missing tragedy

かんざしには嘘を、××と君には×情を

『善は急げ! 行動せよ乙女』


「は、はい! ええと、これは」
 思わず苦し紛れに指さした先には先の品、謎の紫の手触りの良さそうな布と不思議な置物。
 自ら知ったかぶりの仮面を外してしまったと気づいた時にはもう遅い。

「これは、あの、ええと……良い感じに見えるなぁと…………すみません。実はよく知らないんです。色々教えていただけると……」
 足掻いても無駄だとミンファは項垂れる。くすりと意味ありげな微笑みを零すと、手馴れた様子で店主は商品を手に取った。
「はい。こちらはですね。女性の大事な場所を模したものなんです」
「は……はい……」
 急所のことだろうか。もしくは女性が失う事を恐れるであろうと予想される部位。
(首……頭……眉間? 女性なら髪や肌かな? 形からすると首や腕が近い気も……性的なもの、或いは乱れた心を整えるのに役立つ道具であるはずだから……本になにか載ってたかな?)
 置物を眺めながら、ミンファは様々に思考を巡らす。

「男性にとっても魅力的な場所ですもの。本能を呼び覚ます刺激的な仕様になっておりますわ! 一つ一つこだわりもあって、造りも丁寧。職人の腕の見せ所ですわね」
「はあ……ええ。細かいですね?」

 正直、職人の方々には失礼とは思いつつ、素人のミンファには造りの丁寧さ以前に何を模しているのかさえさっぱりである。
 置物について言えば、何かしらの植物を掘り出したにしては整っている事から、鋳型に液状の素材を流し込み、加工したものなのではあろう。
 しかし見て飾って楽しむというには些か素朴であり、刺激的な発色とも言いづらく、具体的な使用目的も見出しにくい。
 隣の巾着についても同様。やはりいくら見ても感想は同じである。

(わからない……ユーイェンが持っていたかんざしみたいに神通力か何かが込められていて、枕代わりに抱いて寝るとと落ち着くとか? 刺激的なのは香りかな? 原材料が香木かなにかで……うぅ、審美眼をもっと鍛えていればわかったのかなぁ……)

 しかしここで諦める訳にもいかない。
 どのように使うか。どんな効果が期待できるのか。可能ならば、ユーイェンが望むものに合わせられるよう、何通りかの効果的な使用方法と頻度の組み合わせも知っておきたい。

「あのっ……これにはどのような効果が? どのような時にどんな風に使えば効果的なのですか?」
「そうですねぇ。お嬢様がお使いになるのでしたら、まずは相手の方にお聞きするのが一番ですわ」
「ええと、使っても良いか、まず意思を確認するという事ですね?」
「意思確認……ええ、そうですね。逢瀬がそろそろ終わりそうな時にこうやって手を握るでしょう?」
 そう言うと店主はミンファの手を握る。
 突然の接触と白粉の香りに驚き、固まるミンファをよそに、彼女はまったく動じずに続けた。

「今のお嬢様のように相手もドキリとしますわ」
 ドキリとしたのは事実だが、ときめきとは異なるそれでも構わないのだろうか。
 そもそも|逢瀬《デート》らしい逢瀬を経験したことの無いミンファには、なかなか厳しい前提条件である。

(手を握り引き留める……が、頑張らないと……!)
「そこで殿方を見上げて、想いを告げるのですわ」
 ミンファは大きく頷く。

(見上げ……らなそうだから、別れ際に手を握って、最近の体調の事を聞いてからさりげなく道具を使っても良いか聞く……! げ、玄関や門の前で……?)

 確認場所が大胆この上なく、一見すれば大変恥ずかしくも思えるが、店主が断言するからにはさして珍しくない行為なのだろう。
 考えてみれば道具の使用目的は精神や神通力の安定を計るもの、使用者の性的欲求との関与は示されていない。体調管理や運動、趣味、趣向品とも通ずるものがあるとも言えよう。
 好きな茶を勧める時と大差ない、世間話の一環として話して良い類の話なのかもしれない。

「はい、頑張ります」
「殿方も矜恃がありますからね。最初はお嬢様からのお誘いを拒まれるかもしれません。その時は殿方のせいでおかしくなってしまったと、身体が熱く疼くのだとお伝えして」
「え……?」

 ところが、不可思議な提案にミンファは僅かに不安になる。
(誘う? 意思確認でなくて、使ってみないかと誘って……それからユーイェンを咎めるの?)
 珊瑚の許可が降りない限り治療は極秘であり、ある程度の駆け引きが必要だとは思っていたが、難癖をつけて無理強いするのは如何なものか。
「あの、私、彼には感謝しかないのですが……」
「ならばそれもお伝えしましょう」
「? 身体が熱いとか、そのような事も伝えなければいけませんか?」
「そのうち熱くなりますし、嘘ではないですわ。男としてお嬢様が悦ばれる事ほど、嬉しい事はありませんのよ」

 店主の言葉にミンファは益々首を捻る。
 たしかにユーイェンはミンファと喜びを分かちあってくれる存在で、ミンファが嬉しい、楽しい、美味しいなどと喜べば共に笑ってくれる人ではある。しかし。

(でも、だからこそ私がそんな事を言ったら、ユーイェンは心配するし、すごく気に病んでしまうような……あ、もしかして熱いって一緒にいると嬉しくて、ドキドキしてしまうという事?! 「貴方のせい」は「貴方のお陰」で、おかしいは面白い……!)

 信じ難い己の閃きだが、店主が独特の表現を好むとすれば全てが腑に落ちる。
 神通力の安定が精神安定に左右されるように、仙術と|精神《こころ》には深い繋がりがある。
 使用する際の気持ちによって、効果の有意差が認められる事にはなんの不思議もないように思えた。

「なるほど! 事を成すには気持ちが大事、結果に差が出るという事なんですね……!」
「ええ。いつものように羅漢床へお誘いしましょう」
「えぇっ?! で、ですが、それは……」
「お嬢様」
 不意に店主の笑みが深まり、ミンファの背にたおやかな手が伸びる。豊満な体をぴったりと寄せられ、ミンファは思わずぞわりと走った悪寒に身震いしそうになった。

「婚約者様は素敵なお方なのでしょう? きっと女性との経験もそれなりに嗜まれてきた中で、お嬢様を選ばれたに違いありません。ここでもう一押し、ふた押し。お嬢様の新たな一面を知れば、益々お気持ちを固める気になると思いますよ」

 艶やかな声も内容も、それどころではないミンファには届かない。
 つうと背を指でなぞられ、意味深長な素振りで手をも握られ、その度にミンファは何故か震え上がりそうになる。
 父や兄に頭を撫でられた時とも、弟に抱きつかれた時とも、友人と歓喜に抱き合った時とも異なる。当然、ユーイェンに触れられた時のような、言葉に尽くせぬ優しく温かな心地良さとも違っている。

「すみません、少し……」
 青ざめ、強ばるミンファに気付いているのかいないのか、店主は切れ長の瞳を細め、艶笑を零した。
「羅漢床で見つめ合えば、婚約者様の方からどうして欲しいか仰って下さいますわ。お使いになる時はゆっくり、優しく……焦らすくらいが効果的ですわね。今回は特別に……」
 店主の細い指がミンファの頬を撫で、真っ赤な唇が寄せられる。
「ひっ?!」
「夢中になれる香油もお付けしますわ。潤滑剤にお使いになると、これがもう、凄いんですのよ? 普段は真面目一徹な旦那様も品行方正で淡白な婚約者様も、まるで桃源郷のようだと虜になってしまわれて」
「あ、あの、わかりましたので」

 あまりにも近過ぎる距離に耐えきれなくなって、ミンファは店主の肩を押すが、その手の力は普段よりもずっと弱々しい。
 大樽を担ぎ、誓鳥府の力仕事を一手に引き受ける力も、か弱い女性相手の善意の前では無力である。

「香油はお嬢様もお使いになれますからね。一緒に使うも良し、おひとりの時にも……。毎日沢山お使いになればきっと、お嬢様のお望みも叶うと思いますわ」
「はい、はい……っわかりましたので……!」
「では、どちらになさいますか? ああ、そうでした」
 半泣きのミンファの目の前で、店主は何かを思い出したように手を打った。そして声を潜めて微笑、置物のようなそれを手に取る。

「婚約者様の大きさ、大方で構いませんの。教えていただけますか。こちらの種類ですと大きさによって少々お値段が」
「お、大きさ? ええと、背は私よりも少し高くて、平均よりは少し高いかもしれません。体はどちらかと言うと細身で……」
「ふふ。面白いお嬢様ですね。そちらではなく殿方の大事な所、お嬢様を求めて興奮なさる所ですわ」
「へ?」
 一瞬意味がわからずにミンファは呆けるが、それも束の間。すぐに店主の指すそれは昨晩読んだ書物の内容と重なる。
 途端、ぼんやりと抽象的だった店主の発言や目の前の素朴な工芸品は、生々しくいやらしいものに。ミンファの顔は赤く染まってしまった。

(興奮って、ユーイェンの大きさって……⁈ 生殖器官のあの?!)

「一般的な筒型は大きさの選定と内部の仕様の好みで大きく使用感が左右されますわ。大きさに素材、形状などの好みに合わせて至極の逸品を作る事も可能なので、初心者様から愛好者様まで幅広く愛されますの。ご経験の少ない方の中には、練習として指を使われる方もいらっしゃいますわ」
「れっ、ゆっ、つつ……?!」
 赤面絶句するミンファに対し、気を良くした店主はもう一方の巾着の箱も手に取る。

「ええ。あと、こちらの布製は比較的どのような大きさにも対応でき、お使いになる方がその場で微調整しやすいのが特徴ですわね。お二人でお使いになる時に様々な使い方ができるのもこちらですわ。大きさの判断がつかないようでしたら、布製にいたしましょうか?」

 流暢な店主の言に押され、ミンファは促されるままに首肯する。
 妖怪や珍しい呪術の如く、あやふやで不確かな存在であった淫具は実存していた。
 古典的で独特な挿絵が表す行為が現実味を増し、何を行っているのかも少しだけ想像できるようになった。
 たったそれだけのこと、珊瑚の書物の正しさが証明されただけであるのに衝撃は大きい。ものすごく大きい。

(男性のあの大きさなんて、意識したことなかった……。それに筒に入れてって、入れて何か変わるの?! 潤滑剤って、ゆっくりって何をどう、ユーイェンに聞くって……?!?!)
 気が付けば、ミンファは筒と布が入った二つの箱と小さな陶器の薬壺を今月分の給金と交換していた。
 羞恥と衝撃で足元は覚束なく、財布も恐ろしく軽いが、ユーイェンの健康の為と思えば安過ぎる買い物ではある。

「そうでした、お嬢様」
 釣りを受け取り、布で覆った品々を抱えたミンファへ、店主は三日月のような瞳を向ける。真っ赤な唇が近付いて、白粉の香りがミンファの頬のすぐ傍を過った。

「最新式の仙術を利用した筒型ですと、お嬢様の心地に合わせた仕様にもできますわ」
「いっ、いいです‼ 私のような新参者が踏み入ってはいけない領域ですので‼」

 不穏な提案にミンファは首を激しく左右に振る。
 おそらく深く尋ね返してはいけない、これ以上聞くのは危険だ――そんな本能的な感覚に続けて二歩三歩、後ずさった。

「ふふ。そうですか? では遠距離の時は是非ご贔屓にと、未来の旦那様にも。お嬢様もまた何かお困りの事や更なる世界に出会いたい時などに、是非」
 にこりと微笑む店主に一礼し、ミンファは店を出るなり駆け出す。

 昨晩の書物の内容が頭の中を幾度も巡り、ユーイェンの悩ましげな溜め息が耳の奥で木霊する。
 彼の朗らかな笑みと紅色の痣を思い出し、ミンファはぎゅっと包みを抱き締めた。