missing tragedy

『今日も君とご飯が食べたい』

バレンタインSS 2023 ①
   

 想い人や恋人、友人や家族など。感謝の気持ちを贈り物と共に、親しい相手に伝えるのがピゴスの花祭りである。

 一方、ヒュームでは他にも同じように感謝と愛情を伝える特別な日がある。

 たとえば、寒さ厳しい二月の半ば。バレンタイン。ピゴス村に住むとある少女も。
 世話になってばかりいる優しい幼馴染みと、母親のように面倒を見てきてくれた偏屈だが優しい兄と、言葉少なだが娘の幸せを願い続けてくれている多忙な父の為に――。

「どうしよう……全然、うまくいかないよ……」
 自宅の台所で、フィーネ・クラインは己の失態に呻いた。

 右手には木べら。左手が支えるのは金属製のボールだ。中身は滑らかな焦げ茶色の液体――になる予定だったチョコレート。ところどころ謎の泡が立ったり、だまになったり、或いは砂利のような固形物が見えたり、妙に薄まったりしている。

「ううっ……湯煎難しい……なんで私、せっかくだから今年は去年とは違うのを作ろうなんて、そんな欲張りな事を……」

 我ながら恥ずかしすぎる。そして、そんなバレンタインをちょっとだけ意識したフィーネを、見るも無残な姿のチョコは恨めしげに見ている(ような気がする)。
 もったいないのでとりあえずこのまま進めるとして。扱い慣れぬ彼(湯煎チョコ)とはこれを機会に仲良くなりたい。

「いっつも簡単な焼き菓子にしちゃうからなぁ……難しいのはカイがすごく美味しく作ってくれるし……」
 そして買ってきてもくれる。
 彼は料理人見習い、菓子は専門外。料理も菓子もまだまだ未熟で、売り物になるような出来では無いと謙遜するが。

 少なくともフィーネは、カイの作るお菓子はお店に並べても遜色ないほど、どれも美味しいと思っている。
 また美味しいお菓子のお店にも詳しく、フィーネとシリウスの好みも熟知している為だろうか。彼のお土産のお菓子はどれもこれも絶品だ。

「なんか……考えたら、恥ずかしくなってきた……」

 フィーネは生クリームを注ごうとした手を止める。
 バレンタインだからといって、フィーネがわざわざチョコレートの菓子を作る必要もなく、むしろプロに頼らないのは失礼でさえあるのでは無いかとの気持ちが湧き上がってきたのだ。
 普段、フィーネはオーブンに放り込めば、下手でも素材の力で比較的美味しそうに仕上がりそうだから……との不純と偏見に満ちた動機から、ドライフルーツやナッツの入る焼き菓子ばかり作っている人間だ。
 それは人生をかけて焼き菓子作りに取り組むパティシエに対して非常に失礼な考え方である気がするし、軽視とも受け取られかねぬ心持ちは改めなければならないとも思う。
 そんな思考も技術も浅はかで未熟なフィーネが、プロにも頼らず、多少練習した程度でいい気になり、本職にも近いカイに感謝の気持ちだと宣って贈ろうなどと。

(絶対、失礼だよ……多方面に失礼極まりないよ……それに、絶対職人さんが腕によりをかけて作ったお菓子とか、カイが作る方が何億倍も美味しい……)

 恨めしげなチョコレートがより、フィーネに訴えかけてくる。
 その時。後方でガタリ、と物音がした。

 慌てて振り返った先には、贈ろうと思っていた一人、カイの姿。

「っ……お、お邪魔してます……」
「フィーネ、カイ君が来てくれた」
 次いで父ヴァン・クラインの、あまり現時点での情報の補足にはならない言葉が続く。

「お、おかえり、いらっしゃい?! カイ、お父さん……!」
 しどろもどろに答えるフィーネに、父は分厚い前髪の下で微笑んだ。

「頑張ってるね。カイ君、もし良かったら……少しフィーネに……アドバイスしてくれない……? 少しでいいんだ。僕の……中年のわがままだと思って……」

 低く、お世辞にも聞き取りやすいとは言えない声も近くのカイには届いたようだ。

「は、はい! 僕で良ければ……ですが、フィーネさんの方が……」
「あ……う、………………お願いします……」

 大いに迷ったけれども。心構えから技術まで、尊敬する相手から学ぶ機会を逃すのはもったいない。
 見栄やカイに対する申し訳なさは呆気なく崩れて。
「ありがとう。ごめんね、カイ……!」
 フィーネは頭を深く下げた。
 


「す、すごい……! ……美味しそう……!」

 一時間半後。カイの技術アドバイスのもと完成したそれに、フィーネからつい本音が零れた。

 目の前には二品。

 一つはフィーネが作る予定だった胡桃のタルト、チョコレートソース添え。フィーネ作。
 そしてもう一つは簡易版、胡桃のチョコフロランタン。カイ作である。
 ちなみに、どちらもあのフィーネが見るも無惨な姿にさせてしまった大量のチョコレートを使用して作られている。

 市販のチョコレートを使用しての菓子作りと言えばまずは湯煎……という浅い知識から四苦八苦し嘆いていたが、実際はチョコレートの使用方法は幾つもあるらしい。
 今回のように温めた生クリームに刻んだチョコレートを溶かし、少量のバター等の油脂、香り付けの香草とカイの適切な助言があれば、フィーネのような初心者にもある程度美味しいチョコレートソースが出来る。

「ありがとう。カイ」
「どういたしまして。ヴァンさんもシリウス君も喜ぶと思うよ。僕のフロランタンも良かったら一緒に食べて」
「ありがとう……。あの……カイは……」

 ふとそこまで告げて、フィーネは言い淀む。
 生業として高い意識を持って真剣に料理に取り組んでいる彼に、しかも優しい彼に相談するには狡い内容だと思ったからだ。

("普段は中途半端な気持ちで、たいした努力もせずにお菓子を作ってる私が、イベントに乗じて美味しくもないお菓子に感謝の気持ちを込めて。しかも真剣に取り組んでる人に贈るなんてやっぱり失礼だよね"…………なんて。そんな風に聞くのは狡過ぎるよね。ちゃんと改心して努力してから、自分で答えを出して行動しなきゃ……)

「どうしたの……?」
「ううん。なんでもない。これからは心を入れ替えて、お菓子作りも、もっともっと頑張ろうって」

 意気込むフィーネに、カイの顔はより一層不安げに曇っていく。

「……その、フィーネの向上心や頑張り屋なところ、僕はとても良いと思ってはいるんだけど……でも、あまり無理はしないでね」

 揺れる大きなキャラメル色がフィーネの視線と交わって。すぐにそれは俯いた。
「フィーネが苦しい時とか、ちょっとしんどいなって思ってる時に、少しでも支えられるように僕は…………」
 続かぬ言葉に、引き結ばれてしまった唇に、気恥しそうにほんのりと朱に染まる頬に。フィーネの頬もみるみる熱くなってしまう。

 ただただ純粋に。そんな風に思ってくれている事が、嬉しくて、有難くて。

「ありがとう! カイくん……!」
「あの、シリウス君とかリゼさんもきっとそう思ってる……かもしれないなぁと……思うよ」

 照れくさそうに笑うカイに、フィーネもまた同じ表情になる。

「へへへ……ありがとう! バレンタイン当日も上手くできるよう、頑張るね」
「え……当日……?」

 瞬間。カイに明らかな困惑が走る。思えば練習の目的を伝えていなかった。
 先程の見るも無惨な、哀れなチョコレートを思い出す。

(もしかして警戒されてる?!)

「大丈夫だよ! もっと練習するから! 多分今回よりはうまく……ううん? 今回よりうまくないかもしれないけど、食べて危険な物にはならないように……あっ、カイ君が食べる前に私とお兄ちゃんが先に食べれば毒味に……ううん、お医者様に前もって薬を? 万が一、見てダメそうなら私が責任を持って食べ……」
「っ待って!」

 慌てるフィーネに、珍しくカイの言葉が被さる。

「いや、待たなくて良いと言うか、シリウス君の毒味も薬の用意もお医者様も大丈夫だなら……フィーネちゃんからのお菓子は有難く……欲しい……です……ものすごく……あの、できればなんですが……」

 今度はカイの方が慌てて。しどろもどろだった言葉も徐々に小さくなっていく。

 受け取り許可に嬉しく、安心するものの。なぜだかフィーネの胸の動機はおさまらない。
 不思議と顔が熱く、瞳が潤んできた。

(なんか、恥ずかしい……な、なんで……??)

 そして。

「改めて感謝を伝えるという行為は、見知った仲でも照れくさいものだな」
「お兄ちゃん?!」
「シリウス君?!」

 不意に、フィーネの疑問に答えたのは兄シリウス。カイとフィーネの間に割り入り、ひょいと胡桃のチョコフロランタンをつまむ。

「うむ。うまいな。こっちは俺の好きなタル……」
 続けてフィーネ作のタルトも一口。今度は瞬時に眉間にしわが寄る。
「……まあ、うまいんじゃないか?」

 口ごもるシリウスにフィーネはしょんぼりと肩を落とす。わかっていた事とはいえ、兄に気遣われてしまうのも情けない。
「お兄ちゃん、良いよ。正直に言って……」
「フィーネ! シリウス君はタルトが大好きだから評価も特別に厳しいんだよ!」
「その通りだ。それにフロランタンは初めて食べたからな。こんなものなのかと感慨深く感じているだけかもしれない」

 一生懸命慰めてくれるカイに、肯定を装い補足しつつも疑念の余地はしっかりと残して自己主張するシリウス。
「お茶……皆で飲もうか。……カイ君も……良かったら」
 そして物陰から突如現れる父ヴァン。

 相も変わらず。バレンタイン前のクライン家も賑やかだった。
続く