missing tragedy

cock-and-bull……¡

恋か愛か、欲か願いか ①

「もう間違えたくないから……今夜から恥ずかしい事もできるだけ伝えて欲しいな」
 ベッドへとエリスを運び、覆い被さったノアは艶然とした笑みを浮かべ告げた。
(は、恥ずかしい事……も?!)
 言葉の真意を理解するよりも早く、唇にノアの指が触れる。形をなぞるような仕草に、エリスの頬は熟れた果実のように真っ赤に染まってしまった。

「僕からも伝える。僕はエリスが大好きで大事で大切にしたいけど……エリスの気持ちまで全部はわからないから。伝えてくれると嬉しい」
「わ、わかったわ! ノアも恥ずかし事もぜっ、全部……うぅん、あの、一部で良いから……」
「うん。伝えるよ」

 朱がさす頬が近付き、力強い腕がエリスを包む。触れる肌は熱く、首筋をくすぐる悩ましげな吐息に鼓動が益々速くなる。

 恋愛面に限らず人間的にも成熟とは程遠いエリスだ。相手の気持ちどころか、自分の気持ちでさえわからないことだらけ。だからこの先も思い違いをして悩んだり、気持ちを汲んだつもりで勝手に行動してしまうかもしれない。例えば、苦くて独特な風味の薬湯を優しい彼に飲ませてしまったり。

「……気持ち悪いって幻滅されてしまうかもしれないけど……」
 ぼそりと呟かれた言葉に、緊張し高まっていた熱がふっと緩み、エリスは笑ってしまった。

 幻滅などされるならまだしも、することなど想像できない。それにもし、多少幻滅するような事が将来あったとしても、既にそれを上回るくらいにはエリスはノアの事を好ましく思っている。尊敬や憧憬の念を抱くのもノアならば、触れたいと恋しく想うのも、共に居て心地良いと感じるのもきっと。

「大丈夫。少し残念に思っても、私多分それ以上にノアが好きだと思う」
 エリスはノアを真っ直ぐに見つめ、気持ちを伝えた。僅かに声と体が震えてしまったのは、大切な相手に本音を伝え、誤解されてしまうのが怖かったから。しかし震えもすぐに、微かな笑みと力強い抱擁に溶けて消える。

「……良いの? 僕、死ぬまで覚えてるよ? 言質を取ったって君のこと、離せなくなる」
 エリスが頷き、抱き締め返して応えると再び笑みが耳元をくすぐった。心も体も温かく心地良いとはこの事なのかと安堵する一方で、太股に当たる固く熱い昂りにお腹の奥が疼く。

 もっと触れたい。想いを伝えあって、じゃれ合うように抱き締め合って。彼だからこそもっと恥ずかしい所も、弱くて脆いところも全て知って欲しい。そんなエリスの本音は、まだまだ羞恥心と恐怖から全ては伝えられず。代わりになけなしの勇気を出し、ノアの腰を両膝で挟み、エリスは必死に言葉を探す。
 労りたい気持ちも、望む気持ちも、恐れる気持ちも。エリスとて同じなのだと、少しでも伝わるようにと願いながら。

「良い……私がノアの事、多分離せない、から……」
「エリス……」
 息を飲むような音が聞こえて。満面の笑みを確かめる前に唇が重なった。何度も合わせられた末に唇を舐められ、エリスは熱い舌を受け入れる。

「っん、……っ、」
 ノアは執拗にエリスの舌に己のそれを絡め、吸い付き貪るように口付けてくる。同時に大きな手がエリスの胸を包み、柔らかさを確かめるように蠢いた。薄布越しに先端を弄られ、唇の端から甘い吐息が漏れる。
「……っ、ノアっ」
「……エリス……」
 互いの唇を銀糸が結ぶ。熱情を帯びた深い青の瞳は揺らぐことなく、愛おしげにエリスを見つめていた。

(私も、離せない……)
 再び唇が重なり、捲れたネグリジェの裾から忍び込んだ手が太腿を撫でた。愛でるようにそっと何度も撫でられ、エリスの肌は期待に粟立つ。
「いつ触れてもエリスの肌は気持ち良いな……ここも」
「っう……」
 焦らすような緩慢な動きで下着の上から秘所を撫でられ、唇から小さな悲鳴が漏れた。

「可愛い。もう濡れてる……。もっと良い?」
 言葉とは裏腹に、長い指は遠慮なく布ごと合わせ目を擦る。濡れたそれは隔たりとなるにはあまりにも儚く、互いの欲の触れあいを包み隠すには頼りなさ過ぎた。
 やっとの思いでエリスが頷き返すと、ノアから蕩けるような笑みが零れた。

「気持ち良い所、教えて」
「えっ……あ、」
 息つく間もなく。ノアはエリスの両足を持ち上げ、性急な手つきで下着を脱がせる。そしてあろう事か、その間へと端麗な顔を埋めた。
「や、あっ……あっ……ッ」

 潤うあわいを熱い舌が舐め上げ、中からとろりと蜜が零れる。制止の言葉は快楽に耐える吐息にかき消され、ノアから微かに喉を鳴らす音が聞こえた。
「綺麗だ……可愛くて、もっと乱したくなる……」
 恍惚とした笑みを浮かべながら、ノアは荒い呼吸を繰り返す。とても真っ当な感想とは思えぬ言葉も続いた気がしたが、混乱のあまりの聞き間違いかもしれない。
 そんなエリスを知ってか知らずか、ノアは再び同じ場所へと舌を這わせた。

「ノ、ノっ……」
 溢れた蜜を掬うと不埒な舌は合わせ目をなぞり、敏感な蕾を撫で上げる。
 瞬間、受け止めきれぬほどの快楽が全身に走り、エリスは身を捩った。
「……っ」
 弓なりに背が反り、きつく閉じた目から涙が零れる。同時に甘く熱い感触が離れて。行かないで欲しいとばかりに強欲な蜜が溢れる。

「っ……エリス、気持ち良かった?」
 濡れた唇の両端を上げ、艶やかな笑みで尋ねるノアは、おそらくエリスがどれほど良かったか凡そは理解しているはずだ。
 が、一方で言わずとも伝わると思うのは傲慢であり、伝えあおうと約束したばかり。愛情から生まれた閨特有の意地悪なのか、相手を知りたい気持ちから生まれた純粋な確認の為の言葉なのか。エリスの知る彼ならばどちらもあり得る気がした。

「き……よ、良かった……けど、」
「けど……?」
 真剣な面持ちでノアは見つめ返してくる。未だ熱は灯るものの、青い瞳には揶揄うような雰囲気はなく。あられもない場所を舐め、音を立てながら啜り、淫らな行為に耽っていた人物と同じとは僅かに信じ難い。
 そして後者の可能性が高い故にか、ノアはうっかり飛び出てしまったエリスの言葉の続きを諦めない。

「教えて。改善したいんだ」
「っ……」
 真面目な声音に続いた艶美な笑みに、再びエリスの体に熱が灯る。

「けど、その……次から、こういうとっ、特殊な事をする時は、事前に……言ってくれると、こちらも心づもりが……」
 しどろもどろになるエリスに一瞬の間の後、
「……確かに……そうかもしれない」
 納得したようなノアの声が続く。
 エリスには僅かな間が一体何に費やした時なのかはわからなかったが。
「善処するよ。エリス。だから今夜はもう少しだけ、特殊な事をして……君と愛し合いたい」
 彼に対して抱く感情に、胸を満たす温かい気持ちに、身体の奥に灯る熱に。恋という一言だけを選べない自分がいることだけは、確かに自覚している。

 頬を綻ばせるノアにエリスもまた、相好を崩す。伸ばし求める手に、同じノアのそれが絡まった。

○○○

 薄暗い林の中、並ぶ幾つもの酒樽の陰で長身の男が身をすくめて震えていた。
 男は耳をそばだてる。聞こえるのは闇夜に似合わぬ愛らしい鳥の鳴き声のみ。明朗な声はその異質さからか、逆に男の恐怖を煽っている。

「なんで俺が」
 真っ青な顔で男ーーーーフェリクス・ベークマンは呻いた。

 ベークマン家は裕福な商家である。フィリクスの父は海外製の家具輸入業を始めに、食品や機械製品の輸入、飲食店経営や観光農園、私立大学運営まで手広く手掛けるベーク社の代表取締役。一族の者の多くはベーク社に勤め、次男のフェリクス自身も将来を約束された立場であった。

 とは言え、厳しい父にフェリクスへの期待も野心も大きい母、影では疎みながらも擦り寄る友人に下心を隠さずに近付く女達。フェリクスが満たされる経験は、周りが思うよりもずっと少なく。家への反抗心と欲求不満、恵まれた容姿、そして次男という立場は遊び人フェリクス・ベークマンを作り上げるには十二分な環境であり、勘当の話が度々浮上するのも無理のない事であった。

(俺はただ、指輪を渡して渡された紙にサインさせてくれと頼まれただけだ。サインは直筆で、指輪は必ず身につけさせるようにすれば手段は問わないと……成功すれば、それだけで小金が貰えるはずだった!)

 実に簡単な話だった。フェリクスはいつものように何処の誰かもわからぬ仲間からその話を聞き、何かのゲームだと思い安請け合いをした。
 ただどこかで商人の血が騒いでしまったのだ。単に賭け事として指輪をはめさせるだけでは損である、一時的にでも煩い家から逃れる術として利用すればリスクに見合う報酬が得られるだろう、と。

 ゲーム感覚で始めた事だが、自分に興味を抱かない人間との会話は案外楽しく、軽蔑を隠さずに接してくる割には誠実に向き合ってくれるエリスとのやり取りは新鮮だった。
 僅かな罪悪感と久しい興奮を覚え始めた頃には終わりを迎え、フェリクスは種明かしと謝罪代わりの金銭と菓子を贈り物として用意し、薬局へと向かった。だけであった。

(なのになんで、殺されかける? そんなに危険な取引だったのか?)
 薬局への道中、二回フィリクスは足を滑らせ転倒しかけた。転倒しかけた事により贈り物が台無しとなり、一旦別荘へと帰宅する途中に二度野盗に出くわし、命からがら逃げてきた。
 嫌な予感がして身を寄せた知人宅は放火され、購入していたパンを野宿の相棒にと犬にやったところ、犬は泡を吹いて死んでしまった。

 恨みを買った覚えがないと言えば嘘になるが、フェリクスを殺して得をする人間も少ない。フィリクスは生かして利用する、それが一番のはず。それに野盗は「仕事を終えたクズ犬は用済みだな」と笑っていた。
 遊び歩くフィリクスが請け負った仕事と言えば、エリス絡みの一件しか思い当たらない。

(畜生! 親父に連絡しようにも、ゴタゴタだとか……)
「くそッ……っ⁉」

 遠くから笑い声が聞こえ、フェリクスは飛び上がりかけた。何の害もない酔っ払いだと気付き、ほっと胸をなで下ろす。
(どうすれば良いんだ!)

『食うか?』
 ふと、背後からの低い男の声が響いて、フィリクスは再度身を固くした。