missing tragedy

今日も君とご飯が食べたい

屋台名物、選別スープ?! ②

「ふむ……。その研究員の答えが真実だとして。人の少ない、およそ2メル四方の空間が確保出来る場所ならば、呼んでも差し支えないとは……随分と神獣は従順で配慮の出来る存在なん……おっと、」

 シリウスが言い終わる前に、ズンっと僅かに地面が揺れる。
 メルトムント市街の東広場、魔法院前にある噴水脇のベンチにて。ひとまず検査を終えたフィーネは兄シリウスと合流していた。

 二人の手には『魔法使いも魔術師も! 院前名物 神官の選別スープ!』との謎の売り文句のカップ入りスープ。
 屋台で購入したばかりの汁気少ない具だくさんのそれとスプーン代わりに使うというスティック状のパンは、先の振動を受けてふるふると揺れた。

「アッハハハ、あ……す、すみませ~ん」
 広場中央、仲間に尻尾をつつかれ、己の振る舞いに気付いた彼はオレンジ色の頭をかいていた。
 どうやら誤って、シリウスの身長の二倍程もあろう尻尾を地面に叩きつけてしまったらしい。

 想像よりもずっと緩やかな曲線を描くトカゲ型の彼――知識の少ないフィーネには人間が定義した生物分類学上、おそらく雄であろうとしか判断できないが――は、フィーネが思い描いていた竜族とは多少異なり。空を覆う程に巨大で屈強、頑固なイメージには程遠かった。

「大丈夫か、フィーネ」
「うん」
「まあ、神獣の事については、カイが戻ってから相談し、早速今日にでも試すか」

 垂れ込めていた朝靄はすっかり晴れ、日は既にだいぶ高くなっている。
 さすがはリィノスト平原最大の都市。行き交う者たちの種族も多種多様だ。

 元は人間しか住んでいなかった事に加え、他種族の魔法技術の方が進んでいるという事情から街並みや法律は人型仕様、多種族であっても人型への変化魔法を使用しての滞在が大多数を占める。
 しかし中には先の彼のように、明らかにこの街では過ごし辛いであろう体型の者も居る。

(失礼かもしれないけど、なんかフォルムが可愛い……でもホテルで寝る時は大変そうだなぁ……ん? そもそも、ベッドで寝る習慣ってあるのかな? あと魔法で変化したとしても食べ物の好みは変わらないよね? 食べ物とか調理法とか、人間と同じでも平気なのかな?)

 目新しい都会の様子に興味津々、滲み出る田舎者感に気付かないフィーネに対して、学生時代から様々な地方へ訪れているシリウスは普段通り。しかめた顔すら美しく、屋台のスープ片手に人を待つ姿でさえ色気と憂いを帯びている。

「カイはまだ魔法院か。全く、なんで俺が同伴しては駄目なんだ?」
「それはまぁ……いくら仲が良くても、お兄ちゃんとカイは戸籍上他人だもん」
「規律の上では許されぬ事は知っている。が、話を聞く限り罪になる可能性も非常に低く、実際の同行願いも名ばかり。カイと俺の仲が特段良いからでは無く、知人として。実験動物の如く実態が不明瞭な施設に、しかも事情説明も足りぬまま連れさらわれるのは気分が悪いと言っているんだ。これは単なる愚痴だ」

 さすが我が道を行くシリウスである。至極まともな事を述べている風を装いながら、中身は個人的な感情しかない。そしてそれを自覚し公表して尚、不満を隠そうとしない。

「お兄ちゃんだね……」
「不満か?」
 真顔で問う兄にフィーネは笑う。
「ううん。ところでカイ大丈夫かなぁ。院内なら大丈夫らしいけど、やっぱり私も心配だよ」

 シモンやクラウディオがいくらカイを援護しても、検査結果が故意でない事を証明できるといっても、法令と詳しい疑惑を知らぬフィーネの不安は拭えない。
 理由や事情はどうであれ、許可なく魔法を使ったという事実は事実として罪とみなされてしまうのではないか。不安で不安で堪らなかった。
(もう少し法学を勉強したり、せめてシモンさんやカイにお話を聞いておけば良かった。列車を降りてからもカイとは話せてないし……)

 それになぜだか少し落ち着かない。

 あの夜の事を思い出すと、有難くて嬉しくて自然と頬が緩んでしまうのに、すぐに羞恥心と一緒にちょっと落ち込んでもしまう。
 時々お腹の上がもやもやしたり、苦しくなったりどうにもおかしい。

 いつものように二人で会う機会が訪れた時に、はたしてフィーネは平静を保てるだろうか。
 駅でカイや兄と別れた後、一人で落ち着いて考え始めてからは徐々に自信がなくなってきてしまった。

 細かな事が気になる面倒臭い兄の如く。このままだとフィーネもカイに廃城へと来てくれた理由をわざわざ尋ねたり、告げてくれた言葉の意味を自分の推測と同じか確かめるような発言をしてしまう気がしてならない。

(どう考えても、会いに来てくれたのは単にあの時私がどうなるかわからなかったからだし。それにカイはちょっと心配になるくらいお人好しで優しい所がある人だよ? 私がお兄ちゃんやリゼちゃんでも、ああいう風に助けてくれるんじゃないかなぁ……)

 試してみれば、案外想像は容易く出来た。同時に益々羞恥心が込み上げてくる。

(全然、カイにとっては当たり前の事なのに……私、カイにとってちょっとだけ特別な友達なんじゃないかとか、凄く大事に思ってくれてるんじゃないとか……! ううん、大事には思ってくれてると思うけど! なんかなんか自惚れが過ぎるし烏滸(おこ)がましいし……感謝、感謝だけをうまく伝えられるかな……? これからも新鮮(?)な感謝の気持ちをいっぱい返したいし……神獣さん? も探して、もっともっと頑張って……)

 思考が混沌とし、顔が熱くなり、目が回ってきた。
 彼は困っている人を放っておけない性格だ。温厚で誠実。気弱で真面目過ぎる部分もあるが、一度誰かを助けたいと心を決めたら強い人だ。

 今回の件も単にその素晴らしき人格が行動に表れた結果である――そんな一貫した明確な答えが出ているはずのに。
 まるでどこかの玩具みたいにフィーネはぐるぐると同じ所を回っては、何度も答えにぶつかって。喜んだり誇らしく思ったり、納得したり落胆したり、悶々としたりしている。

(なんか、おかしい……このスープも煮込んだパープストマトがすごく美味しそうなのに、飲んでも味がよくわからない……)

「お前……」
 いつもは次の屋台食へと興味を示すフィーネが黙り込んでいたせいか、シリウスの整った顔が僅かに曇る。

「だっ、大丈夫だよ!」
 しかし美しくも鋭い切れ長の瞳は緩まない。フィーネは猫を前にした鼠……ではなく、神を前にした凡人の如く、慌てふためいた。左手からべこり、と奇妙な音が聞こえて目の前の美神の眉間にしわが寄る。
「本当に。全然平気だよ!」
「本当か? 顔も赤いし瞳も潤んでいる。スープカップも歪んでいるじゃないか。風邪なのではないか? 悪寒は? 腹を壊したり、鼻は出てないか?」
「壊してないし、出てないよ……! カップはちょっと力加減を間違えちゃっただけで!」

 それは真実だ。カップを壊してないとは言いきれないという点以外は。
 そしてシリウスのせいで先程とは全く別の理由から、ますます顔が熱くなってきたのも真実である。

 きっと今、自分の顔を鏡で見たら採れたてのパープストマトのように真っ赤になっているに違いない。

「遠慮する事はない。お前のおしめを替え、垂れる鼻を拭き、食べカスとよだれで汚れた服の洗濯をしたのも……」
「お兄ちゃん! 本当に本当に大丈夫だから!」
「……本当に大丈夫なのか?」
 それは様々な意味でこちらの台詞であるが、流石に世話になった兄に対して返せる台詞ではなかった。

「ちょっと、スープの味がわからなくなってるから……ほんのちょっとだけ疲れてるだけだと思う」
「それは大事件だろう!」

 真顔で心配しだすシリウスにフィーネは弱りきってしまう。
「全然大丈夫なんだよ、大丈夫、大丈夫だから……」
「お前まさか…………」

 しばしの間の後。

「…………カイか?」
 一気に核心に近付かれフィーネは飛び上がった。

「っ! いや、違うよ!! 全然私の問題……!」
「やっぱりそうじゃないか。なんだ? その腹について何かデリカシーに欠ける事でも言われたのか?」
「えっ……?」
 絶妙に核心から離れた推測に、フィーネは冷静さを取り戻す。

 まさかそんな兄のような発言をカイがするとでも思っているのだろうか。
 フィーネは一瞬迷ったものの、むしろ兄の性格なら有り得るのでないかと思い始める。

(お兄ちゃんなら……それに……)

 兄ならば『腹について』との言葉が表すものも、神継者の影響によるあの得体の知れぬ靄状の変化を差してはいない気がしてきた。
 カイは突然の身体変化に困惑し、ショックを受けている人間にデリカシーのない言葉をかけられる人ではない。

 そして、それくらいは長い付き合いのシリウスも感じているはずだ。

(それよりも私がスープの味がとか言い出したから……食欲がない、ダイエットを急に意識しているのか? 何かあったのだろう……からの、度々食事を作ってくれるカイに、健康の為に体型や食べる量について言われたんじゃないか……とか? ……お兄ちゃんの確認無しの飛躍理論なら十二分に有り得る)

 押し黙るフィーネの背をシリウスは撫でる。
 慰める仕草は優雅であり、穏やかな表情は慈愛の女神のよう。傍目から見れば恋人を慮る心優しき美丈夫だと思われるだろう。
 しかし、贔屓目を抜きにしても美しい顔で続けられたそれは。

「気にするな。俺もカイも心の底からフィーネの健康を願っている。奴の事だ。大方、常日頃の食物の大量摂取から腹を壊すのではないかとの憂慮が、羞恥のあまりうまく言葉にならなかっただけだろう」

 心の底からの善意で妹を慰める言葉。しかもカイの性格を理解し、(想像上のカイに対してではあるが)庇い援護まで。兄の精一杯の言葉ではあるのだろう。

 なのに、手放しで有難いと思うまでに至らない。なぜだろう。やはりフィーネの性格が悪いのだろうか。

「ありがとうお兄ちゃん……でも、そんな事言われてないよ。大丈夫だよ。本当に」

「神獣の呼び出しは明日朝でも構わないだろう。カイと合流したら宿でゆっくり休むといい。縄の用意は俺たちがしておく」

「……縄? 縄はいいよ??」
 縄はいい。神獣とは仲良くしたいのだ。縄では敵意しか伝わらない。
「わかった。ならば餌と檻か」
「檻もいいからね?! 布団とかで良いから! あとお兄ちゃんはカイに迷惑かけちゃだめだよ?」
「俺がカイに? 一度たりとも迷惑をかけた事などないだろう!」

 不満げな兄にフィーネは苦笑。やがてそれも普段の笑顔へと変わる。

 もしかしたら的外れな兄の考察は、場を和ます為の兄なりのジョークだったのかもしれない。

 フィーネはカリカリに焼けたパンにスープの具を乗せ、口に入れた。よく煮込まれた豆と野菜が美味しい。選別との名とは逆に具材の食感は統一されており、食べごたえもある。パンにまぶされた香ばしい粉チーズの香りも食欲をそそる。

 しかしいかんせん、ゆっくり食べていたせいで固めのパンも汁気を吸い、へにょへにょになりかけている。このままでは底に残った具をすくえるかどうか、危ういところだ。
 もしかしたらシリウスが冗談にフィーネへの気遣いを込めたように。あえてのスプーン代わりのパンには、熱いうちに食べて欲しいという製作者の意図が込められているのかもしれない。

「美味いか?」
「うん! ありがとう。お兄ちゃん」

 フィーネの顔も謎のスープも、手に負えぬほどの熱さは既になかった。代わりに浮かぶのは笑顔。フィーネだけでなく、シリウスの表情も緩む。

「これ、結構美味いな。今度カイに頼むか」
「もう。お兄ちゃんはカイに頼り過ぎだよ……」

 フィーネはそこまで告げて口を噤む。
 兄の結婚について、さりげなく聞く良い機会ではないかと思ったからだ。

「ところでお兄ちゃん。その、遅れてしまったんだけれど……今回のこと、本当にごめんなさい」

 フィーネは半身をよじり、隣の兄へ頭を下げた。

「お義姉さん、怒っちゃったよね。もし良かったら私から謝罪と事情説明と、できないかな? この体が制御出来るまでは手紙になっちゃうし、私がしゃしゃり出て何ができる訳でもないけど……」

 頭上の兄は言葉を失っている。
 当事者でもないフィーネが出ていったところで手遅れかもしれない。それどころか、相手に既にその気がないならば余計こじれるだけだろう。
 そのあたりは恋愛経験が皆無であり、相手の事も知らず、コミュニケーション能力に自信も無いフィーネには判断できない。

「でも、もしお兄ちゃんが大丈夫だと思うなら、不快にさせてしまった事だけは手紙で謝りたい。もしかしたら、事情を話して安全だってわかってもらえば、お兄ちゃんとの結婚だってもう一度……っ」

 ぽん、と。大きな手がフィーネの頭に触れた。そのままその手はフィーネの髪をわしゃわしゃと撫でる。

 見上げれば、世にも珍しい兄の微苦笑。頬は僅かに朱に染まっていた。

「謝罪は言いそうだ。彼女はその……だいぶあれだからな……」

 照れ臭さを誤魔化すかのようにシリウスは瞳を閉じ、記憶を辿るようにぽつぽつと言葉を続ける。

「理性的と言うか、矛盾ない事象に対しては己の感情にあまり頓着しないと言うか。結婚が多少伸びたとして、俺との関係や気持ちに大差が出るとは思えないそうだ。ただ、めかしこんだお前に会えなかった事だけはひどくがっかりしていた……」
「そう、なの……?」
「ああ。彼女はあまり大多数ではない家庭環境で兄妹もいない。それが全ての理由ではないだろうが、お前の事を非常に好ましく思ってくれているのは本当だ」

 乙女も羨むほどの滑らかさを持つシリウスの頬は僅かに赤い。
 初めて見る表情に、フィーネは罪悪感も忘れて呆けてしまった。

「前に写真を見せた時も俺以上に興奮してたな。まあ。多少不安ではあるが、彼女は純粋で賢い人だ。お前を大事にしてくれる、信頼に値する人間である事だけは俺が保証する。今回の事も随分と……俺や結婚の事はこれっぽっちも気に留めず、お前の事が心配だ、仕事を代わるから休んですぐについて行ってやれ、旅費は足りるのか、薬は余分に持ったか、担当者の連絡先を複数知らせろ、お前の保証人にもすぐになれる……と」
 早口でまくし立てると、兄は一息つく。

 どうやら義姉は兄に負けず劣らず頭の回転が速く、適応力や包容力のある優しい人のようだ。そして想像よりもずっとずっと兄は義姉を信頼し、尊敬し、愛しているようでもある。

(嬉しいなぁ……)
 フィーネの頬はさらに緩んでしまった。

 十にも満たぬ兄が顔をひきつらながら呟いていた言葉。幼いフィーネには意味もわからず、ただ兄から笑顔を奪ったという記憶だけが残ったそれ――「くだらない。俺が愛想笑いし、一言二言気遣う声をかけただけで揺らぐのか。男も女も新たな恋だのなんだの、グリーンピースさえ入らない頭なんだな!」。

 自身へと向けられる特定の好意や凝り固まった偏見と恐怖は、長年シリウスを苦しめてきた。
 そんな兄が義姉と出会った事で、誰かを尊び慕い、心の底から愛せるようになったなんて。
 しばらくグリーンピースや青豆スープが苦手となった甲斐もあるというものだ。

(へへへ……! お兄ちゃんが誰かに嫉妬まで……なんか新鮮だなぁ)

 同時に、一度でも契約結婚を疑ってしまった自分を恥ずかしく思う。
 照れたり、素直に義姉の人柄を敬ったり、些細な言葉を覚えていたり。様子を見るに、もしかしたら淡白なシリウスの方が義姉を慕い、交際へと発展したのかもしれない。

(お兄ちゃん、お義姉さんのこと大好きなんだなぁ。『俺や結婚の事はこれっぽっちも……』って、拗ねて子供みたい)

 しかし。
「……ああ! 全く、フィーネの兄は俺だというのに!」
 息を整え、続いた兄の言葉にフィーネは虚をつかれる。

(えっ……そ、そっち……? 兄の立場を奪われて悔しいって事?! あ、それとも照れ隠しかな?? ……まぁでも、良かった。嬉しいなぁ)

 兎にも角にも、兄の婚姻の話が破談の方向に傾いていない事にフィーネは安堵する。

 早く神獣を見つけ、制御方法を見つけたい。出来れば一人で生計を立てて生きていく方法も。そうすれば心配性な兄も安心して結婚し、家庭を築く事が出来るだろう。

「お兄ちゃん。ありがとう、ごめんなさい、私も会いたいですって。お義姉さんに伝えてくれる? あ、お手紙書いても大丈夫かな?」
「大丈夫だと思うが、念の為確認しよう」
「ありがとう。あとお兄ちゃんも……本当にいつもありがとう」
「……別に。俺がお前を構いたいと思って動いているだけだ……」

 ぶっきらぼうな返しに笑うと、今度は両手で頭を撫でられる。犬の顎下を撫で回すような仕草は、妹に対して些か一般的とは言い難いが。そこにシリウスの深い愛情が込められていることだけは、フィーネにもわかっていた。

「フィーネ。彼女はその……わかっているかもしれないが、魔術師で研究者、しかも己で幸せを掴み取れる癖にわざわざ俺と生活したいと望むような変わり者だ。純粋な奇人だ。ただ誰が頼まずとも人の幸せを願い奔走し、やり遂げてしまう。強く、優し過ぎる女性だ」
「へへへ、うんうん」
「だから俺の予想が外れなければ、おそらく彼女にはすぐ会える。もし俺がいない時に出会った時はくれぐれも、くれぐれも驚かないように。心しておいてくれ」
「う……うん……」

 シリウスは真顔で告げる。頬は既に赤くなく、眉間のしわも戻っている。

(もしかして最後のくだりは惚気じゃなかった……?)

 フィーネはまたほんの少しだけ、義姉に会うのが不安になってきた。