missing tragedy

present

first present

「ところで兄さん、部下を私事に使うのは示しがつかないと思います」
 午後の日差しが差し込む執務室で、話題は国内の就労環境問題から一転、話題は触れられたくないカルロの秘密へと移った。
「なんの事だ? 私は何もしてない」
 痛いところを突かれカルロは恍ける。ジーニアスの眉間にシワがより、不満そうな唇からは深いため息が漏れた。
「兄さんのお気に入りも来年で30です。行き遅れもいいところですし、そろそろ良いのではないですか?」
「……もちろん考えてはいる。本音を言えば今すぐにでも迎えに行きたい。だが今は国の立て直しが先だ。安心しろ。王位を正式に継いだらすぐにでも王宮へ呼ぶ」
「囲うのですか?」
 その問いにカルロは心外だとばかりに眉をひそめる。
「妃にするんだ」
「なら安心出来ません」
「サラはもう秘密を知っている」
 自ら吐いた言葉に嫌悪した。そう彼女はもう知っている。もう十年近くも前に。
「……知っております。ですがあいつを見たわけではないのでしょう? 信じてなければ秘密を知られたことにはなりません」
「何が言いたい」
「ですから。オルコット家当主の姪御とは言え、婚姻関係を結んでまで秘密を守らなくとも良いと申しております。最悪一般人ならばどうとでもなると……っ!」
 目にも留まらぬ速さで、カルロは剣を抜きジーニアスの頬を掠める。切っ先をゆっくりと回転させ、刃をジーニアスの首筋へと向けた。
「冗談ですか?」
「半分は」
 カルロの目は薄暗い。兄の逆鱗に触れてしまったことに、ジーニアスはようやく気付いたようであった。嘆息し、やれやれとばかりに首を振る。
「わかりましたよ。剣を収めて下さい。私は父上と母上の後をすぐに追うつもりはありませんから」
「……すまない」
 カルロは剣をおろすと呟くように告げた。床を見つめる瞳は暗い。
「……実の弟に剣を向けるなんて、俺は最低だな」
 普段は兄にも容赦のない、毒舌で有名な実弟もその言葉を肯定することはない。
 代わりに一言。肯定よりも重たい言葉を吐く。
「貴方は最高の『王』です。……そうでなければなりません」
「……そうだな」
「もう、二度と逃げないという約束。お忘れなきよう」
「……わかっている。……悪かった」
 厳しい言葉だが、全ては弟の優しさだ。カルロとてもう一度、血に染る自室を弟に見せたいわけではない。
 カルロは首筋をさする。古傷に触れては、自らが犯した数々の罪を思い出す。
 果たして自分はなれるのだろうか。この世でただ一人の最愛の人を守れず、それどころか散々傷つけた自分が。この国の民を守る『王』になど。


 カルロは今も、十年前のあの日を思い出す。
 薄暗い部屋。雨の匂い。静かに涙を流す彼女。
 
 どこで、どうして、いつから。そんなものはもう、考えるだけ無意味だ。
 ただ一つ、あの時の自分を今もカルロは許せていない。そしてそれはまた――。
 
 
 ♛♛♛


「カルロ。良かったわ。丁度貴方を呼ぼうと思っていたの」
 カルロの母であり、この国の王妃であるアメリア・ファン・デル・ライは四つになったばかりの息子を手招きすると、柔らかく微笑んだ。
「貴方もよく知るあのハンナの娘さんよ。カルロ、可愛いお嬢さんにご挨拶を」
 母の言葉に少年ーーカルローーは目を瞬かせる。それは王子である自分が、身分も素性も名前もわからない人間に、自分から挨拶するなど今までになかったからだけでは無い。
 目の前の少女に目を奪われてしまったからだ。
 凛とした雰囲気をまとう少女。アーモンド型の大きな瞳は凛々しく、ふっくらとした赤い唇は意志の強さを示すように引き結ばれている。歳はカルロと同じか、少し上くらいだろう。しなやかなダークブロンドの髪は今まで見た誰よりも美しかった。
「あ、あの……名前、君は……」
 緊張してまごついてしまう。自分が何を言っているかも、カルロにはもうわからなかった。
「お初にお目にかかります」
 少女はカルロを一瞥すると、さっと膝をつく。呆れたような色が見えて、カルロの頬にさっと羞恥の朱がさした。そのまま彼女に右手を取られ、柔らかな唇が重なった。
「サラ・ローエ・オルコット。サラと呼んでくだされば」
「あ……」
 先程とは違う意味でカルロの頬が真っ赤になる。
 本で読んだような騎士。何者にも恐れることは無く、媚びもせず、敬意を払って相対する騎士。そんな言葉が彼女には当てはまるようだった。
「サラ! 殿下、申し訳ありません。娘はまだ幼く……」
 慌てたようにサラの振る舞いを謝罪するハンナの言葉は全て入ってこなかった。
 ただ、この少女のことをもう少し知りたいと。他人をもっと知りたいと思ったのは、カルロにとって初めての事であった。

 ♛♛♛
「カルロ、お前は自分の言っていることがわかっているのか?」
 父王のその問いにカルロは暫し眉根を寄せる。しかしすぐに屈託のない笑みを浮かべ、先程の発言が言い間違えではない事を示す言葉が唇から発せられた。
「はい! わかっております。わたくしはサラを幸せにしたいのです!」
 齢七歳の息子の発言に、父は頭を抱える。
 今日、とうとうカルロの婚約者について、忠臣であるフェザー公爵から進言があった。三代前の王妹の嫁ぎ先、フェザー家の現当主はやり手だ。フェザー家の力を更に大きくする為ならば、五つなったばかりの末の娘や一昨年誕生した孫娘をも利用する事を躊躇わない。思惑があっての進言であることは明白だった。
 その場では検討しておくとだけ答えた王だったが、実際のところ『検討』する余地は無い。これ以上の力の不均衡は争いを産む。近年領地を着々と広げているフェザー家との縁談は危険だ。
 カルロの相手は側近の五家の中から選ぶとしても、王としてフェザー家だけは避けたかった。
だが。
「サラの叔父上は現オルコット卿です。そしてお父上は父上のご親友、かの有名なブルーノ副将軍です! ノアが城に戻ればブルーノ殿は養父となられるのですよ!」
「ああ、そうだな」
 目の前で何も問題などないと息を弾ませる息子に父はこめかみを押さえる。
「サラはとても素敵な女の子です。凛々しくて強くて格好良くて……」
「確かにサラはブルーノに似て強いが……」
「そうなんです! 父上、俺はサラと結婚します! はやくサラと一緒に暮らしたいです!」
 ぴょんぴょんと飛び跳ねるような勢いでカルロは熱弁し続けた。王子にあるまじき姿に父王の頭痛は酷くなる。
 隣に座る妻アメリアに救いを求めようにも難しい。彼女は眉を下げカルロを慈愛の眼差しで見つめている。愛息が親友の娘との結婚を望んでいるのだ。しかもその親友の娘とアメリアとの付き合いは、自分の息子とのそれよりも長い。彼女が婚約に反対するわけが無い。
 確かに婚約者の家としてフェザー家だけは避けたいとは思っていた。しかしブルーノの娘もまた、選びたくはない。
 妻を支え、最愛の息子の命を救ってくれたのはブルーノ一家だ。そして数年前まで、公に出来ない仕事を請け負ってくれていたのも彼らである。
 二人には一生をかけても返しきれない恩がある。平穏を手に入れたあの一家を、この醜い世界に連れ戻すことなどしたくないのだ。純粋で善良な彼らにここは似合わない。手元に置けば、優秀で従順な親友を再び利用してしまうと王は確信していた。
「わかった。カルロ。そんなに言うのなら、サラ嬢の心だけでも得てみなさい。婚約はそれから検討する」
「本当ですか! 父上!」
「カルロ、た……」
「ありがとうございます! 陛下!」
 満面の笑みのまま、カルロは恭しく礼をとる。
「では早速行ってまいります!」
「カルロ、」
 窘めようとする母の言葉をも振り切り、愛息子は部屋を足速に出ていく。残った王と妃は顔を見合わせると、それぞれ唇から苦笑を漏らした。
「大丈夫でしょうか?」
「…………様子を見るしかないだろうが、あの子は賢い。カルロと違い先を見据えられる子だ。たとえカルロが心を射止めても、婚約に頷く事はないだろう」
「あら? 貴方こそ見誤ってますわ」
 ふふふと微笑む妻の反応に王は首を傾げる。てっきり彼女は親友の娘と自分の息子との結婚に賛成で、何かしらの小言がくるくらいの覚悟はしていたのだが。
「何が違うと言うんだ?」
「ふふ、掛けましょうか? 私は…………」
 王妃の唇から紡がれた未来予想に王は唸る。確かに。その可能性は否定できない。
「まあどちらにせよ、少し考えねばな。私はブルーノ達には……幸せでいて欲しいのだよ」
 王の言葉に王妃は瞳を伏せる。
「私もです……」
 どうか敬愛する親友達も、愛する我が子も、敬愛する親友の娘も、皆が幸せになるように。
 祈りを込めて、二人はお互いの手を重ね合った。