missing tragedy

cock-and-bull……¡

想いに応えるには ②


 突然の問いに、エリスは数度瞬きした。
「え、と……その意味が……?」
 あまりのことについ本音が漏れてしまう。

『悪い悪い。俺はな、見た目も中身も悪魔だ。まあ元は天使なんだが、面白い事が好きで色々あって堕とされて、悪魔を始めたって訳だ』
 先程とは打って変わって、喉を鳴らし笑うナールは少年のようだ。まるで幼子が今日あった事を母に報告するような純粋ささえ感じられた。
『で、悪魔になってからも色々首を突っ込んでは偉そうな上の悪魔に睨まれてたんだが、ある時こいつの先祖、ブラッドに話をもちかけられてな』
 そう言ってナールはノアを指差す。

『面白いものを見せてやるから契約を結ばないか、ってな。こりゃあ良い鴨だ、利用してやろうって乗ってみれば、こいつがとんだ曲者だった。俺はまんまと捕まったってワケだ』
「ほ、本当なの?」
「まあ大体は。騙した訳じゃないけれど」
 ノアは淡々とした様子で答える。
『そうなんだよ。騙したわけじゃねえ。ちゃんと続きがあるのさ。俺は全てを奪われ、封印された。が、直後に捕まえた本人がこっそりやって来てこう言ったのさ。『面白かったか? これからもお前の探究心に応えてやっても良いがどうする?』ってな。ははっ。したり顔で奇妙な話を持ち掛けてきた。結果的に俺は奴の話を呑み、そして奴は俺の力を借りて初代ブラッドフォード・フォン・デル・ライとしてこの国を建てた。そしてそれはやっぱり見立て通り、俺にとっては|一《・》|番《・》|マ《・》|シ《・》な方法だった』
 ナールは一歩近づき、深淵の入り口のような紫紺の瞳でエリスを覗き込む。

『さあお嬢ちゃん』
 ひと時の間を置き。ナールはエリスの顎を掴み、恋人に対するように甘く告げた。
『……ノアみたいに|俺《悪魔》を許して人殺しの仲間として地獄を生きるのと、全てを忘れ天国を夢みながら死ぬの、あんたはどっちの方がマシだと思う?』
「……っ」

 囁かれた言葉の情報量の多さと不穏さに息を飲む。優しいノアが悪魔と人を殺している。共に進むか、道を分かつか。生きて地獄に落ちるか、安楽の死を待つか。不穏な選択肢のうち、どちらの方が良いかなどすぐには出せない事である。
 なのにどうしてだろう。奇怪で恐ろしい彼の言葉は艶やかで優しく、美しい。不思議と今すぐに答えを選ばなければ……そう感じてしまう迫力がある。
 問いの意味も答えた先の未来も、不確かで危険でも。この場で何か応えなければきっと自分も、あのナールの声に混ざる悲鳴となるだろうと感じさせる何かがあった。

「私は……」
 息があがり目眩がした。ひんやりとした空気も今は肺に微塵も入ってこない。瞬く魔鉱石が思考をすり減らす。不気味な紫紺の月がエリスを飲み込んでいく。

 不意に。エリスの左手に温かなそれが触れた。
(……!)
 振り向かずとも理解する。力強く握りしめられた手の温もりは、何度もエリスを包んできたものだったから。
 暗鬱な霧が一気に晴れるように、視界も思考も澄んでいく。不気味な紫の月の代わりに、思い出したのは穏やかな湖面。深く、青い大切な人の瞳の色だ。

「私は……私はノアと一緒に生きます。どちらの方が良いかについては……答えはまだ出せません。でも! これからはノアにも貴方にも人殺しなんかさせません」

『それがお前の選んだ答えなんだな?』
 冷たくおぞましいあの声に足がすくみそうになる。それでも左手の温もりはエリスを前へと進ませた。
「ええ。でもあの……悪事は止めますけど、貴方と友好的な関係を結びたいとも思ってます。出来れば、なんですけど」

 エリスに、ナールの唇から呟きが漏れる。
『お前は…………ああ、そうだろうな。ハハハ、こりゃ奇遇だ!』
 青年らしいその声に一瞬だけ意表を突かれたが、すぐに元の揶揄うような笑い声が追った。
 狐につままれたようなエリスに対し、ノアは鋭い視線を向けたまま。石像のように微動だにしない。

『悪くねぇな。慎重な女は嫌いじゃない』
 暫しの間笑い声が洞窟内に響き、一言。悪魔が言葉を発した。
 ナールの言葉が合図だったように、すぐにノアは素早い動作でナールとエリスの間を割る。
「おい、きちんと話せ」
『まあまあ、怖いぜ? 綺麗な顔がよぉ? ……さて。嬢ちゃんの決意は一旦認めよう。ただ事は簡単じゃない。奴の死後も呪いじみたこの契約は続いている。俺が時期国王を、力を受け継ぐ奴を決めるってのもな。ノアの親父が死んで三年半。未だ後継者の『選定』は行われず、公には次期王は決まっていない。嬢ちゃんはこれについてどう思う?』
「それは……何故貴方がその『選定』を行っていないか、という事ですか?」
 不敵な笑みのまま肯くナールに、エリスは言葉を選びながら応えと意図を探す。

「失礼があったらすみません。その……個人的感想ですが、忘れていた、面倒でまだ次期王を選んでいないという可能性は低いと思ってます。まだ選べない事情があるかとか? ……ああ。あと既に決まっているけれ……」
 そこまで応え、エリスは言葉を失う。ニヤニヤ笑いの悪魔と硬い表情のノアが何よりもの証拠だった。
 ナールはその場で一回転、揶揄うように舞う。
『そそ、コイツが拒否してるんだよ。めんどくせえ力を受け継ぐのは構わんが、一国の王になるのは勘弁だとよ。歴代の真逆だ。どうやらよっぽどの理由があるらしいが、嬢ちゃんは……』
「ナール、それは良いから」
『ええ? 大事なところなんだが……』
「全然重要じゃない! お前面白がってるだけだろう!」
 ノアの耳は真っ赤に染まっている。久しぶりに子供のような姿を見た気がして、エリスの頬は不謹慎にも緩んでしまった。

「まあまあ。で、ナールさん。話を進めましょう」
『ああ。元々継承者に深く関わってくる者には基本、俺と王家の秘密を教えてきた。決して口外できぬようその度に新たな契約を結んで。勿論これもブラッドとの契約のうちだ。ところが今回だけは後継者と王位継承者が別れ、しかもあっちが選定前にとんでもねぇトラブルを起こしてくれてな……実質俺はこの短期間で三度も契約を結ばなければならなくなった。契約は枷の縛りによって効力を持つ。だがその枷を生み出すには力が必要だ。だから当初はこいつの身勝手な要求を蹴った。が、』
 くつくつと悪魔は喉で笑う。エリスには彼が、心底この状況を楽しんでいるように見えた。

『こいつは引き下がったフリをして、引き継いだ力で俺をはめて、その上で自分の願いを叶える為に俺に新たな契約を持ちかけたんだよ。ブラッドみてぇに。悔しかったが俺は乗った。あの時とは違う。自由を得る為に乗ったのさ』
 まるで舞台俳優のように、流暢な語り口は次々とエリスに真実を示していく。
『ノアは両親の死の真相を突き止め、もし犯人がいるならばそいつを処刑台に送るんだと。俺はそれに協力する代わりに、ノアの願いがかない次第枷を二つ外して貰う。選定分の魔力を使ってもまだ有り余る力が戻る。それが新たに結んだ契約だ』

 エリスは前国王夫妻が相次いで亡くなった三年半前を思い出した。優しく聡明と謳われたノアの母 は突然この世を去った。後日、まことしやかに噂されたのは病弱な王弟の陰謀説や某国の使者との不貞とその果ての暗殺説。そしてそれらの疑いが晴れぬうちに王妃を溺愛していた国王 、そして王弟までもが相次いで亡くなった。
 その後、カルロやジーニアス王子達により王妃の身の潔白や王弟の無実が証明され、一連の死は感染症による病死と発表される。ほぼ同時期に第三王子の存在が国中に知れ渡り、第一王子のカルロは摂政の地位についた。
 残された王子達に敵は多く、四大貴族同士の権力争いも再び激化している。混乱の中、次期王は未だに決まっていない。
 それが、エリス達一般人の知る事実である。

(でもナールさんの口ぶり……ノアのご両親……前陛下ご夫妻が亡くなった事についてノアは疑問を持ってるんだわ)
 事実が病死でなければ、自ずと他は限られてくる。事故死か、暗殺か。背筋に薄寒いものを感じる。
(もしかして、今回ミニアムに来たのもその関係で……?)

 ふとノアを盗みみれば、ナールへと向けられていた視線がこちらへと動き、戸惑うよにゆっくりと伏せられた。

『ノアとの新しい契約が完了した時、俺は更に力を取り戻し、ノアは正式に力を使えるようになる。勿論嬢ちゃんとの正式な契約も結べるし、新たな王も即位するだろう。ついでだ、ノアとの第二契約期限の90日後までの間、嬢ちゃんが契約を結ぶに相応しいか、見定めさせて貰う。良いな?』
「はい」
 ナールの言葉にエリスは頷く。足元の魔鉱石が煌めいたかと思うと、地面全体が眩い光を放った。

『簡単な前段契約だ。ナール・アエーシュはエリス・オルブライトをブラッドの直系子孫現第三王子ノア・マリーツ・エリオット・ルイス・ファン・デル・ライの配偶者と認め、運命を共にする事を約束する。正式な契約は90日後、十七時十七分。但し当ノア・マリーツ・エリオット・ルイス・ファン・デル・ライとの第二契約に定めた期限内にエリス・オルコットが悪魔ナールが納得する応えを示さぬ場合は……』
 ナールは薄い唇の端を上げ、極上の獲物を目の前にした獣のように舌なめずりをする。
「僕のいの……」
 ナールを遮り、言葉を発しようとしたノア目掛けて、稲妻が走った。稲津は茨のように抵抗するノアの首を締め、声を奪う。駆け寄ろうとするエリスの手足をも取り、自由を奪った。
『ノアっ?!』
『それはもう使えねぇよ。……エリス・オルブライトの一切の記憶と操を糧に、行動範囲を拡大し、権限及び契約期間を半減させる』
「……!!」
 瞳を見開き足掻くノアとエリスの周りに見た事もない異国の文字が浮かび上がる。眩い光を放ちながら、それらは次々と何かを綴っていき。

『契約締結、だ』

 エリスとナール、それぞれの手首へと吸い込まれるように記された。
 下卑た笑みを浮かべ悪魔はせせら嗤う。紫根の眼差しはノアを捕え、からかうように弧を描く。
『ハハっ。ノア、力を渋る俺が仮契約に大きな力なんか求めるわけがねぇと思ってたか? 俺は悪魔だぞ? これはお前が招いた結果。そして主さまと主サマの大事な大事な嬢ちゃんの決意への敬意さ』
 悔しかったら認めさせて見せろと言わんばかり。エリスはぐっと奥歯を噛み締め、こちらを見下ろすナールを睨みつけた。

「ノアを離して」
『汚い手を使おうとしたのはノアなのになァ』
 わざとらしいため息をつくと、あっさりとナールはエリスの言葉に従う。むせ返るノアに駆け寄ると異様な空気が背中を撫でた。
『嬢ちゃん知ってるか? そいつとの新しい契約が守られなかった場合……死の真相とやらを三ヶ月以内に突き止められず、犯人もいるのに処刑台へ送れなかったらな……』

 ナールは笑った。宙を仰ぎながら、闇へと妖艶な笑みを浮かべる。
『双方契約ペナルティ。魔力の多い俺は生き残り、ひ弱な第三王子ノア・マリーツ・エリオット・ルイス・ファン・デル・ライは消滅する。それこそ国のヤツら全員の記憶からも消え、存在そのものが無かった事になるだろうな』
 ナールの言葉に血の気が引いた。
「そ、そんな事……! させません」
 震える唇からは、意外にも確かな言葉が出る。
『いい覚悟だ』
 ナールは笑った。悪魔は宙を仰ぎ、パチリと指を鳴らす。
『俺が納得するような面白い答えを見せてくれよ』
「はい」
 エリスは返事をし、青い唇を噛んだ。

(恥ずかしい……)
 ナールとの一連のやり取りに、見透かされているような気がした。

 三年半。ノアはどこも変わっていないと、悪く言えば成長も変化もしていないとエリスは決めていたのだ。そして自分は変わらぬノアに対し、変わらぬ尊敬と純粋な喜びの他に、どこか不純な安堵を感じていたように思う。
 ノアはエリスの誇るノアのままだった。優しく知的で努力家な、時々幼い仕草を見せる純粋な青年。その本質はおそらく今も変わらない。
 一方で、彼は『人殺し』を自称する悪魔と手を組み契約を重ね、死以上の代償を払ってでも両親の死の真相を突き止めたい。もし真犯人がいるのならば、断罪し相応の罰を受けさせるべきだーーそう強く願っている。
 そして様々な葛藤を繰り返しながらも、一つ一つ成し遂げ、エリスと共に歩みたいとも望んでくれている。

(私、心のどこかで……ノアも私みたいに変わってないって、安心してたんだ。ノアが変わるはず無いとも決めてたから、変わってしまった部分に少なからずショックも受けた……それをナールさんは見抜いてた)
 恥ずかしく、情けなく、悔しかった。同時に。
(でもやっぱりノアの隣にいたい。私はノアが好き。立派に、見合うように……? ううん。そんな風にはなれないかもしれないけれど……)
 努力だけは怠りたくない。自分から諦めもしたくない。

「エリス、ごめん」
 ノアがボソリと呟く。再会してから、何度も何度も告げられた言葉。どうしたらエリスはこの言葉の意味を変えてあげられるだろうか。
「大丈夫。一緒に頑張ろう。ノア」
 エリスは微笑み、ノアの手を取る。
 ノアの死を避ける為にも、エリスはノアと協力し、どこかの誰かを断頭台に送るかもしれない。罪深い、彼の両親を死に追いやった誰かをこの手で。
 ノアは悪魔と手を結び『人殺し』をしてきたというような話もしていた。それはもしかしたら、今回と同じように罪人を指していたのではないか。
 ノアの夜空を映し出した湖のような瞳が揺れる。
「ああ」
 強く握り返された手は温かかった。
 
 悪魔はエリスとノアを試している。己の愚かさを更に知ってもなお、エリスの決意に揺らぎはなかった。