missing tragedy

cock-and-bull……¡

夢から覚めた王子は ①

 「はい、僕の勝ちだね」
 その言葉と共に、淡い光を放っていた石たちは次々に跡形もなく消える。
 少年がにこりと微笑みかけると、目を丸くしていた少女はムッとしたように少年を睨んだ。
「ノアは今日も手加減してくれないのね」
「まあ……勝負だし、手を抜くとエリスは怒るじゃない?」
「そりゃそうよ。でもこれで私は567戦567敗……! 何が悪いのかしら? もう一回、もう一回よ! ノア!」
 少女が人差し指を起て少年に迫る。少年は「わかったよ」と眉を下げたが、その口元には笑みが浮かんでいた。
 昼間は曇った夜空のようにあんなに薄暗かったというのに、二人の居る洞窟内は今や様々な色の光で溢れている。
 赤、黄、橙、青、緑、紫等など。まるで世界中の宝石店が一斉に集まったようだった。
 夜になると淡い光を放つその石の正式な 名称 なまえ を少年と少女は知らない。だから二人で勝手に『魔鉱石』と名前をつけた。
 家の裏山の奥にあるそこは二人だけの秘密の場所だ。義姉に見つからないように、こっそりと夕飯後に抜け出し遊びに行っている。
「ノア! 勝負よ!」
 少女は少年を真っ直ぐに見つめる。少年の頬に朱がさし、青い瞳が嬉しそうに細められた。

 ∞∞∞

「駄目だ」

 目の前の男はあっさりとノアの儚い望みを切り捨てた。
 ノアと同じ金の髪、長いまつ毛に縁どられた切れ長の瞳、すっと通った鼻筋と形の良い唇。青年のそれらは何処を切り取っても自分との血縁関係を色濃く表していた。かの青年の隣に立つ黒髪の美丈夫もまた、髪色は違うものの赤の他人だと誤魔化すことが出来ない程度には自分によく似ている。

 彼らの洗練された品の良い服の下には、幼さの残る顔には不似合いな、しなやかな筋肉がついているのだろう。
 彼らは強い。見た目よりとずっと。そして戦闘経験に至っては自分とは雲泥の差がある。
 それはもう立証できている認め難い事実だった。
 おかげでノアは今もここから出られていない。あの日から一週間も経つと言うのに。

「何故ですか?」
 ノアは即座に反論する。いくら真っ向勝負して勝てない相手とはいえ、そんなに簡単には引き下がれない。余程のことが無い限り。否、何故なのかという自分の言葉に兄達がどんな正論を吐いたとしても。簡単に引くつもりはなかった。
「お前は自分の立場がわかっていないのか」
「わかっております。ですが自覚と今申し上げたことはまた別問題です」
「そうでもないのですよノア。第一『選定』は高尚な儀式でもあるのです」

 次兄が長兄の代わりに応える。ノアは相手を凍てつかせるような鋭い視線を長兄のカルロから、聞き捨てならない言葉を吐いた次兄のジーニアスへと移行させた。
「それはどういう意味ですか? 彼女を此処に呼ぶことが汚らわしいとでも?」
「そうとは言いません。ですが、」
「ですが何なのですか‼ いくら兄上でもこれ以上辱めるような事を言うようならばその薄汚い口を切り落とします」
 声を荒げ、ノアはジーニアスを睨みつける。青の瞳は怒りに燃えていた。一方ジーニアスはやれやれと言わんばかりに、嘲笑の混じった笑みでノアを見下ろす。

「その踵に隠したナイフごときで私の口を切り落とせるとでも? 笑わせないでください。貴方は王族なんですよ。『選定』で選ばれなくとも一般市民になど戻れません。選ばれれば――いえ、その話はやめましょう。とにかく今まで責務を免れ続けてきたのはあくまで仕方のない特例だったのです」
「それは重々承知しております。ですから『選定』後も私は協力はすると言ってます!」
「だからそれが甘えなのです。あなたはいい加減に――」
「やめろ、ジーニアス。ノアも」

 弟たちの言い合いを、カルロは手を挙げて制した。低く響く声からは冷たさも温かさも感じられない。
 ただ淡々と。しかし諭すように、カルロは二人に向かって問いかける。

「今は言い争っている場合ではないだろう? 父上と母上の事はいつまでも隠し通せない。だがこれから打つ手によって民の不安を最小限に抑えることも、無念を晴らすことも出来る。今はそれを皆で考えるべきであろう?」

 その言葉にジーニアスとノアは俯く。カルロの言うことは最もであった。争っても仕方ない。それにノアだって兄と同じ気持ちは持っているのだ。母と父のことを想えば悔しいし、この先の国のことを思えば兄たちに協力していきたいとは思っている。もちろん、彼女を諦めることなど絶対にしないが。
「今こそ正念場なのだ。『選定』の儀を進めつつ、隣国リゾルトとの貿易協定、西のジグゴットとの国境問題……」
 カルロが目下の問題とやらの話を続ける。
 ノアはその間ずっと自らの左耳に触れ宙を見ていた。

 責務を放棄することは流石に出来ない。しかし、一生この王宮に居るつもりもない。
 早く彼女に会いたかった。会って、まずは謝らなければ。きっと心配させてしまっている。
 謝った後は沢山抱き締めて、愛を伝えて、もう二度と離れるつもりはない。
 食事係に頼み兄たちに内緒で手紙も出しているが、届いているのかは怪しいところだ。様子を見に行くよう頼んだ者からの連絡が無いのも気になる。

 そしてこの左腕の忌々しい枷が、何よりも気になるのだ。これと似たものを奴もしている。果たしてこれは本当にここにノアを縛る為だけのものなのだろうか。

『お前、兄貴たちの話聞いてないだろ?』
 にやにやと笑いながら件の奴は話しかけてくる。
(うるさい。黙れ)
 ノアは吐き捨てるように答え、唇を強く噛んだ。脳内に直接話しかけられるのにも、慣れてきている自分が居る。気のせいだと、幻聴だと、まだノアは信じたかった。

『あーあ。んなこと言っていいのかよ? 俺様に力を借りたいんだろう? 色々となぁ?』
 その言葉にノアは何も返さない。
 代わりに一言、どう思うかと問うてきたカルロの質問に答えた。

「兄上、僕は――」
『無視かよ、ひでーなぁ。今代は』
 ノアの頭上で、それがくつくつと笑う声が聞こえた。


 ∞∞∞

 エリスはぼんやりと天井を見た。羊に似た形の薄茶のシミは、二か月前と変わっていない。

 懐かしい夢を見た。
 サラに内緒でノアとこっそり出かけた記憶。裏山にある二人の場所で、あの『石消しゲーム』で勝負をしている夢だった。
(雪が融けるからあの洞窟にもそろそろ行けそうね……)

 ノアが出て行ってから二月経っていた。季節はもうすぐ傍に春を迎えている。
 出て行って間もなくして、エリスは生まれて初めてひどい風邪を引いた。意識を失うほどの高熱が三日三晩続き、あの強くたくましいサラを泣かせてしまった。彼女の涙を見たのはハンナの死以来、二度目の事だった。
 その後も微熱が続き、今も職場へ復帰出来ていない。週に何日かは、今日のように起き上がることさえなかなか叶わない日もある。
 そして。
(ノアは……元気かな。まだ、終わらないのかな……)

 ノアは帰ってきていない。それどころかあの日から一切、彼からの連絡はなかった。
 王都に無事着いたのかも、今どこに居るのかさえエリスは知らない。生きているのかさえ、エリスには容易に調べる術を持っていなかった。
 ただ待つだけの役は辛い。何度も王都に出向かおうと思ったが、この身体では耐えられそうにない。そしてまた、ノアの邪魔になるのではと思うと、元気になったとしても行動には移せそうになかった。

「エリス、入るわね」
 凛とした声がノックの音と共にドアの外から聞こえた。エリスは「はい」と承諾の返事をし、ゆっくりと上体を起こす。はずだった。

 ぐらりと身体が傾き、倒れそうになる。すんでの所で布団に手をついて免れるが、胃の奥から何かがせり上がってくるような嫌な感覚は抑えられない。エリスは思わず口元を抑えた。
「エリス! 大丈夫⁈」
 入ってきたサラが顔色を変えて、エリスへと駆け寄る。彼女の顔はエリスに負けず劣らず青かった。
「大丈夫だよ。ちょっと寝ぼけてるみたい。ごめんねサラ姉」
「……」

 心配しなくても良いと精一杯微笑んだはずなのに、何も言わないサラの眉間には深いしわが寄っている。もの言いたげな唇はよく見ると震えていた。泣きそうな瞳にひたすら罪悪感を覚える。
(早く元気にならなきゃ……駄目だなぁ私。ノアばかりでなくサラ姉にも本当に迷惑をかけてばっかり)
「……ドニ先生、もう来てくれたの? 嬉しいな……。診察だとしても、まい……毎日、ありがたいね」
 このままだとまたサラを泣かせてしまうかもしれない、そんな風に思い、エリスは話を変えようとした。それなのにすぐに息が切れてしまい、うまく話すことが出来ない。目が回り、か細い自分の声もどこか遠くから聞こえるようだった。

「そうね。みんなエリスの事が心配なのよ。ねぇ、だからもう……」
 義姉の声はそれ以上聞き取れなかった。ただ彼女にぎゅうっと抱き締められる。
「大丈夫だって……サラ姉。ほら、先生、来るんでしょう?」
「……そうね。玄関で物音がしたわ。先生でしょう。行ってくるからエリスは準備してるのよ」
「うん、わかった。先生にうつさないように……気を付けなきゃね」
 弱々しく微笑むエリスに、サラは再びもの言いたげな視線を向けた。しかし直ぐに「平気よ」と笑顔を作り部屋を出ていく。

(サラ姉には無理をさせてしまってるわ……心労が顔に出てるもの)
 エリスは深くため息を吐き、窓の外を見た。
 また今日も、きっとノアからの連絡は無いのだ。あったのならばとっくにサラが伝えている。

「ちょっと……め……‼ ……くだ……!」
 サラの焦ったような声が聞こえ、エリスは声のした方へとぱっと視線を向けた。
 扉の奥、部屋の外でサラは誰かと口論している。おそらくドニでは無いだろう。ドニは声を荒らげるような性格ではないし、一緒に聞こえる声も彼より若い。
 では一体、誰なのだろう。

「失礼」
「ちょっと、貴方……」
 サラを押し切るように入ってきたのは見覚えのある商人風の男だった。ノアに定期的に会いに来る、髭のある男だ。
「あの……」
「エリス・オルブライトだな?」
「……はい」
 男の問いにエリスは首を縦に振る。何の感情も感じられない瞳は、ある種の薄寒さを感じさせた。
「出て行ってください! 貴方達と私達はもう何の関係もないと――」
「サラ様、両陛下がご逝去なされました」

 サラの声を遮るように冷たく言い放たれた言葉にその場の空気が凍り付く。驚きに瞳を見開くエリスとサラに、男は追い打ちをかけるように言葉を続けた。
「オルコット閣下からも改めてご連絡がいくと思いますが、いずれは全国民も知ることとなるかと」
 とても冗談で言えるような内容ではない。
オルコット閣下とはおそらく国王の側近の一人であるオルコット公爵であろう。
  一国の王と王妃を蔑むような発言をし辱めたばかりか、オルコット家の名を出したとなれば、場所によっては不敬罪で捕らえられてもおかしくない内容だ。

 しかし男が全くの嘘を吐いているようにも見えなかった。
「そうですか。ですが何故、それをこの子の前で言うのです」
 不穏な言葉を吐く男にひるむことなく、サラは相手を睨みつける。男は何事もなかったかのようにサラからエリスへと視線を戻した。
「これはノア殿下からです。『心ばかりだが、これで新たな幸せを。私のことは一切忘れて欲しい』だそうです」
 どさりと目の前に投げ出されたのは赤い布袋。それは図らずかエリスが贈り、ノアから贈られたあの指輪の箱と同じ材質だった。
「これは……」

 訳も分からずにエリスは男を見上げる。目深にかぶられた帽子から、今度は明らかに憐れむような視線を向けられる。
「ノア殿下が戻ることはありません。これから忙しくなります。いずれは相応の身分のお方とこの国の為にご結婚なされるでしょう。その為にも貴方という存在はあってはならないのです。ご理解ください。『全てはこの国の者の為に。愛されたことを誇りに生きよ』と、カルロ殿下とジーニアス殿下からもお言葉をお預かりしてきました」

「出て行きなさい!」
 義姉の声が響く。ぐらりと身体が傾いて、布団に手をつき支えることはもう出来なかった。目の前が真っ白なのか、真っ黒なのか、それさえも判断できない。
 サラの悲鳴にも近い声がどこか遠くで聞こえている。

 ノアの胸元を離れない魔術のかかったペンダント。時折ノアに会いに来る商人風の男。ノアが決して村から出ないという事情。
 彼は罪人の息子なのかもしれない。或いは親戚や何者かに命を狙われるような理由がある者。たとえば何処かの貴族の妾腹や庶子など。そんな風にエリスは予想していた。
 しかし本当にそれらは、予想でしかなかったのだ。

 二日後。
 国王と王妃の死と、行方不明となっていたこの国の第三王子、ノア・マリーツ・エリオット・ルイス・ファン・デル・ライが王都に帰還したとの報せは、多くの国民の心に大きな衝撃を与えた。

 一方で、ミニアム村から婚約者を置いて突如いなくなったノアが、その第三王子だと疑う者は誰一人居らず。
 エリスが意識を取り戻したときには既に、ノアの住んでいた屋敷は跡形もなく焼失していた。