missing tragedy

cock-and-bull……¡

夢から覚めた王子は ②

 
「うっ……」
 身体の痛みにノアは思わずうめき声をあげた。

 微熱が生死にかかわるほどの高熱へと変わったのは十日前の事だ。侍医にはとうとう昨日、いつ息を引き取ってもおかしくないと兄の前で言わせることとなってしまった。
 ガタガタと震えながら真っ青な顔で容態を伝えた彼を思い出すと胸が痛む。全てはノアの所為であるのに、申し訳ないことをしてしまった。
 朧げな意識の中で左腕のそれは禍々しい光を放つ。兄達のかけた魔法が発動している証拠だ。
(何で僕は簡単に兄さんたちを信じてしまったんだろう……なんでこんな状態に……もしあれが本当ならエリスも……? くそっ……)

 口惜しさと後悔に、口汚い言葉を心のうちで吐いた。忌々しい呪いに腕を切り落としたくなる。
 今朝方、密使が『ついでに』と届けてくれた情報。
 ――――『噂ではありますが、エリス様が原因不明の熱を出されているようです』
 伝えられた時は思わず密使に掴みかかり、はっきりと続きを言わない彼の首を絞め息を止めかけてしまった。
 思い出せば思い出すほど、情けなさと不甲斐なさに、自分の愚かさに、腹が立って仕方ない。もし彼の報告したことが本当ならば。兄達を、何よりも軽率な自分をノアは許せないだろう。

 朦朧とする視界に奴は居ない。見えるのは寝所を覆う天蓋の布ばかりだ。
 幻聴――だと思いたかった奴の声。幻覚――だと信じたかった奴の姿。
 それらが幻聴でも幻覚でもないことは証明されつつある。
 全ては亡き父が隠し持っていたあの書物に、奴の事が姿形、声の特徴や口調まで記してあったからだ。

 この国を治める歴代の王達は奴と契約し王となり、その特別な力を随所借り国を治めてきた。ある者は全ての選択を奴に任せ、ある者は限定的に、そしてある者は一切の力を借りず。
 現に父王はじめ、ここ数代は奴の力を借りることはほとんどなく、あくまで争うことなく次代の王を決める術として使っていたようである。
 そもそも奴の力は契約者の力量によって何の役にも立たない力にもなりうる。上手に使えたとしても無敵とは程遠い。よく当たる占い程度の力だ。

(こんなどうしようもない力誰がいるか……! 僕の力が強い? 次期国王に相応しい? なら何で兄さんの呪いが解けないんだ!)
 いっそ本当に枷代わりの腕輪がはまる左腕ごと、切り落としてしまおうか。そうすればこの忌まわしい呪いも消え、愛しい彼女の元に帰れるかもしれない。
 何か奴に思惑があるのか、正式な『選定』は先延ばしにされている。ここから出て候補から逃れられるかはわからないが、奴だってここから出られない。『選定』の儀の場にノアがいなければ正式に選ぶことは出来ないだろう。
 チェストの裏には小型ではあるが剣を隠してある。勢いを付けさえすれば、左腕を切断することも可能だ。

(エリス……エリス……早く君に……)
 ノアはベッドから身体を起こし、件のチェストへとふらふらと近づいた。
「ノア、何をしているんだ?」
 突然後ろからかけられた言葉に、ノアが驚き歩みを止めることはない。
 どうせここは『第三王子の居室』という名の『独房』だ。居室の主であるノアに出入りする人間の制限は出来ない。その相手がノアを捕らえた張本人ならば尚更に。
 問題はいかに彼よりも早く、剣を取るかだ。

「ジーニアス兄さんには関係ないです」
 ノアはそのまま振り向かずにチェストと壁との間に手を入れ剣を取った。右手を振り上げ、刃を左腕へと向ける。
「やめろ! ノア!」

 剣がノアの左腕をとらえる前に、ジーニアスは魔法を発動していた。
 ふわりと周りの空気がノアの左手に集中し、簡単に動きを封じられてしまう。その上、足元の空気を巻き込んだせいか、高熱でふらついていたノアは簡単によろめいてしまった。

「そんな物で斬っても傷が残るだけだぞ! もっと自分の身は大切にしなさい」
 駆け付けたジーニアスにノアは支えられる。しかし感謝など微塵もするはずがない。そもそもこんな風になった直接の原因はジーニアスだ。よくも自分の身を大切になどと言えたものだ。

「貴方に言われたくないです。彼女は……エリスは……無事なんでしょうね?」
 ノアは剣を離さずに怒りに満ちた瞳で次兄を睨んだ。
 ジーニアスはノアの瞳とその下のくまから逃れるように視線を逸らす。ばつが悪いのか吐かれた言葉はいつもより歯切れが悪かった。

「何も無いですよ。貴方が大人しくしていれば」
「大人しくしています! なのに何故こんなにも熱が出るのですか!」
「それは貴方がこっそり手紙を書いているからですよ」

 その言葉にノアは息を呑み、続けようとしていた言葉も呑み込んだ。
(そんなこと、わかってる!)

 自分のせいで今こうなっていることを見透かされたことに、口惜しさと憤りを覚える。
 どうしようもなかった。エリスに迷惑がかかるかもしれないことは、わかっていた。しかし代筆を頼み、何人もの人間を経由し時間をかけて彼女に手紙を届けることしかノアにはもう、エリスと繋がる術が残されていないのだ。
(ジーニアス兄さんも、カルロ兄さんも、アイツも……なんでなんで……! ……違う……そうじゃない。僕は……)
 兄や奴への怒りは再び自分への怒りへと変わっていく。

 ノアは呪われている。今すぐにでも彼女に会いたいのに、会うどころか直筆の手紙一つ届けられず、傷つけることしかできない。
(エリスごめん……僕は最低な人間だ……君の事を幸せにすると、約束したのに……)

 呪われているのはノアだけではない。奴もまた。
 そしてこの家そのものも、呪われているのだ。

 悪魔を騙した罪は手に入れたものよりも、ずっとずっと重たい。それがなぜ、ノアの祖たちはわからなかったのだろうか。

(早く、会いたい……)
 視界だけでなく、思考や意識までもが朧げになっていく。
 ノアの瞳から一筋の涙が零れ落ちる。ジーニアスに支えられたまま、ノアは霞んでいた意識までをも手放してしまった。


 ∞∞∞  


「あんな男、忘れてしまいなさい」
 そうきっぱりとサラは告げると、乱暴にティーカップを掴み、冷めきった紅茶をあおった。
 窓から差し込む午後の日差しは小さな居間をオレンジ色に染める。外では山々が裾野を赤や黄で着飾り、 黄金 こがね 色の麦畑の傍では牛がのんびりとあくびをしていた。
 ノアがこの村を出て行ってから一年あまりが経とうとしていた。

「あんなクソ男、記憶から消しなさい。忘れるのよ」
 サラは再び、吐くように告げた。彼女に似合わない物言いに、エリスは苦笑する。
 商人風のあの男に言われたことをすぐにエリスは信じられなかった。

 しかし目覚めれば隣のノアの家は焼け、男の言葉通り村は国王崩御の話でもちきりであった。加えてサラから深刻な顔で真実を伝えられてしまえば。これ以上疑うことは無駄だと悟る。
(でもまさかサラ姉が元公爵家のご令嬢だなんて。ノアもノアならサラ姉もサラ姉よ……。私だけが何も知らなかったのね……)
 詳しいことは危険が及ぶからと話してはくれなかったが、サラの父ブルーノはとある事情から爵位を返上し妻のハンナと幼いサラを連れこの村へ越してきたそうだ。越してきた時期を鑑みてもそれがノアを護り育てる為だったことは予想できる。
 これですべての謎が解けたのだ。

 商人風の男はノアと本当の家族を結ぶ使者。ノアが村から出られなかったのは、出ればサラ達の護衛が及ばなくなる可能性があったから。
 あのペンダントもおそらく家族との連絡手段の一つだったのだろう。
 ミニアム村は王都から馬車で一週間もかからない。しかし地理的に山間に位置するため行き来する人間も人口も少ないのだ。隣の家との距離もあり、雪に閉ざされる冬ともなれば同じ村同士の住人であってもよほど家が近くなければ交流は少なくなる。
 第三王子を隠し育てるにはうってつけの村と言えるだろう。
 そしてエリスはそんなミニアムの只の村娘。たまたま元公爵一家に縁あって拾われ、本来なら会うことも叶わなかった王子と共に育っただけの人間だ。

「忘れはしないわ。それにノアはそんなサラ姉が言うような悪い人じゃないと思う。仕方なかったのよ。ノアも私も、夢を見ていただけ。良い夢だったけど、醒めて良かったわ」
「エリス! 貴方はなんでそんなに落ち着いているのよ!」
「だって……」
 そもそもノアのような優しく見目も良い男性がエリスのような人間と恋に落ちるはずがなかったのだ。そこからもうエリスは間違っていた。
 しかも彼は一国の王子。天地がひっくりかえっても自分などと結ばれるはずがない。

 元々ありえない話だった。寧ろ愚かな間違いにあの時点で気づいて良かった。結婚し子供が生まれた後にもしあの事が起きていたならば、生まれてきた子供にまでも辛い思いをさせてしまっていただろう。
 あるべき姿に、居るべき場所へ。戻ることは必要だ。
 これからはそれぞれの進みたい道へ進む。エリスとノアの道が交わることは無いけれど、確かにあの時間エリスはこれ以上にないほど幸せだった。
 そう考えればノアとの離別も少しは前向きになれる。

(良かったのよエリス。だからもう引き摺らないの……!)
「……とにかく大丈夫よ、サラ姉」
 苦笑するエリスにサラは全く納得していないのか、がたりと音を立てて身を乗り出した。
 しかし直ぐにまた椅子に座り、深いため息を吐く。
「だっても何も……あの子は……ノアは貴方のことが大好きだったのよ。好きだ好きだって貴方にあんなに迫って……私にまで素直に相談までするんだもの。だから手伝ったのに……。一度も会いにも来ないなんてあんまりよ」
 肩を落とすサラに笑いかけることは出来なかった。エリスもまた俯き机の傷をぼんやりと眺める。

「仕方ないよ」

 ぽそりと口から零れた言葉は、静まり返った部屋に滲んでいく。
 思いのほか重くなってしまった空気にエリスはハッとなり、慌てて顔を上げた。

「ところでサラ姉。ひとつ、お願いがあるの」
 わざと口角をあげ、明るい声を出す。
(いつまでも引きずっていちゃ駄目だわ。ノアだってきっと王子として新しい場所で頑張ってる。私は私の夢を、独りでも叶えなきゃ)

 彼は最後にエリスに「新たな幸せを」と言った。口先だけだとサラは言うがエリスそう思えない。エリスがノアの幸せを祈っているように、共に歩めなくても彼もきっと自分の幸せをと祈ってくれていると信じたい。
 きっとノアは第三王子として新たな道を歩む決意をした。
 ならばエリスは――。

「どうしたの? 改まって」
 不思議そうに首を傾げるサラに、エリスは半年あまり考えていたことを話し始めた。