、へー。まぁ宇留志先輩には敵いませんけどー」
 あ、これは完全に拗ねている。めんどくさいやつだ。そう瞬時に思ったのが顔に出たのか、誠司は優乃を見て更に眉根を寄せた。
「今俺のこと、めんどくさいやつだって思ったでしょ?」
「そ、それは……!」
 ここで誤魔化せるほど器用な人間だったならばどんなにいいだろう。しかし優乃はすこぶる嘘をつくのが下手くそだ。しかも顔にすぐ出る。
「はいはい、いいですよ。俺はこれから頑張るから」
 誠司は深いため息を吐くと、優乃の頬に触れた。彼の手は珍しく冷たかったが、瞳はもういつもの温かな眼差しに変わっている。
「優乃……さん」
 つと、その温かだったものに熱が宿る。続けて耳元に唇を近寄せられて、優乃の心臓がはねた。
 なんだか、ときたま誠司の声がとても隣人に向けられたものでないような気がするのだが、思い過ごしだろうか。勿論、普段から彼の声はいい声だと思うし、人を特に女の子を落としそうだなぁとは感じる。けれど、それとは違う、何かがたまに自分に向けられてるような気がしてならないのだ。
(って、そんなわけないよね。妄想オタク女子桜木優乃、気を付けなければ!)
「優乃……」
 しかしそんな自分への戒めも、耳元で名前を呼ばれ霧散していってしまう。
「寿限無寿限無ごこうのすりきれかいじゃり……」
「っく、あはは!! 優乃さん……君って」
 呪文のように寿限無を繰り返す優乃に、笑いをこらえきれなくなった誠司は噴き出した。
 お腹を抱えて笑い続ける男を優乃は睨みつけるとシチューに入っているニンジンを口に放り込み豪快にかみ砕く。食べてなければこの男の脇腹に拳をぶち込んでやるのに、残念でならない。
「寿限無好きだよね? 落語好きなの?」
 尚も揶揄い続ける誠司のずれている眼鏡を優乃は掴むと、自らのTシャツの襟にひっかけた。胸に眼鏡があたって多少感触は良くないが、致し方ない。それにこれなら照れ屋の彼のことだ、胸元に手をかけて眼鏡を取ったりはできないだろう。
「優乃さん……」
 案の定誠司は忌々しそうに優乃を見つめ頬を朱に染めた。
「作ってもらったのに揶揄った罰です。甘んじて受けて下さい。因みに落語好きで悪かったですね」
 どんなにかわいい仕草をしたって、思わせぶりな声で揶揄ったって無駄なんだからとでも言うように、優乃はツンとそっぽを向いて料理を口に運び続ける。誠司は眉を下げ困ったように微笑んだ。
「まいったな」
 そう言いながらも、全然参ったように見えないのが優乃にとってはなんとも悔しい。
「ほら、眼鏡。ないと困るでしょ?」
 一通り食べ終わった優乃は胸元にかけていた眼鏡を誠司に放るように渡した。
「わあっ?!」
 何故だか慌てて眼鏡を受け取った誠司は、まじまじとそれを見ている。若干気持ち悪いくらいに。
「何やってるの?」
 怪訝に思って尋ねると彼は頬を染めて「はぁ?! だってこれ、だって!」と訳の分からない返事をする。
 ますます訳の分からない言動の彼に首を傾げると、後ろを向かれてしまった。
 しかし後ろからも見える赤い耳を可愛いと思ってしまうくらいには優乃もおかしいし、自分の想いの理由がよくわからなくなっている。
「さて、行こう?片づけなきゃ」
 夕飯の片づけは後回しだ。もう既に八時を廻っている。時間はそんなにない。今日はできてもリビングルームの片付けの目鼻を付けるくらいだろう。
 優乃は大きく伸びをすると、上着を着て鍵を持った。
 隣の誠司がようやく複雑そうな表情で眼鏡をかけたことには気が付かなかった。