missing tragedy

薬の薬 後編

cock-and-bull……¡ SS 4
 





「あいつは逃げたのさ。村中の女という女を食い尽くして、飽きたんだろ? やっぱりろくな奴じゃなかったね」

 ドニは耳に飛び込んできた言葉に身を乗り出しそうになった。
 行きつけの酒場では男達が思い思いの話をしていた。職場の愚痴に、女の自慢、友達の知人の笑い話に混じって不穏な噂話が聞こえてきたのはつい先程。
 恰幅の良い赤ら顔の男は自慢げに話す。男は見た目じゃない、女の尻を追いかけ回すような奴はろくな奴じゃない、と。
 それはドニも同感だが、例として出てきた話には異を唱えたかった。

「顔が良い男は全員ダメだ。ノアが良い例さ」
 赤ら顔の男は上機嫌で持論を振りかざす。
 しかしドニが詳しく事情を聞いてやろうと立ち上がる前に、周りの男たちが鼻で笑った。
「おいおい、お前ノアに何の恨みがあんだよ」
「あいつ以上にしつこくて一途な男はいないだろ? それに仕事で王都へ行ってるだけだって聞いたぞ?」
「どうせまだあの女にこだわってんだろ。こいつの女、ノアに惚れてたし」
「あーあの子か。お前、あの子はノアに惚れても惚れなくてもお前なんか願い下げだと思うぞ?」
「男は中身だもんな」

 下衆な笑いと共にノアを援護する言葉が男に集まる。
 赤ら顔の男は益々顔を赤くさせ、やけ気味に酒をあおった。
「てめぇら……喧嘩売ってんのか? いいか? これは確かな情報だからな! あいつは逃げたんだ。その証拠にもう三月も音沙汰ねぇじゃねぇか!」
 その言葉に笑っていた皆が押し黙る。

 ドニの弟子、ノアが突然王都へと旅立ってから三月が過ぎた。
 仕事でない事はドニだけが知っている。

『ドニの頼みで王都にある薬問屋へと話をつけに行った。その後そのまま医師の資格試験を受け、研修も済ませてくる』ということにしてくれとの手紙があったのは三月前。ノアが王都へ旅立った日の昼だった。
 理由は両親の事とだけのみ。すぐに用事を済ませ戻ってくるから心配しないようにと、何かあれば手紙を書くと、こちらを気遣うような言葉もあった。

 愛弟子の焦ったような筆跡に、ドニはひとつ返事の手紙をしたためる。仮住まいと伝えられた住所へと宛てた。
 真実だとは思ってない。ただ必要だと判断したから、ドニはそれとなく周りに零した。嘘の下手くそなどうしようもない弟子の身を案じながら。
 それから2週間の間を開けて、謝罪と『何があっても驚かないで、そのまま受け取って欲しい』との謎の言葉を受け取った。
 美しい文字はインク溜りを起こし、一目見て高そうだとわかる封筒はかなり汚れていた。謝罪の言葉は何度も表現を変え、繰り返し綴ってあった。

 今となっては、死を予感したノアの遺言だったと思えてならない。
 可愛がっていた弟子の死など考えたくはないが、死ぬ順番が年齢順とも限らない事は往々にある。医師であるドニはよく知っていたはずだ。

「あいつ、なんか事件とかに巻き込まれてねぇよな?」
 誰かが耐えきれなくなったように零した。誰もが抱いていた不安。人の良い笑顔が脳裏を過る。
「ちげぇよ。あいつは村を捨てただけだ。王都でいい女に会って、帰るのが嫌になっちまったんだろ……」
 やっかみと希望が混じった言葉に、ドニは席を立つ。「意外とそうかもな、ハハ」と、から笑いする店主に金を払い店を出た。

 街灯に照らされ、雪が淡いオレンジ色に染まっている。ノアが旅立ち、年が明け。長いミニアムの冬は終わろうとしている。

「ドニさん、ですか?」
 その時。後ろから声がした。慌ててドニは振り返る。
 この村の人間らドニを『先生』と呼ぶ。親しい仲間は呼び捨てる。親しくない人間は苗字で呼ぶ。
 しかしあの人はドニをそう呼んだ。『ドニさん』と、仕方ないとばかりに微笑みながら。最後まで自分をそう呼んでいた。

「嘘だ、」

 思わず言葉が滑り落ちる。
 振り返った先には、ふくよかな女性が立っていた。品の良いワンピースに身を包み、戸惑うようにドニを見つめている。
 瞳の色には覚えがあった。彼女と同じキャラメル色だ。
 たしか幼かったあの子もそっくりなーー。
「ドニさん、ですね? お久しぶり……ですね。ロージィです」
「あ、あぁ」

 言葉にならなかった。ドニには目の前の中年女性が幼くして別れた娘だと、未だに信じられなかった。
「遅くなってしまってごめんなさい。ノアさんからお話を頂いて……色々迷ったんですけれど、会いに来ました。夫と二番目の娘と隣町に泊まってます。ご迷惑なら帰ります。でも良かったら、明日、また改めてお会いしたいです」
 ロージィは一気に用件を述べると、ぺこりと頭を下げた。

 ドニの瞼が熱くなる。今になって、様々な感情が込み上げてくる。

 愛弟子を思い出す。

 男の方が使う避妊薬など、ドニ以外の人間に金を積んで手に入れた方が遥かに楽だったはずだ。
 わざわざドニの古傷を抉るのが楽しい性格でもない。ハードルの高さに比べれば、メリットなどないに等しい。
 繰り返される謝罪と『何があっても驚かないで、そのまま受け取って欲しい』との文字。
 そこまで考えて、ドニは笑う。
 考えれば、いかにも彼らしい。人の目をひきつける容姿に、人当たりが良すぎて妬まれかねない笑顔、物怖じしない落ち着き払った堂々とした立ち居振る舞い――に全く似合わない純朴さを持つ律儀な青年。
 ノアの言葉ならば。手紙のそれはおそらく『死』ではない。

「そっちかよ。礼はいらねぇって言ったじゃねぇか……」
 涙がこぼれ落ちる。
 半世紀の時を経て、自分と同じような青年に出会い、自分のようになるなと薬を処方して。幸を祈って。
 どうして自分の薬になるなどと予想出来ただろう。

「お父さん、また会いに来ます。お母さんも会いたがってます」
 差し出されたハンカチごと、娘を抱き締める。

 完全にしてやられた。ドニがその昔、避妊薬の副作用で妻の体を壊してしまった事も、そのせいで産まれたばかりの娘や妻と引き離された事も、ずっとずっと悔やみ自分から会いに行けなかった事も、ノアは全て知っていたのだろう。
 
 雪道に消える娘の背中を送りながら、ドニは遠くを見つめた。
 夜はすっかり更けていた。星々は自分はここに在るのだと、必死に煌めいている。街灯は変わらず雪を淡いオレンジ色に染めていた。
「綺麗だな。なぁ、ノア。そう思わねぇか?」
 可愛く憎たらしい弟子が無事約束通り帰ってきたら、どうしてやろう。
 まずは揉みくちゃにして、どこへ行ってたと睨めつけて。お前こそ妻へ謝った方が良いと年寄りの説教をし、そう言えば借りはいつ返してくれるのだと聞いてやろうか。

 反論したら、それこそとことん論破してやろう。

 もちろん資料として手紙も添えて。

 
 
 終わり