missing tragedy

cock-and-bull……¡

新居にて ② ★

 まるでそれが合図だったかのように、背中を強く抱いていた手が緩められ、ゆっくりと腰へと降りていく。熱を孕む青の瞳がエリスの視線と交わった。

「エリス……」
 どうしたら良いかわからず目を瞑るエリスの額に、瞼に、こめかみに、左耳朶に、左頬に。次々と柔らかな感触が降る。
「可愛い……エリス、大好き」
 首筋を熱い吐息に撫でられ、背中に懐かしく甘い痺れが走った。
「っ、ん……」
 ノアはエリスを抱き締めたまま、まるで壊れ物を扱うようにゆっくり丁寧にベッドへと誘(いざな)う。
「ノア……」
「エリス……」
 再び目を閉じれば、温かく滑らかな唇がエリスのそれと重なった。軽く啄むように触れて、離れて。次第に口付けは長く執拗になっていく。
「んっ……」
 もっと、とばかりにノアの舌がエリスの下唇を舐める。

 どちらから決めた訳でもない恋人時代の約束事。不可侵の場所に触れて欲しいと唇を開けば、歓喜の息が上がる音とほぼ同時に熱い舌が差し入れられ、エリスの舌に絡められた。
 久しい逢瀬を渇望していたとばかりに執拗に吸われ、触れあいを慈しむように撫でられ、優しくなぶられる。
 ちゅぷ、と淫猥な音を立てて徐に離れたかと思えば、角度を変え、引き寄せられるように合わさり。甘く淫らな緩急に全身の肌が粟立った。

「っは、っ……あ……」
 お腹の奥の疼きにエリスは自然と太腿を擦り合わせてしまう。当然、腰を抱くノアに隠し通せるはずもなく。結果、エリスの反応にノアは頬を赤らめ濡れた口許を緩ませると、下腹へと手を伸ばした。
「あっ……」
 肌触りの良いネグリジェがたくし上げられ、滑らかな指が太ももをなぞる。そのままやわやわと内股を撫でられ、エリスの息は更に上がった。潤うそこには届かず、熱く疼く奥には程遠い。意図してか偶然なのか、柔くもどかしい刺激はひどく焦らされる。
 たまらずエリスは甘やかな指を太股で挟むと純白のシャツを掴んだ。
「ノアっ」
「……もっと? 良い?」
 強請るなどはしたないとの羞恥心や理性、常識を上回る欲望にエリスはこくこくと肯く。
 離れている間もノアを恋しく想う心を抑え、彼の幸せを願ったことは星の数ほどあれど、彼を思い出し火照る体を持て余して眠れなかった事など数えるほどしか無い。無論、欲望から誰かとまた体を繋げたいなど思ったことなども一切なく、自分にはそのような欲は不必要な存在なのだと信じて疑わなかったのに。
 官能はただ眠っていただけなのだと、呼び起こされた事でエリスは気付いてしまった。
 またあの頃のように、ノアに触れて欲しくて堪らない。出来ればまた一番奥深くまで入って欲しい。

(私、こんなんじゃ……)
 官能と多幸感との狭間に存在する羞恥心にエリスの眦に熱い雫が浮かぶと、ノアの眉が僅かに下がった。

「大丈夫。すごく良い」
「でも……」
 多くの矛盾を自覚しつつ、こんな時まで頑固に反論する自分の横暴さに嫌気がさしたが、ノアはエリスの思考順路さえも予測済みだったようだ。
「僕は可愛いと思ってる。それじゃ駄目かな?」

 眦から熱い雫が零れ落ちる。涙を押し出したのが羞恥心でもなく、不安や弱音でもない事が堪らなく嬉しかった。
 返事の代わりに微笑めば、照れたように瞳を細めノアも同じものを返してくれる。
 温かな感情と本能的な熱が混ざる心地好い感覚をノアも感じていると良い。そう願いながら、エリスは精一杯の気持ちを込めてノアの頬に口付けた。
 ほんの軽い触れ合いなのに、自分から行ったというだけで頬が熱くなる。
 唇を離せば、真っ赤になったノアの顔が映った。
「エリス、……君さ……っ」
 ノアの眉間が寄せられ、切羽詰まった声が耳朶を擽る。
 幼馴染みだからこそとでも言うべきか。眉間のしわが不機嫌からのものでは無く、寧ろ余りある欲に翻弄されての証だとわかってしまった頃には、首筋に噛み付くように口付けられていた。
「んっ……もう、そんな可愛い事されたら……っん、僕は余裕ないって……」
 言葉に倣うようにノアの左手が既に腰まで捲られたネグリジェを潜り、ささやかな膨らみを持ち上げる。未熟な果実を見つけた指先が歓喜したようにそこを撫で、時には強く欲するように押し潰した。
「あっ……っ……ん、」
 呼び寄せられた官能にあられもない声がエリスの唇から漏れ、再びお腹の奥が疼く。首筋を這う舌は熱く、思い詰めたような悩ましげな吐息にエリスの息は更に乱れていく。疼く下腹に固いものが触れ、請うように押し上げた。
「我慢っ……出来ない。ごめん、エリス」
「え……っ」
 不意に温もりが離れると、ノアは自身のシャツのボタンを外し始めた。その姿にエリスは息を飲む。
 以前と変わらぬ細身だがエリスとは全く異なる男性的な体躯に驚いたのでは無い。
 エリスが傷付けてしまった左肩以外の、覚えのない無数の傷跡が美しい体についていたからだ。
 シャツを脱ぎ、下穿きへと手をかけていたノアは手を止め、気恥しさと気まずさをない混ぜにした表情でエリスを見上げる。薄い唇が嘲笑うかのように歪み、情欲を孕むも寂しげな青の瞳がエリスの胸を締め付けた。

「……びっくりした?」
「うん。でも……」
 近付いた温もりが自ら離れぬよう、エリスはぎゅうと抱き締める。白磁機のような滑らかな肌を伝って、速い鼓動が伝わってきた。
「ノアの事知れて良かった……もっと、もっと……今のノアの事も知りたい」
 これからも共に居るからこそ、今のノアの良い所も悪い所も沢山知って支えになりたいと思う。
「エリス……ありがとう……」
 青の瞳に湖面のような穏やかさを取り戻し、ノアの表情が和らぐ。
 やはりこの笑顔がノアには似合うと安堵したのも束の間。再び熱を灯した瞳が近付き、口付けと共に優しくエリスをベッドへと押し倒した。
「嬉しい。僕も知りたい。これからも、ずっと……んっ、エリスの事、……は、全部教えて……夫の僕に」
 深く口付けられながら、急くような手にネグリジェを捲られて脱がされ。あっという間にエリスはショーツ一枚にされてしまう。

「ノ、ノアっ……あ、」
「……っ……はぁ……すごく美味しそう……」
 ごくりと喉を鳴らすと、ノアはエリスの左胸の先端を口に含んだ。ねっとりとした舌が膨らんだ果実を撫で悪戯に転がしたかと思うと、右側の果実にも再び指の腹が添えられ、間もなくこちらも甘い刺激を与えられてしまう。
「あ、ノアっ……」
 緩まぬノアの愛撫にエリスの唇から愉悦が漏れる。更には最後の砦の下着にまで手を差し入れられ、エリスは身を震わせた。
「っ、……可愛い。こっちも……」
 とろけるような笑みは昼間の彼の笑みと大きな差などないのだろう。エリスも、サラも、ドニやシンハを始めとした村の皆も。きっとある程度近しい間柄の人ならば知っている。
 しかし弧を描く濡れた唇と赤らむ頬はおそらく違う。荒い呼吸も情欲の揺らめく眼差しも。きっとエリスにだけ見せてくれる特別なものなのだと思うと、胸が高鳴りお腹の奥のもどかしさにたまらなくなってしまうのだ。

「あ、あっ……」
 淡い茂みを掻き分け、秘められた果実にノアの指が触れる。
 瞬間、全身をぞくぞくとした甘い痺れが走り、信じられないような甘ったるい声が漏れた。慌てて敷布を握り必死に耐えるものの、抵抗など大海に浮かぶ笹舟より弱く儚い。
 期待に膨らむ花弁を撫でられ、蜜を纏わせた指で存在を確かめさせるように何度も捏ねられれば、抵抗は唇から漏れ出る嬌声にかき消されてしまった。

「あっ、……あ、っやぁっ……」
「良かった。ここもちゃんと濡れてる……」
「っ、ノア、そういう事っ……」
「うん。ごめんね、あんまりエリスが可愛いから」
 羞恥心を煽られる言葉に涙目で咎めようとしても、ノアは嬉々として頬を染め笑みを深めるばかり。潤う合わせ目を撫でられ、時折悪戯につぷりと指を入れられる。敏感な花芽を執拗に愛でられる度にあられもない声を漏らし、エリスは背を反らせてしまう。会えなかった日々を埋めるような愛撫は絶え間なく続き、強い快楽は何度も何かを掠めそうになる。
「や、ノアっ……や、ぁ……あっ、あぁっ……」
 あまりの慣れない愉悦に、とうとうエリスの眦から涙が溢れた。すぐにノアからうろたえたような気配がし、過ぎる快楽を与え続けていた手が止まる。

「ご、ごめん……エリス、ごめんね……」
 弱々しい声と共に優しい感触が瞼に振る。温もりに労るように優しく包まれ、安堵にエリスから力が抜けた。
「本当にごめん、僕は……精一杯努力とか……」
 苦しげに眉間に皺を寄せつつも、その眉は下がっている。未だ荒い呼吸に朱に染まる頬、戸惑うように彷徨う手と下着を押し上げる下腹部。彼の持つ全てのアンバランスさに愛しさがこみ上げる。同時にノアの告げる『可愛い』の意味にエリスは気付いてしまった。

「ノア、大好き」
 気付けば彼の腕を引いていた。自分でも驚くほど積極的に、虚を突かれたようなノアを強く抱き締める。暖かく滑らかな肌が合わさって心地良い。ずっとずっとこうしていたい。すぐ近くに、ノアの隣りに居たい。彼と生きていきたい。

「ノア……」
「……エリス」
 切羽詰まったように名を呼ばれ、「僕も」と耳元で囁かれた。ノアの柔らかな香りと温もりがエリスを包む。爽やかなベルガモットの残り香と温かく柔らかなノアの香りに扇情的な男性の匂いが僅かに混じる。

 遠くでフクロウの声が聞こえる。
 幾度も唇が重なり合い、真新しいベッドが激しく軋んだ。



 エリスとノアが再会し、互いを慈しみ、深く繋がり愛し合い、再び生涯を誓い合う中。
 ローエ邸近くでは数年ぶりに男の断末魔が轟いた。

「……いい加減にしてくれないかしら」

 感情の乏しい冷たい声を吐きつつも、サラは自身の腕の中で事切れた男を丁重に処理する。
 なんと愚かで哀れなのだろう。
 冷たくなった男は身なりこそ裕福な貴族を装っているが、生前の品位の感じられない立ち居振る舞いを見ても金に目のくらんだ下級貴族か、騎士にも役人にもならずに遊ぶ放蕩息子か。
 兎にも角にも、彼は現状のサラをとりあえず確かめるためだけの捨て駒に過ぎない。

「可哀想に……」
 サラは男が隠し持っていた武器の刃を石に打ち付け、可能な限り折り、遺体と共に葬った。いけ好かない従兄弟への報告も、物騒な毒薬の処理も残っている。もう二度と関わりたくはないと思っていたが現状はそうもいかない。火の粉が降りかかってきた以上、義弟と協力し敵方の様子も探らねば。
 ちょうど明日には大切な義理の弟妹達の様子も見たいと思っていた。可愛い義弟にも改めて謝ろう。
「はぁ……何やってるのよ、あいつは」
 元凶であろう嘆かわしき元主、一度は愛した幼馴染みの締まりの無いふにゃふにゃ顔を思い出す。同時に胸がざわつき、サラは己の心を振り払うように悪態をついた。
「頭にくるわ! 大事なノアに微妙に似てるってのが、また腹立たしい!」
 大袈裟に憤慨するサラの耳に、嫌気のさすフクロウの声が聞こえた。嫌みったらしい従兄弟の合図にサラは嘆息しつつ、鳴き声を返す。

 また、この冷たい手を彼が見たら……。邪念にサラは嘆息した。
  


 一方王都では、見逃せぬ侯爵家の不穏な動きがカルロの表情を更に暗澹たるものにさせ、ジーニアスの頭痛を助長させていた。
 何物でも無い悪魔の思惑通りか、”面白い事”は僅かな歪みで起こり得てしまうのだ。