missing tragedy

今日も君とご飯が食べたい

懐古? 新味? 学びと解と。ひき肉団子のスープ ①

 フィーネが屋台の主人へと事情を話すと、相手は少しだけ残念そうな顔をしつつも快諾してくれた。

 まるで兄妹のように同じ表情を浮かべる奥さんやガックリと肩を落とす娘さん達には申し訳なかったが、当のシリウス本人に全くその気は無く、結婚を控えた義姉や後々の互いの事を思えば致し方ない。
 フィーネは痛む胸と兄の軽率な行動を謝罪したい気持ちを必死に隠して礼を重ね、周囲の物への力加減を誤りながらもカイとシリウスの元へと向かった。

 先程までの不安や緊張は少しだけ和らいでいる。

 兄の件で流されてしまい魔法院での結果をまだきちんと聞いてはいないが、カイの解放やいつもと大きく変わらぬ様子からシモンからの話の通り、取調べと検査等により無罪は証明されたのであろう。クラウディオとのやり取りもフィーネの杞憂に終わったようだ。

(本当に良かった。それに……)

 計らずも先の騎士団でフィーネはカイが具体的に何をし、罪を疑われたのわかってしまった。
 もちろん一部ではあるかもしれないが、行き着いたそれは実に彼らしく。
 フィーネか知らぬ罪に問われた部分も例えば、先のカイが行ったように誰かを助けようとした時に意図せずに使い、己の身体能力以上の力を使ってしまっていたとか。村の作物が美味しく実るよう願うあまり、作物の疫病や土壌汚染を防ぐ魔法を使ってしまっていたとか。
 そのような微笑ましい類いの疑いなのではないかと予想している。

「へへへ…………っ!」
 気持ちの悪い笑いが出てしまい、慌ててフィーネは口を閉じた。

(カイくんが無事で嬉しくて、つい気が緩んじゃった……。でも良かった。本当に良かった! 宿に着いたらどうなったか話してくれるかな。ううーん、でも。あんまり聴取の様子とかは話したくないかもしれない)

 真面目で硬い印象の魔法院の人々の前で、カイの好ましく優しい性格が具体的に証明されたのだと思うとなんだか誇らしくはあるが。一方で自らの行いを明かされ、真面目に議論、検討され、羞恥に真っ赤になるカイの姿も目に浮かぶ。たとえ善い行いであってもカイならば、きっと居心地が悪かったであろう。そして彼が魔法院での事を他人に詳しく話したいタイプとも思えない。

(疲れただろうなぁ。疲れが取れそうなもの、何かないかな? 栄養がつくものとか、気分転換になるものとか)

 フィーネはおもむろに立ち止まり、きょろきょろと辺りを見回す。露店に並ぶのは軽食に工芸品の土産物と、すぐに買えそうなそれは見当たらない。

 ふと、とある一つの露天で売られていたものにフィーネは視線を止められた。

 どうやら野菜や果実を売る店の期間限定の出店らしい。
 簡素な台の上には大小様々な鉢が置いてあり、中には野菜や果物、穀物等を中心とした乾物が盛られていた。

(ドライフルーツなら保存もきくし簡単に食べられるかな? お料理に使えるものも多いし、ドライパープストマトと合わせられるものもあるかも?)

 数種の乾燥させた果実や野菜、種子等を選んで購入。鞄へとしまう。

(少しでも楽しんで貰えると良いなぁ)
 再びフィーネは歩み始めた。

(ところでいつ渡そう? お兄ちゃんの前で渡すのはなんか恥ずかしいし……でも、お兄ちゃんの目を盗んで渡すのもなんかそれはそれで悪い事してるみたいだし、お兄ちゃんにも悪いもん。ただお兄ちゃんと分けるとなると、そのまま食べられるドライフルーツの量が……。後でもう一度買いに行くべきかな……?)
 この先の事を思うと無駄遣いは出来ない。だが主な資本元である兄を蔑ろにするのも恩知らずというものだ。

 結局。フィーネは今後は行動でカイの疲れを癒していく方法を見つけようと決意して、今回だけは自らが台所に立ち、購入した乾物を使って二人を労おうとの結論を出した。

(カイにはゆっくりして元気になって欲しいと言うか、言葉以外でもいっぱいありがとうって気持ちとか伝えたいんだけど…………お金は有限だし、短期間なら働き口も見つけにくいだろうからなぁ……難しい)

 悩みながらもフィーネは通りを抜け、東広場へと出る。

 昼休みが終わりに近いというのに、広場で過ごす人々は各々の手を止めていた。人々のざわめきと視線の先には兄、シリウス。またシリウスと親しくしているせいか、カイへの好奇の視線もちらほらと見受けられる。
 ピゴスやリィン等の地元と変わらぬ光景にフィーネは苦笑を漏らした。

(またカイと話したいなぁ。目立つし恥ずかしいから、できれば少しだけ……お兄ちゃんが居ない所で。また前みたいにうまく話せるかは自信はないけど)

 抱く感謝のほんの一部でも伝えられると良いと思う。
 それから。
 あの夜の行動の理由も、数々のフィーネを慮る言葉の意味も、そして何故自分にここまでしてくれるのかも。カイの様子を見て改めて、聞かないように気を付けようとフィーネは自分を戒めた。

 伝えるのはあの夜からのカイの行動や言葉に安堵し、支えられ、大変勇気付けられた事。涙が出る程嬉しかった事。彼への感謝や信頼は、あの夜から始まったのではなく、ずっとずっと続いているものであり、この先も良かったら仲良くして欲しい事。

 それだけで良い。

(それだけ……ってそれだけでもわがままだし、欲張りかもしれない。恩返ししていきたいって宣言するのも重荷になっちゃうし。あまり詳しく聞くと多分、カイ君恥ずかしがりそう……)

 フィーネが経緯やカイの感情を聞き、確かめれば、それはそのまま彼が優しい事への証明と賛辞に繋がるだろう。そしてたとえ純粋な賞賛だとしても、事実だとしても。気恥ずかしくも気まずい雰囲気に耐え難い気持ちを抱いてしまうだろう事は理解も、想像も出来た。

(私まで恥ずかしくなっちゃうかも……。えっと今日……は無理だよね? じゃあ明日? カイくんも手続きとか指導もあるかもしれないんだっけ? あ……)

 不意に温かく心地良かった胸の奥を小さくも冷たく重い何かが撫で、あの晩の光景が脳裏を掠めていく。

 月明かりと冷たい石の床、歪んだ腹部と七色に光る鉱石。カイの必死な表情と抱き締められた感触、温もりと心地よい匂い。料理を学ぶ為に、との建前と本音が混ざった優しい嘘――。

「わあ! 興味深いねえ! いつか研究してみたくない? ね?」
「……笑われますよ?」

 ふと。すぐ側であどけない少女のような感嘆の声に鈴の音を転がしたような呆れ声が続いて、珍しい薄青の髪がフィーネの視界を過る。

 振り返った先、人々の視線が兄へと集まる中で、身長差のある二人が既視感のある眼差しをシリウスとカイに向けていた。
「そうかなぁ? ファン君は厳しいね」
 薄青の髪を編み込んだ女性は肩下の人物へとへにゃりと笑うと、癖なのか眼鏡を両手で直す。
 見下ろされた先、薄紫色の髪の少女は不満気な様子を隠さないまま、丁寧に相手の言葉を訂正した。
「ファンちゃんとお呼びくださいませ。あと研究対象としては不合格ですね。どのようにして上に目的の社会性と有益性を認めさせるつもりですか?」
「今から考えるよう」

 二人は実験室特有の上衣を着ている。真っ黒なそれは薄青の髪と同じ位珍しいもの。
(魔法院が近いからかな? 研究者っぽい方も多いなぁ)

 フィーネは微苦笑する。
 一瞬だけ感じた、あの重く冷たい何かはフィーネがきちんと確かめる前にどこかへと散らばってしまう。否、自ら手放してしまった事にフィーネは気付かなかった。

 どうやってこの注目の最中に割り行っていくべきかと若干迷いながら、フィーネは鈍化した歩みを元の速度へと戻した。


 
「滞在が長引く事を考えるとホテルより朝食のみの簡易宿、共用キッチン付き等諸々の条件を揃えておく必要があると思ったからな」

 フィーネが東広場の注目の的に勇気を振り絞って近付いた後、三人は宿へと向かった。

 長々と宿の選定理由について述べながら案内するシリウスだが、要はメルトムントでもカイの手料理を食べたいという理由をそれらしく飾っているだけらしい。
 因みにフィーネはブレスレット着用とシモンの監視付きという条件で官舎外への宿泊を許可されている。またカイも無事に拘留や行動制限までには至らず、同じ宿へと逗留する事となった。
 その辺りはシリウス曰く、都市部の魔法に対する取り締まりや街全体の警備体制、管轄内に配属された魔術師の数が影響しているらしい。

 フィーネ達は東広場から一旦大通りへ。最寄り駅とは真逆の東側へと通りを進んでいく。

 大通り付近や駅近くには素材やデザイン等が斬新で前衛的な建築物もちらほらと見られたが、少し奥へと入ればピゴス同様、少なくとも二百年前から同じ姿であろう建物が続いている。
 所々土が露わになっている石畳の道路脇に、瓦屋根や階段状の屋根を持つ漆喰や石造りの家々。個人宅には大きな庭や畑が。
 魔法と縁が薄かったフィーネの素人考えではあるが、たしかに家々の間隔はピゴスと大きく違っているので魔法による取り締まりはしやすそうに思えた。

「部屋は三部屋、居間が一部屋に寝室が二つ、続きで取ってある。この間まで伯爵家の別邸の一つだっただけあって一般的な簡易宿と造りは異なるが、その分なかなか広い。浴室に手洗い、洗面も完備だしな。共用キッチンだけが不便だが、ないよりは良いだろう」

「パープストマト、乾燥できるかもね……!」
 上機嫌の兄を邪魔しないように、フィーネはそっとカイに耳打ちする。囁きかけたすぐ下で細身の肩が大きく跳ねた。

「っ⁈ あ、うん⁈」
「ご、ごめん!」

 己の失態に気付いた時には時既に遅く。パッと身を引くフィーネの前でカイの耳と頬が真っ赤に染まり、すぐに朱に染まっていた顔が青ざめていく。フィーネもまた同様に、熱かった顔から血の気が引いていくのを感じた。

(ど、ど、どうしよう。お兄ちゃんに気付かれないようにってそればっかりで、私! また?! かがむ角度を……絶対、数度? いや10センチ位? どうしよう、くすぐったかった⁈ ううん。なんかこう、ぞわっと生理的に受け付けない的な感じで、ものすごく気持ち悪かったんじゃ……⁈)

「どうしたんだ? 二人して赤くなったり青くなったり、突然飛び退いたり忙しなく……疲れたのか?」
 怪訝な様子で振り返るシリウスに二人は同時に言葉を発する。

「ううん! お兄ちゃん、疲れた訳じゃないよ!」
「僕も⁈ うん、全然!」
「そうそう、ちょっと私がうっかり悪行を……」
「え⁈ 違うよ、フィーネは何も! 僕の方が気を抜いてたから魂を売りそうに……!」

 慌てる二人にシリウスは首を捻って一考し。

「お前ら、神獣ではなく悪魔にでも取り憑かれたのか? まあ冗談だが、メルトムントは丘が多い。そのせいで都市部にしては自動車や機会馬車等の交通手段も少ないからな。俺達のような短期滞在者の移動手段の多くは徒歩になる。今後は少しでも疲労を感じたならば、すぐに伝えろ。疲労は万病の元、怪我の元、あらゆるトラブルの元だ。見慣れぬ街で心躍る気持ちは理解するが、遠出の最中に自覚を怠る事は命取りになりかねない。突然坂から転げ落ちたら、俺でも対処仕切れない場合もあるからな」

 呆れと心配をない交ぜにしたような表情でシリウスは苦言を呈す。

 フィーネとカイは同じように深く頷き、それぞれの言葉で注意を怠らぬよう努めると宣言。フィーネは真相に気付かぬ兄に何故か少しだけほっとしながら。そして少しだけ、兄もさっきはしゃいでなかっただろうか? と疑問に思いながら。
 二度と間違えないようにと心に決め、機会があれば後でカイにはそれとなく謝ろうとも思った。

「ところで俺も用があるので夕食を共に出来ない」
「えっ?! シモンさんは夕食間に合わないのに? お兄ちゃん、監視を頼まれてるんじゃ?」

 咎めるフィーネにシリウスは頷く。

「ああ。だからもっと|上《・》、俺を監視するお偉いさんが直接見るだろう。そのあたりは俺を監視役代理にした時点で双方同意済みと、推し量れるから良いのだが。問題は……カイ。シモンが到着するまで、精々数時間だろうが、気を付けろ」
「え?」

 瞳を瞬かせるカイに、シリウスは黄金色の眼差しを鋭くさせる。『気を付けろ』との兄の言葉の意味はフィーネにもわからなかった。

「良い機会だ。今夜のキッチンの借用申請はしておいた。簡単なものでいい。大事な話の前なら尚更。フィーネに作ってやってくれ」
「お兄ちゃん、そんなカイに……」
「大丈夫だよ、フィーネ」

 堪らず声を上げたフィーネをカイはやんわりと、しかし普段よりも硬い声音で制す。
 無茶振りから何かの意図を読み取ったのだろうか。カイは少しだけ困ったような、安堵したような微笑みが零して、真剣味を帯びた声と眼差しはシリウスへと移っていった。

「シリウス君、わかったよ。ところでシリウス君が後で食べる分はいい? あとフィーネも。本当に簡単な物になってしまうんだけど、大丈夫?」
「私は大丈夫だけど……」
「俺は今夜について言えば、遠慮する。もちろん明日以降はまた話が別だ。特別な理由がない限りいつでもやぶさかでない」
「わかった」

 二人して頷き合うシリウスとカイに、フィーネはこれで良いのかと少々納得がいかない。少し前まで疲労がどうのと私見を並べ立てていた男はどこへ行ったのだろうか。
 フィーネは訴えるような目で兄を睨んだが、シリウスは我関せずに話を続けた。

「件の店主への提案についてや神獣の呼び出しについてはお前達に任せる。まあ、縄等の捕獲道具が揃っていない事や記録、万が一の際の後々を考えれば明日以降、俺が居る場で呼び出す事を勧めるが、シモン・アンティーヌの口ぶりから危険性については少ない傾向にあると見て間違い無い。……兎にも角にも。お前達のそれぞれの思いも選択も、俺の希望や期待を大きく裏切らない限りは、出来うる限り尊重したいと思っている。最後はフィーネとカイ、それぞれの、そしてお前達の問題だ。何を活かすも殺すも、何に重きを置くかも、どの手段を選ぶかも。よく考えて焦らず決めろ」

 フィーネとカイは頷きを返す。
 兄のもったいぶったような、改まったような意味深長な言い方は少し気になるが。善意以外の理由から軽々しい嘘をつく兄ではない。

(言い方は問題だけどお兄ちゃんなりに私の変化やカイのこれからのこと、心配してくれての言葉なんだろうなぁ。もしかしたらお父さんがいない間の出来事だったし、カイを巻き込んでしまった事とかも責任を感じてるのかも)

「フィーネはうっかりブレスレットを外さないように。宿でも落ち着いてよく考え、考えてから行動しろ」
「はい」
 シリウスの美しくも鋭い眼差しにフィーネは姿勢を正す。

 三人は道路をまたぐ石門をくぐり、ベージュ色のこぢんまりした建物の入り口前と立った。アーチ型の大小二つの扉と、間には大きなショーウィンドウ。ガラス張りの店内は薄暗く、午後三時まで休憩中との札が下がっていた。

 どうやら一階部分はレストラン兼バーになっているこの三階建ての建物がメルトムントでの住まいとなるようだ。シリウスは右手の大きな扉へと手をかける。

「カイもだ。不要な恐怖や謙遜、あらゆる根拠のない推測は判断力を鈍らせる。利他の源が己にある事を忘れるな」
「はい」

 フィーネに続いてカイもまた、短くも偽りのない返事をシリウスに返した。

 後ろ背の兄の表情は見えない。にもかかわらず、何故かフィーネにはあの親しい者しか感じ取れないシリウスの微笑が背中越しに見えた気がした。