missing tragedy

かんざしには嘘を、××と君には×情を

 神子に請う 


 勤め先である|誓鳥府《せいちょうふ》に人は少なく、昼時とは思えぬほど静かだった。

 ミンファのように雑務を行う第五等官から指揮を執る第二等官まで、採取や測量を担う部署と一部の高官以外の多くの者は祭りに合わせて休暇を取ったからであろう。代わりに門の外からは時々、鼓や笛の軽やかな音色が聞こえている。
 そんな普段よりは緩やかな時間が流れる中で、他愛ない話をしていた同僚の|蕾蘭《レイラン》の声色が変わった。

「ミンミン大丈夫? やっぱりさっき無理し過ぎたんじゃ……?」
「え? 大丈夫です。あの位なんでもないですよ!」
 うっかり取りこぼしそうになった匙を持ち直しながら、ミンファは強く否定する。
(どうしよう。心配をかけてしまってる……よね)

 本日を振り返ってみても、彼女が何を見てそう思ったのかはわからない。
 書庫整理の際、迂闊にも乙女のはじらいを忘れて本棚の移動を一人で行ってしまった為か。それとも過ぎるお節介という悪癖が露呈し、休憩時間に薬草園の草むしりに没頭してしまった為か。どちらにしても、日頃から乙女にあるまじき奇行が多いミンファにとっては思い当たる節だらけである。
 その上彼女の睨み通り、ミンファは昨夜の出来事から内心穏やかとは言い難い状態だ。自覚なき奇行を重ねていてもおかしくない。

 ミンファは気まずい空気を晴らすように、わざとらしく「これ美味しいですね!」と話を逸らした。
「そりゃ、我が家の葡萄は美味しいけど……匙使うのがミンミンは好きなんだ……?」
 意味もなく葡萄を追いかけるミンファの匙を凝視しながら、レイランは首を傾げる。

「えっ……ほら、あの、あはは。逃げる葡萄が可愛いなぁって思いまして」
「か、可愛い……? そ、そっか??」
 苦し過ぎる言い訳を否定しない一方で、レイランの心配は増してしまったようだ。彼女は今しがた逃げたばかりの葡萄をちらりと見やると、すぐに困惑の色を写した瞳をミンファへと向けた。

「ミンミン、何か悩み事があるなら……あ、もしかして……呂さんの事で何か」
「っ?!」
 突如レイランに核心をつかれ、ミンファは飛び上がりそうになる。否、確実に飛び上がった。

「あっ、いえ、違います! 全然まったくユーイェンは関係ないですよ!」
 もちろんそれはも真実ではない。
 昨晩、衝撃の言葉を聞いてしまってからミンファは暫く動けなかった。間もなくして、ユーイェンの部屋へとシェシンが入室。
 兄と接していたユーイェンの声は低く言葉遣いも固かったが、それらは仕事中の緊張感の域を超えず。何事もなかったようにユーイェンは兄と別室へと移動してしまった。
 その後、ミンファは時間も時間とあって、呂家の面々に気付かれないように兄と帰路へ。結果、兄嫁の薦めで何故か送るはずだったシェシンに送られ、真夜中になる前に帰宅した。

 当然、未だユーイェンの悩みや結婚についての諸々などは話し合えておらず。
 おそらくシェシンが些細な異変に気付き、医者を薦めてくれた可能性も低い。
 彼をどのように支えたら良いのか、どのような手を打てば良いのか、誰にも相談出来ずにミンファは弱りきっていた。
 そして弱りきっていたからこそ、ミンファは朝から何をするにも上の空、周りの不安を煽るような奇行を繰り返していた。

「本当にユーイェンとの事は、順調になんの問題も滞りもなく円滑に物事が進むなりしてるので……」
「だ、大丈夫? 無理にとは言わないけど……一応私も一昨年結婚して、まあ色々大変だったしさ」

 彼女の申し出は大変有難い。しかしどう相談すれば良いのだろう。
 そもそもユーイェンが病や悩みを抱えているとの考えを軽々しく人に伝えても良いものではないはずだ。幾ら心配だからといっても、他人の個人的な問題を本人の知り得ない場所で勝手に話す事ははばかられる。

(どうしよう……でも……)
 話し方はともかく、レイランは信用の置ける立派な人だ。如才ない着こなしや華やかな見た目から誤解されやすいが、案外世話焼きで口も硬く、医術に詳しく頭も切れる。時々ポロリと零れる言葉から元は居を構えぬ種の民であり、苦労を重ねてきたことも見て取れた。
 しかも彼女は既婚者。男性との会話も慣れている。直接ユーイェンと会ったことはないはずだが、あらかたの経緯は知っており、ユーイェンの義姉とも顔見知りらしい。
 知識も経験も豊富なレイランに相談すればユーイェンの病状や苦悩、どうしてあのような言葉を言ったのかも判明し、治療や対策が取れるかもしれない。
 彼にどのように手を差し伸べたら良いか、まずはそこだけでも知り得れば道は開かれるのではないか。

「あの……」
 ミンファは暫し迷った末に、思い切って昨晩の出来事をレイランに話し始めた。
 職務内容や具体的な府省の雰囲気は伏せ、推測はミンファの思い込みである可能性が高いと念を押し、身体的な症状はなるべく曖昧に濁して。盗み見という決して褒められない行為を恥じながらも隠さずに、どう対処し、どう医者を薦めたら良いか懸命に尋ねる。

 ところが全てを話終える前に、レイランは気まずげにミンファの話を遮った。

「それでっ、もし何か悪い……」
「わかった。ごめんね。ミンファが困ってるのはわかった。事情も、多分わかった。悩んじゃうよね。でもさ、その、ご飯終わってから、出来れば仕事の後で良い?」
 心なしか顔を赤くさせ、レイランは「誤解しないでね。嫌がってる訳じゃないんだ。ちゃんと相談にのってあげたいからなんだよ」と付け足す。
「……あ、はい。すみません」
 青菜に塩をかけたようにミンファは縮こまる。たしかに事の対処を話す段階で腹痛や吐き気などの症状の話となれば、食事中に避けるべき話題になりかねない。

「ごめんね。でも安心して。多分ミンファが欲してる答えを提供できると思うから、ね?」
「っ⁈ 本当ですか! ありがとうございます!」

 正に天からの助け。レイランはユーイェンの病の見当が、或いは相談先の見当がついているらしい。
 あとはレイランに相談出来なかった部分、何かに悩む彼をどう支えるかである。ユーイェン自ら打ち明けられるようにさり気なく促すか、触れずにそっとミンファに望むものを聞いてみるか。
 遠回しではあるが、レイランに男性との接し方について教えて貰うのも一つの手だろう。
 食後の楽しみとしての菓子を一口。ぎっしりと木の実が詰まった饅頭の味も、まだ心からは楽しめなかった。
 昨晩のユーイェンの姿を思い出す。
 苦悩に満ちた重いため息、何かに耐え忍ぶ苦しげな声、自責の念から零れた涙。それからミンファへの別れの言葉と、ユーイェンの悩みを解き明かす鍵となりそうな謎のかんざし。
 大事な彼を支えたいと強く願うと同時に、ほんの僅かな不安がミンファの胸を燻らせる。

 はたして未来、心身共に元のように健康になった彼の傍に自分は婚約者として、或いは妻として居るのだろうか。
(何を私は……! 今はユーイェン!)
 取り留めもない愚かしいそれに、ミンファはひとり|頭《かぶり》を振る。
 最優先事項はユーイェンの健康維持と悩みの解決だ。場合によっては兄への相談も視野に入れねばならない。

 余計な事を考えないように、ミンファは二つ目の饅頭へと手を伸ばした。

「ええと、どこへ……?」
 戸惑うミンファはレイランに手を引かれ、八神とその神子八色玉達が住まう久安の石畳を進んでいた。
「ああ、ごめんね。珊瑚様の所。ミンファの話を聞いて、まずは珊瑚様の所へ行くのが良いと思ったんだ」

 レイランが言うには、まずユーイェンの神通力に大きな異変が起こっているのか調べてはどうかとの事であった。
 神通力については個々人の問題となり、一部の例外を除いて、勝手に神通力の強さや|種別《タイプ》、波を故意に感じ取ろうとする行為は神子の恥と禁じられている。
 その中で八色玉『|珊瑚《さんご》』はこの数少ない例外を務めとしている神子だ。

 彼女の役目は八神【珊瑚】の補佐、及び全神子の育成と統率。神通力の変化を監視し、神子内の危険因子を察知、適切に処置・通告を担う。
 龍神一族や八色玉の中では青藍に並び、親しみやすい性格であり、部下からも慕われている。
 また、次期八色玉の育成にも非情に意欲的、とある特殊な立ち位置から龍神一族との繋がりが非常に深いとの認識は神子内での暗黙の了解であった。

「個人的に聞くのは違反だけれど、大事に至っているか、いないかなら聞く権利もあるでしょ?」
 ユーイェンには悪いがとの言葉も付け足しながらも、レイランは規則の範囲内だと苦笑しミンファを説得する。
「それに珊瑚様は長く生きて……ええーと、ほら、経験豊だからね? 私の浅知恵よりもミンファの役に立てると思うんだ。話を広げるにしても、ね?」

 レイランの言う通り珊瑚ならば子細についての口外の心配もなく、誤審の危険性も低い。信頼に足る人物である。
 また先程、レイランからは同席の確認と、ユーイェンの胸に表れた痣の話題を珊瑚と交わして良いかとの許諾も求められた。
 つまりレイランは痣がユーイェンの状態に少なからず関わっており、その解決法も珊瑚の得意とする分野であると踏んでいるのであろう。

(痣、単なる植物のかぶれか、虫刺されだと思っていたけれど……そうだよね。虫刺されでの発熱も考えられるし、呪詛による痣の可能性もある……)
 残念ながらはっきりとは思い出せないが、記憶が曖昧だからこそ魔除けの紋に全く似てないとも言い切れない。
(もう一度見せて貰えたらきちんと伝え……って、私が見なくても良いのよ……?!)
 思わず浮かんだ案をミンファは瞬時に取り下げた。
 ユーイェンの肌をもう一度見たいと伝えるなど、紛うことなき痴女の行い。
 もちろん夫婦となれば床を共にするだろうが、それでも激しく寝返りでも打たない限りは彼の肌を見ることはないに等しい。

(わ、私ったら! 変な事を考えるなんて疲れてるのかな? 具合の悪いのユーイェンを支えるんだから、まずは私が健康管理を徹底しないと)
 はしたない妄想を恥じながら、ミンファは珊瑚の住まう屋敷の門を叩いた。

 門前払いも覚悟していたが、さすが顔の広いレイランである。
 あっさりと二人は珊瑚の元へと通され、間もなくして珊瑚と茶菓子をつまみ合うという機会を得た。

「ふむ……して、主らはユーイェンの神通力に世を揺るがす程の乱れがないか知りたいのじゃな?」
 ミンファとユーイェンとの関係や急な求婚に始まった彼の最近の不思議な様子を全て話し終えると、珊瑚は切れ長の瞳を一層細め、艶笑を浮かべた。
 静まり返る室内には神秘的な乳香と華やかな茉莉花の香が立ちこめている。
 瑠璃色の髪を持った主は豊満な体を猫のように伸ばし、間を置かずに頷きを返したミンファをのぞき込む。

「言わねばならぬのならば、言っておるがのぉ」
「では……」
「まあ焦るでない。ユーイェンの神通力に関して言えば、|現《・》|時《・》|点《・》で皆に伝えねばならぬような変化はないと言うとるだけじゃ。|妾《わらわ》『珊瑚』にも答えられるもの、答えられぬものがある。じゃが、悩める女子の味方になりたい気持ちは確かにここにあるのじゃよ?」

 意味ありげな笑みはミンファに更なる問いを投げかけているようだ。
(珊瑚様は答えられるものなら教えてくれるって仰ってると捉えて良いのかな……? このまま相談を続けても良いんだよね?)
 自身のことならば確証が持てないと引き下がるが、事は大切なユーイェンの身に関わる、最悪人身に関わる問題だ。
 それにせっかくレイランに設けて貰った場なのだ。できれば解決の糸口や方向性を見つけて帰りたい。

「あの、神通力の乱れからユーイェン様の身に危険が及んでいるかはわかりますか? 炎症や中毒、病の有無です」
「残念じゃが、本人の同意なしに病や心や身体への呪詛の有無を答える事は出来ぬ。呪術に至っては殊更、妾の言葉そのものが双方の糧となるしのぉ。それに病も呪術も妾の専門外なのじゃ」

 藁にもすがる思いで直接聞いてみたが、返ってきたのは想像通りの答えのみ。質疑の工夫で乗り越えられる場面だけに、己の無力さをまざまざと感じてしまう。
 ミンファは会話を終わらせまいと、間を持たす感嘆を漏らしながら、何か足掛かりになる問いを捻りだせないかと考える。
 不意に、ミンファの袖にレイランが触れた。驚きに揺れ動いた肩を深呼吸で誤魔化して、ミンファはレイランへと目配せする。
 レイランは眼差しを僅かに緩めると口火を切った。

「少し宜しいでしょうか、珊瑚様」
「なんじゃ?」
「ミンファの話を聞く限り、ユーイェン様の左胸には朱の痣があるそうです。まるで梅の花びらのようなものが……ユーイェン様のご様子からも、もしや隠忍自重の術後の印ではと」

 レイランの言葉に珊瑚の口角が上がる。
「ふむ。身の内に事象を秘め、耐え忍び、軽々しい行動への戒めとする……つまり印を刻むほどの術を施してまで、隠さねばならぬものを彼奴は秘めておると?」
「はい」

 ミンファにとって二人のやり取りは未だに信じられない。
 レイランの言う印とは呪術や特定の仙術を行使する際に稀に表れる印の事。この場合の印はそのものに効力や術の根幹がある訳ではなく、生物の気や神通力の流れを制御する力が巨大なあまり紋様の形をもって表れてしまったり、術を施した時に自然と残ってしまう、痕のようなものに近い。
 印は術者の属性や能力技量によって微細に異なるが、色形は概ねその術の種類に左右される。
 よって、レイランのように経験と知識があれば痣と印の差は一目瞭然であり、印からどのような術が行われたのかも推し量る事ができるのだ。

 印を残せる程の手練は少なく、国内では八神や八色玉、それに準ずる神通力と技量を併せ持つ高位の神子くらいであろうか。
 偶然、力のある神子が現れ、身体に影響が出る程の術の必要性をユーイェンに説き、彼も致し方ないと了承したという可能性も捨てきれないが、非常に考え難いだろう。
(仕事の関係で術を……? でも兄様がそんな危険な事を許すかしら?)

「印となると、失礼ながらユーイェン様がご自身にとは少々考えにくいかと」
「その点についてはなんとも言えぬな。それに呂家の童の被虐趣味に関しては知らぬところじゃ」

 意味ありげな微笑と言葉で、珊瑚はレイランの推測をはぐらかす。

「そうですね。ですが一介の下級官の私はユーイェン様のご職業やお立場、それから一風変わったお仕事でお忙しそうにしているご様子から、龍神様や黄家の方々が関与されてることも考えられるとつい、妄想してしまいまして」
 にこりと微笑むレイランの声音は鋭い。ユーイェンの体調や接し方を相談するはずが、話はあらぬ方向へ進んでいるような気がしてならない。
 仕事絡みかとは思ったが、そこに龍神や龍神に使える黄家が関わるとなると事は大事だ。黄家は言わば他国の王家や最高位の神官一族に近く、高位の官吏や八神の神子である八色玉達とは一線を画す存在。場合によっては、迂闊にミンファたち一般人が触れられる問題ではなくなる。

 ミンファは固唾を飲んで珊瑚の返答を待つ。

 暫しの時を経て、珊瑚の艶やかな唇が開いた。

「ぬしは面白いの。つまり黄家のお転婆姫の護衛に就いている――それは公の事実じゃが、それだけがユーイェンの仕事でもなかろうと言いたいのかのぉ?」
「珊瑚様! ……ミンファ、大丈夫だから」

 レイランの言葉にミンファは平気だとの答えの代わりに頷く。が、動揺しているのは本当だ。
 ユーイェンの最近の仕事内容など自分は微塵も知らされていない。それなのにどうしてそれをレイランが知り、珊瑚が公の事実などと言い表すのか。黄家とも武術とも深い関わりのないユーイェンが何故、適任とは言い難い年頃の令嬢の護衛に就くのか。ユーイェンの仕事がそれだけではないとは、印や最近の体調不良とどのような繋がりがあるのか。
 疑問は尽きず、様々な嫌な想像が幾つも浮かぶ。
 レイランはミンファの背を撫でながら、珊瑚をねめつけた。
「悪戯はよして下さい」
「わかった、わかった。すまんのミンファ。公の事実とは口の達者な黄家の長男が吹聴したから広まっただけ。仕事がそれだけでないとの言葉もそのままじゃ。|梅花《メイファ》の護衛だけでなく、黄家長男|苑麗《エンレイ》や龍神様の護衛を務めることもある。各府の記録書類の監査に八神やその神子の仲裁、商家への財務指導に神子の育成支援の補助などな、彼奴の部署には多方面で協力して貰っておる」

 そこまで告げると珊瑚はミンファの手を取り、悪戯を企む少年のように微笑む。

「安心せい。ユーイェンが他の女子を想うなど、どうして、どうして。読心術の心得などなくとも一目瞭然じゃろう。それにあのシェシンが許し、協力するはずもなかろうが?」

 前半部分については正直自信がない。不貞を行う人ではないと固く信じてはいるものの、彼の本当の心の内までは知る由もなく、束縛して良いものでもないからだ。

 しかし兄のくだりついては説得力がある。
 のらりくらりと掴みどころなく、軟派に見える兄ではあるが、弟妹への愛情の深さはミンファも日々感じている。また長兄のリュウシンと違い、異性への対応や恋愛に関しては拘り故か少々口うるさいほど。一時的ではあるがユーイェンとの婚約に唯一難色を見せ、拗ねたのもシェシンであった。

 ところがそうなると、今度は新たに全く関係の無い事柄をレイランが会話に出すだろうかとの疑問も沸く。
 龍神や黄家が絡むとなれば、ユーイェンの不調の原因究明や解決にはより一層慎重に行動せねばならない。それこそ軽率なミンファの行動がユーイェンの命を危うくする事になりかねないからだ。

「心配をかけたようじゃの。ミンファ。済まなかった」
「いえ……それよりユーイェンは何か龍神様の怒りを……?」
「怒り? ふむ。そうだな。おそらく違うとは思うが……まだ何も言えぬ。しかしレイランの読みが当たりそうな予感はするのぉ」
「読み……?」
「ああ、ミンファ。つまりね」

 レイランは困ったように肩を竦める。
「私みたいな経験の浅い者が見てもユーイェン様が担ってるメイファ様の護衛は護衛に見えないんだ。そんな傍目から見ても異様な仕事を、エンレイ様はユーイェン様へ名指しで依頼している。自分が頼んだとわざと触れ回ってね」
「あからさまじゃ。別の意図があるのじゃろう。例えば黄家の勢力を伸ばす為にユーイェンを取り込みたい、或いは何かしらの目的があって頻繁に接触する必要がある、――無論、メイファのわがままなんて話を隠れ蓑として、などじゃなぁ」
「ユーイェンを……?」

 二人の言わんとする事は理解できる。
 一部の八神や神子間では派閥争いや探り合いが頻発しており、ユーイェン達が諍いや妨害事件の処理に追われているとも聞いていたからだ。
 但し、言い方は悪いがユーイェンのような若く、高位でない官吏を引き抜く為にわざわざ黄家長男が自ら動くとは俄には信じ難い。

「詳細はわからないけど。黄家が関わった事で、ユーイェン様が術を受けなければならない状況に陥ったのかも」
「まあそうじゃな。その逆もあるかもしれぬ。兎も角。【隠忍自重】の術を示す印とミンファが見たというユーイェンの様子とをも併せて考えると、童の状況については、あるひとつの仮定が浮かぶのぉ」
 再び、悪戯を企むような笑みを珊瑚は浮かべると、話の続きを任せたと言わんばかりにレイランへと視線を投げた。
「あぁ、うん。そう」

 ところが数秒前の堂々とした立ち居振る舞いは何処へやら、レイランは歯切れの悪い言葉を二言、三言告げたのみ。あとは明後日の方向を向いたり、意味もなく室内の装飾品へと視線を向けたりと、つい最近どこかで見たような、既視感のある反応を見せる。

「何を今更。きちんと為す事を成しておいて」
「でっ、ですが、そのやはりこのような憶測を当事者のいない所でミンファに直接伝えるのはいかがかと」
「ここにユーイェンがおって、間接的なら良いのか? 隠忍自重の術の全容が掴めぬ以上、それは危険じゃろう」

 二人はしばし関連性の見えない事柄を挙げては、困惑するミンファを置いて取り留めのないやり取りを交わす。
 そして、ユーイェンやミンファの性格に関係性、年齢や国内外の情勢などの全く関係性の見えない事柄に、術の考察、神通力の影響に黄家と神子との力関係などの|仮《・》|定《・》と関わりそうな事柄までをも挙げた後。

「仕方ないのぉ」
 ようやく。未だ本題に触れようとしないレイランに代わって、珊瑚は戸惑うミンファへと視線を向けた。


「ミンファ。事は重大じゃ」
「珊瑚様!」
「ええい、良いじゃろう。レイラン! 年老いてくると芝居がかりたくなるんじゃ! それに妾は悩める若人を規則じゃなんじゃと放っておくほど我慢強くもないと知っておろう! ……つまりな、ミンファ」

 珊瑚は神妙な面持ちに返ると、一歩近付きミンファの手を取った。

「は、はい!」
 わけもわからず。しかし重大との言葉に内心は不安を覚えながら。ミンファはそれを両の手で握り返す。

 大事なユーイェンを支えたい。
 悩みなく、健やかに、彼が健康で幸せに過ごせるように。
 恥も外聞も裏切りなのではとの罪悪感も捨てて、ミンファは状況打開の策をたてる為に最大限の努力をしたいとここに来た。覚悟を決めて屋敷の門をくぐった。

 しかし。

「お主の婚約者はムラムラしておるのじゃ」
「はいっ…………はい??」

 ここに来て。予想外のそれに。ミンファは口を開けてしまった。