missing tragedy

研究室のくだらない話


 黄歴二千三百十年。十一の月、二十日。
 魔術研究の盛んなとある国の、とある魔術研究所で。とある議論が行われていた。

「はたして空間を曲げる行為というのは許される行為なのかしら。空間に感情が存在しないとしても、自然な状態のものを曲げる権利が私達人間にあるのかどうか、そこはなかなか行き着かない問題だと思うの」
「確かにそうかもしれないね」
 フィナの言い分に、コウは読んでいた本から目を離さずに合図地を打つ。
 やや長めの前髪と眠そうな瞳の色は銀色。薄く黄ばんだページを長い指が捲る。
 フィナは端正な顔立ちの幼馴染みへ不満げな視線を向けた。
 頭がキレると専らの噂のこの男とフィナは魔術研究所の研究員だ。魔術学院時代からの腐れ縁で、フィナが七歳、コウが六歳からの付き合いになる。なんやかんやでもう十七年になるのだから時が経つのは早い。
 小さい頃は姉のように慕ってくれたのに、はにかむような笑顔を浮かべる少年はもういない。いるのはいつも冷静で表情が乏しく、何を考えているのかわからない小憎たらしい男である。
「ねえ? 聞いてるの? 大体魔術倫理論について毎週時間を作って話し合おうって言ったのはコウじゃない!」
「言ったけど、その問題の答えは出せない気がするし先人のこと諸々含め考えても出すべきものではないと思う」
「それは……」
 コウの意見にぐっと言葉を詰まらせたフィナは仕方なく彼を睨んだ。
 だいたい答えを出せない、出せる関係なく論じることにこの時間の意義があるのではないのだろうか。第一最初は「論じることが好きなんだよ。それによって得られるものも多いし」なんて言って始めた気がするのだが。
 しかしそうでなければ、なぜこの男は毎回フィナなんかとこんな時間をとるのか、不思議でならない。
「もっと有意義な話をしようよ、フィナ」
「有意義な……? うーん……」
 仮定の話が実質的でないとするならば。一体何を話せばいいのだろうか。魔術以外の話を他人とするのは苦手だ。それが異性ならば尚更。
「あのさ、この間アンナとカフェで話してる時難しい顔してたの見たんだ。ごめんね、ちらっとなんだけど、フィナ大丈夫かなと」
「あー……あれね……」
 見られていたのか。

 数日前、仕事仲間のアンナに話があるとカフェに呼び出された。心配して向かった先には泣き腫らした目のアンナがいて、駆け寄ると彼女はわんわん泣き出してしまった。
 しかし慌てて宥め、理由を聞いたフィナは困り果ててしまう。
『彼が……胸は大きい子が好きだって……どうしたら、どうしたら大きくなるのよー!』
 彼女の言い分に、同じように胸の小さいフィナは返答に困ったのは言うまでもない。そんな方法知っているならば今頃こんな詰め物を検討するような毎日を送っていないことは明らかだ。

 しかし、その様子をまさか人に、それもコウに見られていたとは。
「彼女、だいぶ困っていたみたいだね。ごめんね、その……内容も聞こえてしまったんだ。それで、そのフィナもアンナも俺の同僚でもあるし気になって」
 確かに、あれだけ大きな声でアンナは叫んでいたのだ。あの場にいた者は皆事情を知っているだろう。
「うーん、大丈夫……だよ。だって簡単に大きくなる方法なんてないし。好きな男の人に揉んでもらうといいって言うけど、アレ都市伝説でしょ」
 実際は大丈夫なのかと問われれば疑問である。ただ何をして彼女にとって「大丈夫」になるのかはよく分からない。
 アンナはだいぶ落ち込んでいた。結局その場でフィナは都市伝説だろうとは言いきれず、胸の大きくなる方法の一つとして調べてみるからとおかしな方向の提案しか出来なかったのだ。
「都市伝説……なのかな? 胸、大きくなるかもしれないし。何よりアンナかなり落ち込んでるからこのままにはしておけないよ」
「そうだけど……調べようがないでしょ。そんなの協力してくれる人どこにいるのよ……一人じゃできないのよ?」
 フィナはため息を吐くと窓の外を見る。雨脚が強くなり始め、雷が鳴っている。転移魔法で家に帰った方がいいかもしれない。
 沈黙が流れ、掛け時計が時刻を告げる鐘の音を鳴らした。
「俺が協力しようか?」
「はい?」
 唐突に、告げられた言葉の意味を理解できず、フィナは聞き返す。
「だから俺が協力するよ。フィナの胸、揉む奴探してるんなら俺が揉む」
「いやいやいや、そりゃ調べるなら自分でだけど、さすがにそれは……」
「アンナの心配もそうだけど、問題が解決しない限り彼女の仕事のミスも減らない。それは俺も困る」
「それは……」
 そうかもしれない。フィナのチームの事務処理は殆どがアンナが引き受けている。今日も手続きのし忘れが三件、不備が五件と普段はミスの少ない彼女らしくなかった。確かにこれが続けばチーム全体の問題になりかねない。
「でも、好きな人に揉んでもらうことに意味があるのでしょう?」
「フィナは俺のこと、嫌い?」
「それは……嫌いじゃないわ」
 不安げに揺れる瞳を向けられて、心がざわつく。その言葉に特別な意味は含んでいないつもりだが、それでもその質問にはっきりと答えを出すことは難しい。緊張して頬が熱くなってしまう。
 コウの事はたぶん異性の中では一番好きだし信頼していると思う。ただ恋愛的な意味で好きかと問われるとわからない。思えば物心つく頃からコウは隣にいて、嬉しい時も悲しい時もそばにいた。だから今の今まで考えたことなど、まさに一度もなかったのだ。
「じゃあ問題ないよね。『好き』な人が胸を揉むと大きくなるか、試してみようよ」
「う、うーん……まあアンナ心配だしね……」
 もしかしたらコウの研究好きに火をつけてしまったかもしれない。彼が次の論文に『好意を持っている相手に胸を揉まれることによる胸囲の変化について』なんてのを書き出さないと良いのだが。
「じゃあ今日から毎日夜試してみよう? ついでに一緒に夜ご飯でも食べようよ。フィナさえよければ俺のうちでご飯ご馳走するけど?」
「えっ?! ほんと?!」
 思いもよらなかった提案にフィナは身を乗り出した。
 ああ見えてもコウの料理の腕はそこら辺のシェフよりも良い。勿論フィナなんか足元にも及ばないくらいだ。
「ビーフストロガノフを頼んでもいい?」
「了解。用意しとく」
 唇の端を僅かにあげてコウが微笑む。
 鐘の音もなったし休憩時間も終わりだ。研究室へと戻る時間である。
 フィナは休憩室の扉に手をかけながら振り返るとコウに付け足した。
「ありがとう。先に戻ってるわ。……ピクルスも期待してる」
 バタン、と扉を閉めてからフィナは研究室へと続く廊下を上機嫌で歩いていく。
 胸を揉んだところで大きくなるとは思えない。もっと効果的な方法がある筈だ。食事をしたらその事をコウに話し、もっと様々な方向性から胸を大きくする方法を考えねば。丁度よいことに両親が医者である彼の家には医学書がたくさんある。
「……ところで有意義な話……だったのかしら?」
 少なくとも今晩美味しい食事にありつけるきっかけになったといえば、「有意義な話」だったのかもしれない。


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「コ、コウ……ちょっと待って!」
 フィナは近づいてくる貪欲な獣のような瞳をした幼馴染の端正な顔を抑えた。
「……なんで?」
 僅かに眉を顰め、不機嫌そうにそう吐いた彼は首を傾げる。どうやらフィナの反応が理解できないらしい。
 フィナは今ベッドの上にいる。それも何故か風呂上がりの幼馴染に押し倒されていた。
 湯気が立ち上る上半身は何も身につけておらず、コウの銀色の前髪からは雫が滴り落ちている。ふんわりと彼からは石鹸の香りがした。
「なんで、って、こっちこそなんでよ!なんでコウが私の上に乗ってるの?!」
「え、だって胸を揉むのでは?」
「ここベッド!!」
 ばん、とベッドを叩くとコウは更に首を傾げるものの、上から退く様子はない。フィナは大きな溜息を吐くときつく彼を睨みつけ、此処が何処なのか強く主張した。
 ところが肝心のコウは首を傾げ、不思議そうな顔をしながら斜め上を行く予想を立てる。
「うん、知ってる。あ、上に乗られるのが嫌とか? フィナが乗りたい?」
 その問いにフィナは痛む頭を抑えながら首を振った。
「いや、そうじゃなくて。胸を揉んで大きくなるかなんてわからないし!」
「だからそれを今夜調べるんじゃないの?」
「そうだけどそれについてはもっと違う方向から考えるべきだと……とにかく、仮に試すとしてもコウが脱ぐ必要はないと思うの!」
「だめか?」
 艶っぽいため息とともにコウはフィナのシャツをたくしあげる。そしてそのまま可愛げのない下着をもずらしてしまった。
「ひゃ、ぎゃ、やめ……あっ……」
「俺も頑張るから」
 かみ合わない返答をするとコウはフィナの胸を下からやんわりと揉み始める。そっと壊れ物を扱うようなその動きにフィナは動揺を隠せない。
 そんなに強く抑えられているわけでもなく、抵抗もしようとすれば出来ただろう。それなのにそれが出来ないでいるのは、悔しいが彼が相手だからだ。色気の欠片もなかった悲鳴は、次第に甘さを含んだものへと変化していく。自ら発した声に、羞恥でフィナは真っ赤になるしかない。
「やっ……あっ、あんっ……あっ……コウ、だ、めっ……」
「やだ。だってフィナ心底嫌がってないし、こんな千載一遇の好機滅多にないし」
 見透かされていることがとても悔しい。何が好機なのかはっきりとはわからないが、『同僚の胸をタダで揉むという千載一遇の好機』とか碌でもない感じなのだろう。いや、もしかしたら研究熱心な彼のことだから『同僚の胸が大きくなる瞬間を目撃する千載一遇の好機』とかそんな類かもしれない。
 触れられたところは熱くて痺れている。骨ばったコウの手は確かめるふようにフィナの胸の形を変えていた。異性に強引に淫猥なことをされているというのにそれが決して不快でないと感じている自分が恥ずかしい。
「フィナ……」
 切なげな瞳が近づいて、口付けられる。唇を舐められ、背中に柄にも言われぬ快感の波が走った。
「んっ……」
「……っはぁ、フィナ……んっ……」
 触れる手はもう先程のように優しげなものでは無い。意識的に先端を転がされ激しく胸を揉まれる。同時に何度も何度も口付けられ、息をするのもやっとだった。飢えた獣に貪られるように、執拗に行為を続けられてフィナの身体は溶けてしまいそうだ。
 恥ずかしいのに抵抗するという選択自体がもはやフィナから消えていた。それどころか口内に入ってきたコウの舌に自らのそれで応えてしまう。
 唾液の混ざる淫らな音が耳に張り付く。更に強く主張を激しくさせる胸の突起を弄ぶように押し潰され、フィナは口付けの合間に甘く啼くことしか出来なかった。
「んっ、ん、ぁっ……」
「っはぁ……大きくなるといいね、フィナ」
 口角を上げ妖艶に微笑んだコウは、そう告げるとフィナの頂を口に含む。敏感な部分をコウの舌が掠め甘い痺れがフィナを飲み込んだ。
「あっ……!!」
 目の前が真っ白になる。初めてのその感覚にフィナはびくりと一度身体を震わせるとくったりと脱力した。
 思考能力が著しく低下しているのか、はたまたこの状況を現実と受け止めきれないのか、目の前で起こっていることが理解できない。ただ目の前の幼馴染みが瞳を細めて微笑んだような気がした。
「どう? フィナ?」
 唇を離したコウがフィナの身体をぎゅっと抱きしめる。顔は見えないが、その声は淡々とした彼に似合わずいつになく嬉しそうだ。
 どうか、と問われても正直なところ何を聞いているのかさえもわからない。それは感想なのか、状態なのか、また何について聞かれているかも不明瞭である。
「えっと、わかんない」
 結局フィナはそれしか答えられなかった。ぼやける頭ではこれが精一杯だ。
「そうか……じゃあもっとしていい?」
 やや落胆したような声はすぐに甘さを含んだそれに変わり、フィナの首筋を擽った。瞬間、一旦冷めた熱が再び点ってしまう。
「それは……」
 頭の片隅で冷静な自分が叫ぶ。ここから先は同僚や幼馴染み同士が行う領域ではない。今すぐきっぱりと断るべきだと。
 コウの腕が緩まり、彼の銀の瞳が真っ直ぐにフィナを捕らえた。口許に笑みを浮かべているのにそれは寂しそうに見える。
「俺じゃあ駄目?」
「駄目も何も……これ以上は恋人同士や夫婦がするもの、じゃない?」
 フィナの感覚では間違っていないはずだ。もちろん人によって違うのかもしれないが、フィナは一般的にはそういうものだと認識している。ただこの状況になって辞めて欲しいと願うのは狡いし、コウに無理を言っているともわかっていた。抵抗しなかったのはフィナだ。そしてそもそもこんな相談を持ち掛けてしまったのもフィナなのだ。だから精一杯、説得するしかない。そう思って口にした言葉だった。
「じゃあなっていい?」
「……え? なる……?」
 悶々としていたフィナは言葉の意味を理解しきれず、目を丸くし口を開けてしまう。
「ああ。いいか?」
「なる、とは……?」
「俺が」
「うん……」
「フィナの、」
「うん……」
「夫に」
「は?」
 やっぱりわからない。何故そうなるのだろう。と言うか色々な段階を最初から三つも四つも飛ばしている。告白とかお付き合いとか結婚後の人生設計についての話し合いとか、せめて一つだけでもないのか。
「……どうして?」
 フィナは整理しようとまずは理由から聞くことにした。未だ未知なる部分が多い幼馴染みの答えに僅かな懸念を抱きながらも、そうでないことを願って。
「え? 好機は逃さない主義なんで」
 しかし願いは瞬時に散ってしまう。心配していた最悪の答えが返ってきた。自らの下唇を舐めるコウはにっこりと微笑んでいる。
 胸を揉むという好機を逃したくない、未だかつてこんな理由で誰かの夫になった男がいただろうか。
「夫とか……! 無理です!」
「なんで?」
「普通に考えて無理です……?! この流れでないでしょ!」
「自然な流れだと思うけど……? それとも夫は妻のおっぱいを揉んではいけない……? フィナの感性では恋人は良くて夫だとおっぱいを揉んじゃ駄目なのか……??」
 眉間にしわを寄せコウは考え込んでいる。論点はそこではないし、そんな真剣な顔でおっぱいおっぱい言われても様になんて微塵もならない。
「そこじゃない! そうじゃなくてっ……夫になりたいって、普通はどちらかが好きになって告白とかしてから、せめて少し付き合うとか、色々あるでしょ?! 別に恋愛感情がないご夫婦もいるけど、それでももっとちゃんとした理由があると思うんだけど?!」
 恥ずかしさに半ば訳が分からなくなりながらフィナは叫ぶようにコウに告げる。何故だか無性に泣きたい。
 確かにコウは歯に衣着せぬというか、率直にものを言う所がある。そこがフィナは嫌いではないし、簡潔で素直な意見は仕事では助かる場合も多い。何より一緒にいて心地良いのも本当だ。
 しかし今回ばかりはそんな本音など聞きたくなかった。このふざけた男に対して抱いているこの感情が怒りなのか悲しみなのか、元より何に対するものなのかも冷静でない頭では考えられない。
 コウはそんなフィナをじっと見つめていた。その銀色の瞳はほんの少しだけ見開かれている。
 しかしそれもすぐに元に戻ると、コウは先ほどよりも更に眉間にしわを寄せ呻くように言った。
「俺はフィナが好きで、フィナも俺が好きで……だから俺はフィナのおっぱいが揉みたいし夫婦になりたいんだけど、それでは理由にならない……?」
 その問いに零れそうになっていたフィナの涙が止まる。
「え……? コウが私を、好き……?」
「大好きだよ? じゃなきゃ揉みたいとか夫になりたいとか普通は思わないんじゃない?」
 コウはどうしてそんな当たり前のことを聞くのか、といった風に首を傾げた。呆れるというよりは不思議で堪らないといった感じだ。
「え、でも私もコウが好き……なの?」
「多分……? フィナ俺といるとよく笑うし近づくと視線逸らすけど赤くなるし、他の女性と仲良くしてるとちょっと仕事が粗くなるしさっきみたいなことしても嫌がらないから……。違う?」
 思わぬ指摘にフィナの頬は意図せず熱くなった。心当たりがあるだけに反論ができない。
「どう? 結婚考えてくれた? あと……続き、していい?」
 切なげな瞳が近づいて甘えるように頬擦りされた。続けて耳の下にそっと唇が押し付けられる。
「あっ……」
 思わず甘ったるい声がフィナから出た。恥ずかしさにぎゅっと目を瞑り、コウの肩に顔を押し付けてしまう。僅かに触れた肌から速い心音が伝わって、それもまた顔に熱を持たせる。
「いい?」
 掠れた低いコウの声に、フィナは訳もわからず一回だけ頷いた。
 瞬間、耳に息がかかってびくりと肩が揺れる。反射的にコウに視線を向けると心底嬉しいとばかりに細められた瞳とぶつかって心臓まで跳ねた。ほんのりと染まった頬とはにかむような笑顔は懐かしい想い出の中の少年のようなのに、含まれる甘さが違う。思わず訳もわからず頷いたなど、言い出せるわけがない。
「フィナ、好きだ」
 フィナの唇にコウのそれが触れた。柔らかさを感じる間もなくすぐに離され再び合わせられる。ついばむような口付けは次第にその時間を長くし、味わうようなものへと変わっていく。いつの間にか差し入れられた舌がフィナの口内を撫でた。
 思考が、身体が、溶けてしまいそうだ。両頬を包むように添えられた手は熱く、舌を絡められ吸われる度にぞくぞくする程の快感がフィナを襲う。時々唇を離すコウの頬は赤く、悩まし気にフィナを求めるような表情が胸を締め付ける。まだコウへのこの気持ちに答えを見つけられないことを伝えなければならないのに。傷つけてしまう気がして、たった一言が言葉にならない。
「フィナ、」
 するりと絡められた指はもう、柔らかく小さい少年のものではない。
 細められた銀の瞳の奥に揺らめく熱にあっという間に捕らわれる。
 瞬間、するすると糸が解けるように、フィナは納得する。
 そうだ。コウはいつだってまっすぐな人間だった。可愛らしい少年時代も、無表情な今も。賢いが決して器用ではない。まっすぐで、好きなものに対してはとことんひたむきで、研究熱心で。優しいけれど至極単純だった。そして。
 行動理由に『なんとなく』などという曖昧なものはない。不確かなものを追うときには、必ず深い理由がある。
 フィナは今になってようやく、コウが何故、魔術倫理論など『答えの出ない不確かで曖昧なもの』を議題にしたのかわかってしまった。


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「……ん、うっ……」
 内側を抉るような痛みにフィナは思わず眉を顰めた。噂では聞いていたが、想像以上の圧迫感だ。痛いというよりも苦しいに近いかもしれない。気を緩ませると泣いてしまいそうだった。
「ごめん、フィナ……」
 悩ましげなため息と共に謝罪の言葉を口にしながらも、コウは未だ収まりきってない自身をフィナの奥に繋げようと腰を進める。荒い呼吸と悩まし気に漏れる声は艶めいていた。
 快感などとても拾えない。正直今すぐ止めてコウとそのまま朝まで惰眠を貪りたいけれど、一方で彼をずっと見ていたいとも思っている。
「ごめんフィナ……苦しい?」
 繰り返される言葉にフィナは苦笑した。肯定した方が良いのか、否定した方が良いのかはフィナには判断がつかない。仕方なくありのままに答えた。
「うん……まあね」
 コウの眉間に更に深いしわが寄り、銀の瞳が悲し気に揺れる。泣き出しそうなそれは瞬時にコウをフィナの知る幼い少年に変えた。後をくっついて離れない、人見知りの激しい甘えん坊の少年だ。
「泣かないでよ」
 手を伸ばし銀の髪をすく。そのまま頭を撫でると、更に彼の顔が幼くなった。眉間にしわが寄っていることに変わりはない。しかし不満げな瞳とへの字に曲がった口は、少し前まで大人の色気を零していた青年と同一人物だとは思えないほどだ。
「泣いてるのはフィナだ」
「泣いてないよ。コウじゃあるまいし」
「いつまでも子ども扱いは困る」
「……してないってば」
 その言い方や表情そのものが子供っぽいのだと彼は気付いていないようだ。笑いをこらえるために口元を引き締めようと努力したが、そううまくは出来なかった。付き合いの長い幼馴染みを欺くことは容易いことではない。
「その間はなんなのフィナ……」
「なんでもないってば。……可愛いなぁ」
 そう言ってフィナはコウの頬に触れる。そのまま今にも膨れ始めそうな朱色の頬をつつくと、その手を掴まれた。
「フィナはわかってないよ」
 その言葉を合図にコウは再び腰を進め始める。
「ひっ……あっ」
「俺は弟でも幼馴染みでもないから」
 狭いフィナのそこを押し広げるようにコウは深く入っていく。内側からの圧迫に息が止まりそうになる。
「弟とか幼馴染みはおっぱい揉まない」
「あっ……」
「フィナ。十年でも二十年でも、この先ずっと。ちゃんと俺が研究に付き合うから」
 懇願するような声音と共に、コウのそれがフィナの一番奥を押し上げる。
「あっ、あぁっ……」
 目の前でコウの瞳の色とよく似た星が散って、唇に柔らかなものが合わさる。フィナを包む温もりと懐かしい匂いに安堵するように、フィナは意識を手放した。

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「そうなの~えへへ。彼がね、小さいのがすっごく可愛いって。大きいより良いって」
 小動物のような可愛らしさを保つ仕事仲間に、フィナはポカンと口を開けた。薬指に光る真新しい指輪を確認し、再び満面の笑みへと視線を戻す。
「う、うん。良かったね……」
 どうやらアンナの悩みはごくごく簡単になくなってしまったようだ。その上、色々と新しい未来へと繋がったらしい。
 昨日までの『巨乳も貧乳も滅びろ』と呪いの言葉を吐いていたアンナが楽になれたのならば、それはそれで良いのだけれども。あまりの変わりようにフィナは少々拍子抜けしてしまった。
「ところで、フィナのとこはどうなの?」
「どうって?」
「だから胸問題」
 微笑みながらとんでもない発言をするアンナに、後ろから低い声が答える。
「順調だよ」
「噂をすればだね。じゃ、フィナ、夫氏。私はこれで」
「なっ……アンナ! ちょっと!」
 ウインクをして去って行くアンナに叫ぶ。しかしその声に彼女の歩みを止める力はない。
「ちょっとコ……っ」
 後ろでしれっと出任せを言ってのけたコウに文句を言おうと振り向いて、フィナは一瞬だけ言葉を失ってしまった。
 無表情なはずの幼馴染みの頬はフィナと同じ朱(あか)。口元は僅かに緩んでいる。
「なに、フィナ」
 一瞬の後、コウの表情はまた元の冷静な幼馴染みへと様変わりする。否。よく見れば僅かに口角は上がり、瞳も細められている。眼差しだってフィナ以外の人間に向けられるものとも、彼の大好きな研究対象に向けられるものとも全く違う。
「あの、何でもなくて……」
「ところでフィナ。約束、守ってね」
 フィナの頬がカッと熱くなる。薄く笑む幼馴染みは変わっていない。
 まっすぐで、意外に単純で。
「俺への気持ちがまだハッキリしないなら、待つよ。夫として支えながら、フィナに好きになって貰うまで待つ」
 好きなものにはひたむきで、研究熱心で。
 手を取られ、するりと指を絡められる。
「と言うことで早速今晩、フィナをご飯に誘いたいんだけど、良い?」
 優しいけれど至極単純。おまけに彼の行動には。
「良いわ。私もこれからのこととか、ちゃんと、コウのこと……話したいし」
 『なんとなく』などという曖昧なものはない。彼の行動には、必ず深い理由がある。

 真っ赤になったフィナを見て、コウの頬が緩む。
 その表情はあの頃と、全く変わっていなかった。



 終わり