missing tragedy

魔女の憂鬱、勇者の願い、

▼悪魔の報せ、

「ここにある物は全て君のために用意した。どう使ってくれてもかまわない」
 私は目の前で淡々と話す男の真意が読めず、眉をしかめた。

 転移魔方陣を使っていきついた先は、独房でもなければ塔の最上階でもなかった。こぎれいに片づけられたそこには、きちんと洗濯されたシーツが敷かれたベッドとアンティーク調の机といす、鏡が備え付けられている。
 更に奥に続く扉を開ければそこは書庫となっており、一生かかっても読み切れないほどの大量の分厚い本が棚に並んでいた。

「あなたは、何が目的なの?」
 思わぬ高待遇だが両手を上げて喜ぶことは流石にできない。相手の意図が読めない限り危険なことに変わりはなかった。
「お気に召さないかい? 頑張ったつもりなんだが」
「そうじゃなくて、私にこんな部屋を用意してあなたは何がしたいの?」
 おどけたように大げさに肩をすくめる彼を睨むと、微笑をたたえて男は何ともなしに言った。
「魔王フィアに、いやリツ君の代わりに、俺に魔力を分けて欲しいのさ」
「っなんで……それを?」
 このことは私のほかに国王とその王妃、そしてリツとフィアさん、サイさん以外は知らないはずである。それをなぜこの男が知っているのか。
「なんで? そんなの関係あるかい? それに知らない方が君も幸せだ」

 そう口にした彼にその大きな手を腰にまわされ引き寄せられる。そしてそのまま顎を掴まれ、彼の顔が近づいた。まっすぐで強い意志を秘めた視線は誰かに似ている。何処の誰かは思い出せない。しかしそんなに遠くもない昔、見たことのあるものだった。

「あなたになんて、渡さないわ」
 そう必死に叫ぶ。自分がいかに弱いか思い知るような、そんな気持ちにさせる迫力のある彼の視線がふと緩んだ。代わりにからかうような視線を向け、ニヤニヤとおかしそうに笑んでくる。
「な、なにがおかしいのよ!」
「いや、旦那以外の男は知らないってカンジだからさ」
 その言葉に思わず頬が熱くなってしまう。確かにリツとしかそういうことはしたことがないけれど、それは別にこの男とは関係のないことではないか。
「いいでしょう! 別に!!」

 耳まで真っ赤にしている自分が鏡に映っているが、それはひとまず無視しよう。私は男の腕からすり抜けるとドアめがけて走り出した。ここがどこかはわからないが、長く居たい場所でないことはわかる。何処かわからないからと躊躇っていたがそれが間違いだった。さっさと逃げ出してしまおう。
 そう決意しドアを開けた瞬間、驚きに声を上げた。

「っ!! どういうこと? 」
 ドアを開けた先に続いているはずの地面は見えない。ただ眼下には白い雲がふわふわと漂っているだけだ。所々隙間から見える豆粒のようなものは人の住む家々なのだろう。眼下では鳥たちが群をなして飛んでいた。
 目視できる範囲で判断したとしてもそこは、雲の上だったのだ。
「ああ、言い忘れていた。今君は僕の魔術で雲の上にいる。そうだな、場所で言うとカーサの町の上あたりかな。当然、逃げようと思っても無駄だよ」
 危うく落ちるのを免れた私はあまりのことにそれ以上声を出せずにいた。
 宙にものを浮かすこと、それもこんなに大きなものを高く浮かすことはよほど高度な魔術が使えないとできない。それをこの男は何の道具も使わずに、しかも平然とやってのけている。

 先ほどの転移魔法陣の件からただ者ではないと思っていたが、どうやら予想以上である。
「あなた、本当に誰なの?」
 思わず壁際へ一歩下がった私との間合いを彼はいともたやすく詰めると、口角をあげた。そしてそのまま壁際へ私を追いつめ顔を近づける。妖艶な笑みは心をざわつかせた。

「俺? 未来の旦那にひどい言いぐさだな。俺はただの悪魔だよ」
 彼の金色の瞳は、全く笑っていなかった。



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「で、マオがそこで……」
「もういい、マオマオうるさいわ!」
 騎士団の副団長を務めるジェームズ・ビハインドは、先ほどから続くリツの長い話に終止符を打とうと試みた。

 あたたかい日差しは心地よく、穏やかな風は頬を撫でる。隣町に行くためにリツと彼は乗り合い馬車に乗っていた。
 こんな日はがたごとと心地良いリズムを刻み進むそれの上で昼寝をするに限ると彼は思う。せめて移動時間くらいはだ。それなのに、いったいどうして自分はリツののろけを先ほどから延々と聞いているのだろうか。それが今の彼の一番の疑問だった。

「なんだよ、なんで不満なんだよ。ジェームズ!」
 唇を尖らせ文句を言うリツはなぜこんな簡単なこともわからないのだろう。どうかしていると思う。
 彼はジェームズ・ビハインド34歳。がっしりとした体が特徴の男で、リツとともに魔王討伐隊に所属していた経歴を持つ”屈強な戦士”という言葉が似合う人物である。

 そして同時に年齢=彼女なし歴という寂しい独身童貞男であった。もちろん本人は寂しくなど思っていない。決してだ。
 リツとは魔王討伐隊に所属していたころからの付き合いで、当時は童貞組合なるものをふざけて作り、よく一緒に騒いだものだ。

 ところが、リツは魔王を封印し王都へ帰った途端ジェームズの童貞仲間ではなくなってしまったのだ。なんでもずっと思いを寄せていた幼馴染の女性と、ジェームズが知らないうちにうまいことやったらしい。
 もちろん友達なら祝いの言葉を言うべきなのかもしれない。しかし未だに心から祝えないのはやはり裏切られたという思いがあるからだろう。

「不満も何も、毎日毎日毎日毎日お前の嫁の話ばっかり。少しは俺にとって有意義な話ができないのかお前は」
「できない」
「即答かよ!!!」
 涙目でリツをジェームズは睨んだが、花をとばしながら浮かれているリツにその視線が届くはずがない。案の定彼はぼんやりと宙を見つめ夢見がちに話し出す。

「ああマオ……昨日の夜もすっげー可愛かったなぁ。あっ、これ以上は言わんぞ。マオのあんな姿をお前に報せるわけにはいかないからな」
「別にいいわ! はぁ、もう勝手にしてろ。お前の病気は治らなそうだしな」
 ジェームズは呆れたようにため息をはくと空を見上げた。鬱々とした気持ちで見ているせいか、吸い込まれるほど青い空まで独り身童貞のジェームズをあざ笑っているかのようだ。
「はぁ……どっかから可愛くて綺麗で優しくて包容力のある俺が大好きな巨乳のお姉さんでも落ちてこないかな」
 そんなことを言っても落ちてくるわけでないことは重々承知している。それでもくだらないことを言いたいくらいには、心はやさぐれてしまっていた。
 第一リツにできてジェームズにできないのは神の采配が悪いとしかいいようがないと思う。

 その時だ、一羽の鳥がリツとジェームズに近づいてきた。幸せの蒼い鳥の別名をもつそれの羽は、縁起がよいとしてよくアクセサリーになる。ここは一枚そっと拝借して縁起担ぎでもしようと、ジェームズは手を伸ばし触れようとした。
「待て、ジェームズ。おかしいぞ」
 ところがそれは寸でのところでリツによって阻まれる。何が気にくわないのかリツは眉をしかめ、鳥を睨むばかりだ。
「こいつから微量だが特殊な魔力の匂いがする……こんな自然の鳥からすることはないんだ普通」
「それってそいつがペットだったってオチじゃないだろな?」
「それもありうるけど……なんかこう、腑に落ちないというか」

 尚も難しい顔をしているリツの勘はよく当たる。魔王討伐部隊……二人が勇者候補だった時代のころからそうだ。
 奴の野生の勘とやらだけは頼りにして良いとジェームズは思っている。
 彼は再び青い鳥を調べようと視線を鳥に戻した。そこでジェームズは度肝を抜かれることになる。なぜならその鳥が先ほどとは比べ物にならないほど膨らんでいたからだ。
「おっ、おいリツ!! 鳥が!」
 言っている間も膨らみ続けた結果、その言葉が最後まで言われないうちに、鳥はものすごい音をたてて爆発した。
「ジェームズ!!」
 しかし、あまりの大きさの爆音に目を瞑った二人の前に次に現れたのは、なぜか予想していたむごいものではなかった。
 それは舌を出したびっくり箱の中身のような、みそぼらしい鳥の人形だったのだ。
「なんだ? これ」

 恐る恐る鳥の人形を手に取る。そしてくるくる回しながら四方から見、ジェームズとリツは驚きのあまり固まってしまった。
「これは……」
 その鳥のおもちゃの背中に書かれた文字は、ジェームズとリツが三年間毎日のように見ていた、そして今は魔王が封印されたとによって使われなくなったはずの、魔族が使う文字だったからだ。