missing tragedy

魔女の憂鬱、勇者の願い、

▼魔女の逃亡、

 厳かな音楽とともにフィアは顔を上げた。
 眼前にはこの国の王であるカランデュラ・ローツ・アルベルトと王妃のルーリアが穏やかな笑みをたたえている。謁見の間であるこの部屋のステンドグラスは今日も色とりどりの光の糸を紡いでいた。

「フィア、本日をもってそなたはこの国の侯爵となった、あくまでも仮だが」
「わかっておりますわ。陛下のご厚意を無駄にすることのないように今日から心機一転侯爵としても生きていきます」
 その言葉を聞きアルベルトは大きくうなずく。
 フィア・ローレンス、現魔王である彼女は今ほとんど魔力を持っていない。魔力を自ら生み出せない、しかも外部からの補給は波長の合うものが少ないため基本できない、という致命的な欠点は、ついこの間ようやく打開策が見つかった。

 そう、波長の合う魔力を持つ人間と魔力を自由自在に生み出せる人間のコンビをようやく見つけたのだ。
 そのせいかこの頃、いつもなら受け流しているサイのきつい冗談などを上機嫌でフィアは返している。
「何か困ったことができたら、遠慮なく言ってくれ」
「光栄なお言葉ね。ありがたく頂戴するわ」
 にこりと微笑む彼女をパッと見ただけではその容姿から魔王などとは安易には想像できないだろう。しかしその瞳を見れば、その芯の強さがうかがえる。燃えるような真紅の瞳はいつでも迷いなどないかのようにまっすぐだ。
 フィアはヒールの高い真っ赤な靴で、大理石を響かせ軽快な気分で部屋から出た。

 もう昼過ぎなのか日は高い。廊下の窓から差し込む光は柔らかく、最近の穏やかな日常を表しているようだ。
「フィア様」
 出てすぐのところで、フィアは待ち構えていた有能な部下、サイに話しかけられた。よく見れば走ってきたのか息を切らしている。魔術の使用が王城では基本禁止されているため、慣れない“運動”をしたと見える。
「どうしたの?」
 その慌てる様子や緊迫した表情からただ事ではないとすぐに感じ、フィアにも緊張が走った。
「例の……あやつが動きました」
「そう……」
 フィアは最後まで聞き終わる前に大きなため息をはくと遠くを見る。
 とうとうあの男も動き出したらしい。猶予はもうない。明日にでもリツを呼び出し対抗するべく、少しでも多く魔力をもらわなければならないだろう。
「どうしますか」
「視てて頂戴、今のところそれだけよ」
 フィアの瞼の裏に浮かぶのは褐色の肌の少年だ。遠い遠い昔の、フィアだけの、記憶の中の少年である。
「明日にでもリツからいただくわ。取り急ぎ約束をつけておいて」

 浮かんだ少年の姿を振り払うようにかぶりを振って、フィアは自室への歩みを始めた。
 どうしてこうなってしまったのか。それはフィア含め誰にもわからなかった。


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 リツの寝顔をのぞきながら私はそっとため息をはいた。
 王都に借りた部屋に二人で住んで早二週間が経とうとしている。
 情事の時のリツは格好良くて、別人みたいだった。なのに優しいところとか根本的なところはやはり私の好きなリツに変わりはなくて、いろいろ戸惑いながらも何回も求めてしまった。

 しかしとろけるような甘い時間を過ごし、幸せな気分に満たされていたのはつい先日までだ。
 思えば魔力の受け渡しの際にそういうことをしなければならないのなら、フィアさんともリツはそういうことをするということになる。それに気づいてしまった今は、もう幸せな気分になど浸れるはずがなかった。

 代わりに胸に広がったのはもやもやとした醜い気持ちだ。嫉妬というひどく汚れた気持ちである。
 この間までは、リツにもう一度会えるならそれで良いと思っていた。そのあとに全人類のために死んでもいいと思っていたのに。
 それなのに一緒にいる時間が長くなればなるほど、私は欲張りになっていく。一目でいいから会いたい、そばにいたい、私だけを選んでもらいたい……。
 エスカレートしていくそれは不安定で、ひどく苦いものだ。
 こんな気持ちになる私はなんて器が小さいんだろう。そしてふと思う、恋とか愛とか知らなければこんな気持ちにも、状態にも、自己嫌悪することもなかったのだろうか、と。
 にじむ視界に必死に抵抗を試みる。があっさりとそれは零れ落ちた。
 これ以上一緒にいることなど、辛すぎてできない。自分勝手なのはわかっているがこの気持ちが冷めるまで、リツへの想いが変わるまでは、平静を保ち傍にいることはできないと思った。
 私の代わりとなる強力な魔力を生み出せる人物に当てはある。彼女ならば、きっとリツともフィアさんともうまくやってくれるだろう。

 嗚咽に代わる前に泣き止もうと思うのに、涙は止まってくれない。
「ごめん、リツ……無責任で、リツの気持ち裏切って、自分勝手でごめん……」
 健やかな寝息をたてて眠る彼にそっと口づける。この瞬間を最後に時間が止まってくれればどんなに嬉しいか。しかしそんなことは事実無理であるのだから仕方ない。

 あと少しで夜が明ける。一週間という準備期間は十分な長さだった。もともと荷物も少ないし所持金も多いとは言えない。荷物をまとめるのに手間はかからなかった。
 きょうからリツは隣町へと三日間泊まり込みで騎士団の任務へあたる。今日のお昼前にも出ていけばおそらく当てのあるトリエの町に明日つくことは可能だろう。彼女は転移魔方陣を作り出すことができるし、リツが帰ってくる頃には私の代わり含め、すべてがそろう算段だ。

 今日私は、隣国へと向かうためリツの下を離れる。
 もうそれは決定事項だった。



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「あ~!! 三日もマオと会えないなんて死ぬ!」
「そんなこと言ってないで。またすぐに会えるでしょう?」
 もう、後ろから私を抱きかかえるリツが今すぐにでも家を出なければならない時間だ。待ち合わせ時刻に遅れてはならないとあれほど団長から念を押されているのに、リツはいまだ重い腰を上げていなかった。
「あー……マオいい匂い」
 首元に顔を埋められるのさえとても恥ずかしいのに、その上すんすんと匂いを嗅いでこられると恥ずかしさで顔が沸騰しそうなほど熱くなる。それをリツに悟られるのはこれまたすごく恥ずかしいことなので、私はそれには触れず必死に抵抗を試みていた。
 しかし男女の力の差は大きい。どう足掻いても敵わない。これ以上くっつかれると決心が揺らいでしまう。そう感じた私に、助け舟を出すかのように出発の時刻を告げる鐘が鳴り響いた。
「ほら、リツ。遅れちゃう」
「はぁ……行きたくねぇなぁ。マオとイチャイチャしてたい」
 ぶつくさとリツは文句をたれていたが、さすがに団長の雷を直撃したくはなかったのだろう。渋々私を離すと後ろ髪ひかれるように何度も振り返りながら家を出て行った。
 私は見納めになるであろうリツの背中を見えなくなるまで見送ると、ベッドの下からトランクケースを引っ張り出す。
 小さなトランクには数日分の着替えと、これまでに貯めた旅費が入っている。ほんの三月弱くらいしか保たないだろうが、新しい仕事を探し、新居に移るための前金・二ヶ月分の家賃くらいは払える額である。何とかなるだろう、というよりこれで何とかしなくてはならない。
 リツに貰った指輪をはずし、その横に手紙を置いて私はため息をひとつ吐いた。

 手紙には本当のことは書けなかった。本当のことを書くことは、フィア含め皆の為に頑張ろうとしているリツを一番苦しませることだと思ったからだ。
 ただこちらから気持ちがなくなったと、他に好きな人ができたからだと記してある。そして信頼のおける人が私の代わりに魔力を受け渡してくれるとも綴った。

「ありがとうリツ……ごめんなさい」
 誰に言うでもなくそう呟いて私は玄関のドアを開けた。
 出発を祝う気はさらさらないと言うかのように、曇天が笑っていた。


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 これから立ち去る家の門の階段を降りていた時に、それは私を引き留めた。
「やあ、マオさんではないですか」
 にこやかな笑顔の中に何か冷たいものを持つ雰囲気を与えるその男性は、手を振りながら近づいてくる。どこかで見たことがあると記憶が訴えているにも関わらず、なかなか思い出せない私に、男性は眉を下げた。
「フレッドですよ、フレッド・アンダーソン。叔母がいつもお世話になってます」
 そこまで聞いてようやく私は彼が誰だか思い出した。
 隣のアンダーソン夫人の甥である彼は、子供のいない彼女のお気に入りだ。なんでもなくなったご主人の弟さんの子供だそうで、整った顔立ちと切れ長の目が印象的だった。
「すみません、少しぼんやりしていたようです。お元気でしたか?」
「ええ。ところでご旅行でも?」
 そこでようやく今自分がこっそりと家を出ていたことに気付く。あまり人目に付きたくはなかったが、会ってしまったならば仕方がない。私は速やかにこの場を去るべく、言葉を探した。
「はぁ、まぁそんなものです」
「ご結婚されるそうですね。おめでとうございます。でもおかしいな、旦那様は今出張中では? おひとりで?」

 そこまで言われる筋合いはない。それになぜそんなことまで知っているのかも不気味だ。しかし万が一、そう、騎士団に知り合いがいるのかもしれない。
 それに仮にも母親のように慕っている人の甥である。あまり強いことも言えなかった。
「ちょっと、荷物を取りに家に戻るだけです」
「荷物を取りに戻る為に家を引き払ったのですか?」
 そう言われてさすがに気持ちが悪くなってくる。どこまでこの人は知っているのだろう。思わず一歩下がると彼は口角を上げた。
 その笑みに謂われのない不安を覚え、私はその場を去るため走り出した。しかしそれはすぐに彼によって阻まられてしまう。

「彼に、今すぐ伝えましょうか?」
 つかまれた腕を振り払おうとするも、びくともしない。フレッドを睨みあげると彼は穏やかに脅迫の言葉を吐いた。
「もう少し端的に言いましょうか。彼に、今すぐ俺と駆け落ちしたいと貴方が迫ってくると伝えましょうか?」
 そんな話、信じないに決まっている。それでも一部は手紙に書いたこととつじつまが合うことから、誤解される可能性はある。
 そして何より、今家を出ることがばれてしまえば、この計画は失敗に終わるし、動きにくくなってしまう。
 誤解されるのは承知の上なのに、いざ具体的に疑われるのは嫌だなんて自分勝手ではあるけれど。
「離して」
 私は詠唱時間がほとんどない、しかしこの場を切り抜けるには十分な威力の魔術を使うべく魔力を手に集中させた。
 ところがそれはあっけなく、強制的に抑え込まれてしまう。一般の人では使えないような、高度な術式の魔術によって。
「あなた、誰?」
「察しがいい女は好きだよ」
 そうフレッド、いや目の前の人物は答えると強引に私の腕を引き、転移魔方陣を瞬時に描く。七色の光があふれ、そこら中を駆け巡った。
「ゲームの始まりだ、フィア」

 男のブラウンの目はいつの間にか金色へと変化していた。