missing tragedy

cock-and-bull……¡

こいに惑う ①

   「エリス、もっと楽にして大丈夫よ」
「う、うん……!」
 僅かに首を傾げて微笑を浮かべる義姉に、エリスは硬い笑みを返した。

 晩餐会が開かれるオルフ男爵家へ、エリスとサラ、フェリクスが到着したのはつい先程。
 話に聞いた通り、貴族が開く晩餐会としては決して堅苦しいものではないのかもしれない。

 参加する人々は裾の長い真珠等の飾り付きのドレスを着る者よりも、足首までの軽やかなドレスを着る者の方が多く、立ち居振る舞いからエリスのように一般人とみられる者も少なくない。
 給仕の人数もさして多くなく、立食形式と言っても多くの者は自分で勝手に取り、各自食事を楽しんでいる。
 天井には大きいが年季の入ったシャンデリア。中央部の壁には絵画や高級食器類が男爵家の栄華を主張する。
 一方で、部屋の隅に配置された家具やカーテンは、さほど裕福でないローエ家の物よりも掃除や手入れが行き届いていないように見える。昨今は貴族の暮らし向きも決して一般人と大差ないというノアの話を裏付けるような館だった。

 晩餐会を開くような貴族とは縁のない人生だった故に、エリスにとっては初めての体験ばかり。どうしても挙動が不審になってしまう。
 その点、サラやフェリクスは慣れているのか普段と変わらず。勝手知ったる我が家のように、迷いなく訪れた客や給仕とやり取りし、会を楽しんでいる余裕さえ見られた。

 晩餐会と聞き、主を中心に細長い卓を囲み交流をはかる仰々しいものだと思い込んでいたなど、とても言い出せそうにない。
(貴族の食事マナー本とか、当たり障りのない食事の感想ワード集とか、読まなくても良かったかも。作戦の流れと攫われてからの事でいっぱいだったけれど、思えば事が起こるまでの情報収集も今後大事になってくるかも……? ああ、掛けカードのルールブックも読めば良かったわ……!)

 左端ではフェリクスがカードゲームを。サラは付かず離れずを意識しながらも参加者と自然な会話を続けている。エリスはうろうろする訳にもいかず、カードゲームで盛り上がる人々のすぐ傍の壁際でひたすらに軽食を口にし、室内をそっと観察していた。

 あらかじめ入手していた見取り図と変わりはない。屋敷は地上部が二階に地下部が一階分。
 一階は玄関ホールを中央に、左に現在エリス達のいる大広間と晩餐室が奥に続き、左端には厨房室が。玄関ホール右には大きな螺旋階段、奥には応接室と主人自慢のギャラリー室二部屋が並んでいる。
 使用人達の住まいは別にあり、二階部分は男爵家の家族の部屋。地下部は物置と食料庫など。出入り口は玄関の他に、中庭に面したものがギャラリー室と晩餐室にそれぞれ一つずつと、裏庭と中庭を繋ぐ小道に面したものが厨房に一つある。
 確認できたのは現在三人が居る晩餐室と大広間、通ってきた玄関ホールと一部のみだが、近年工事が行われていない事は使用人に確認済みだ。
 エリス達を拐かすとして、監禁するならば地下か屋敷の外、近くの小屋や廃屋が順当。そうなると中庭や裏庭、ギャラリー室などが都合の良い場所となるだろう。

(相手が動くまでとりあえずは待機。……緊張するわ。ええと、ノアから貰った青い丸薬は飲んだ。残りは……)
 エリスは胸のブローチを見下ろした。銀色のブドウを模したブローチは、その実八割以上がノアの用意した薬で出来ている。ブローチ、イヤリング類、ネックレス。小ぶりでありきたり、凶器になり辛く、数も控えめ程度ならば相手も特別に調べられない――――丸薬を器用にブローチへと作り替えながら、サラが言っていた言葉だ。
(怪しまないでなくて、堂々と調べられる事がないって……サラ姉って一体何者なのかしら?)
 少しだけ義姉の存在について考え、エリスはため息混じりに追求の手を止めた。

 ノアが王子であり、その王子を引き取り極秘に育てた家の娘である以上、義姉のサラや義両親のハンナ、ブルーノが一般人やただの貴族であるはずがない。第一、小さな街に住む極々一般的な女性は、眉根一つ動かさずに人間の急所の話を義妹に話さないし、危険を伴う晩餐会に参加した後の処理についてまで義弟に確認、相談しない。

 この一週間、サラの新たな一面やサラのノアの関係に少しだけ心がざわついている。
 二人に男女の関係を疑っている訳では決してない。
 たとえるならば、自分の知らない所で兄弟が仲良く悪戯を画策していたと知り、仲間に加えて貰ったものの疎外感を感じているようなものだろう。
(家族の中で私だけずっと蚊帳の外だったのも当然の事。家族であっても全てを知ってる訳じゃないのも当たり前……なのに……)

 エリスの唇から深い溜め息が漏れる。同時に玄関ホール近くから男のわめき声が聞こえた。
(何かしら?)
 エリスだけでなく、何人もの人々が異変に気付いたようだ。ひそひそと囁き合う声がそこかしこから聞こえ、様子を伺おうと玄関ホールへと繋がる出入口には人が集まる。
 一瞬だけ気を取られたエリスだったが、ざわめく群衆を見て、逆に今がチャンスなのではと思い付く。サラを探す為、目を凝らした矢先。

「大丈夫ですから……」
 か細い声がエリスの動きを止めた。

 振り返った先には小柄な令嬢と二人の男。身なりとて三人とも富裕層だとひと目でわかるものだが、顔を真っ赤にした男達の振る舞いはミニアムの酔っ払いと大差ない。
 怯える令嬢の手首を掴み、どこかへ連れ出そうと品のない口説き文句を並べている。玄関ホールの騒ぎに注目が集まる中、令嬢の弱々しい声は人々には届いていないようだった。
「……っ!」
 一瞬の戸惑いの後、エリスの体は三人へと真っ直ぐに動き出す。
「……楽しいお話でもしているんですか?」

 無礼を承知で、男達と令嬢の間に割り入り男の手首を掴む。続けて露骨に嫌な顔をした男に微笑を返し、しつこく彼女の手首にまとう男の手を撫でた。
「力強くて、素敵な手ですね……?」
 突然の賛辞に面食らったのか、手を離し男は一歩後ずさる。すかさずエリスは令嬢の手を取り、男達から更に距離をとった。

「お姉さん、なんなのかな? 俺たちさぁ、そこの女の子と仲良くお話してたんだよね」
「……それとも、一緒に来るか? 中庭ですげぇイイもん見せてやるよ」
 街の酔っ払いや誘拐犯の台詞だろうか?との疑問は隅において。漏れ出そうな嘆息をも堪え、エリスは口角を上げた。
「遠慮しときます。お嬢様も、お顔の色が優れないようですね。あちらへ行きましょう?」

 不満を隠さぬ輩達を背に、エリスは未だに状況が掴めずに目を白黒させる令嬢の腕を取る。尚もしつこくついてくるようなら、玄関ホールへ逃げるか、サラの元へ向かうつもりだったが、案外男達の諦めは早かった。

 空いたソファーを中庭を望む窓際に見つけ出し、戸惑う令嬢に席を勧めた時になって。ようやくエリスは己のした事に気付いた。
「あっ、あの、すみませんでした」
「いいえ。むしろお礼を言わねばなりませんわ。ありがとうございました、ええと……」
「エリス・オルブライトです。大変失礼致しました」

 つい深々と頭を下げてしまってから、マナーとして失礼に当たらないか不安になる。
 しかしそんな不安も杞憂だったようだ。令嬢はエメラルド色の大きな瞳を細め、花のような笑みを返してくれた。

「エリス・オルブライト様。本当にありがとうございました。申し遅れました、私カミラ・ハモンドと申します」
 カミラは緩くカーブした金髪を揺らし、優雅な礼をする。安堵からか、白く滑らかな頬がほんのりと薄紅色に染まった。
「あ……は、はい」
 エリスは間の抜けた返答をすると、意味もなく再度礼をする。
 絵本から迷い出てきたお姫様。そんな言葉が脳裏を過った。

(なんて可愛らしい方なの……小さくて、髪もふわふわ! ぎゅっとしたくなる可愛さだわ……! でもなんでおひとりなんだろう? たしかカミラ様はエクヴィルツ家ゆかりの名門ハモンド伯爵家のご令嬢。しかもまだ十七歳だったはず)
 見取図と共に手に入れた参加者リストを思い出しながら、エリスは混乱する。こんなにも愛らしく美しい少女を一人にするなんて、狼の窼(ねぐら)の前に食べて下さいと兎を供えるようなものだ。

「あの、ご一緒に参加されているか……」
「あの! 大変不躾な質問ではあるのですが……!」
 言い終わる前に、エリスの手を華奢なそれが握る。食い入るように見つめられ、何事かと瞬きする間もなく。
「もしかしてお姉様のご趣味も悪魔研究ですか?!」
 カミラの口から予想だにしない質問が飛び出てきた。
「あ、悪魔研究?」
「そうです! 今日の晩餐会は交霊会がメインイベント! ですからお姉様もてっきり……悪魔研究がご趣味なのかと……」

 初めの勢いはどこへやら、カミラは次第に項垂れていく。あまりにも不憫なその様に、エリスは慌てて言葉を返した。
「趣味ではありませんが、少し興味はあります。カミラ様は悪魔にお詳しいんですね。そのお話、詳しく聞かせて頂けませんか?」
「ええ! 僭越ながら、私が! どこからお聞きになりますか!」
 頬を朱に染め、カミラは悪魔について話し始める。

 悪魔と人間との歴史、堕天使と悪魔との違いや魔法や魔道具との関わり等など。
 成り行きから聞く事になったものの、カミラの話は様々な分野への見識も深く、大変興味深いものだった。

「魔法と魔力の発見と共に、人々は詠唱の短縮など簡単に魔法が使える方法を模索してきました。その経過途中で生まれたのが魔道具と信じてる方も多いですが、違うんですのよ。元々、魔道具とは悪魔の力を宿す道具の事でした。それが魔法と魔力の発見により、魔力にも転用できないかと研究開発され、いつしか魔力を元に簡単に魔法が使える道具の事を魔道具だと思う方が増えたんですわ」
「そんな歴史が……」
「ええ。ですから、本来魔道具の力の源は一つではありません。そして悪魔契約のように縛りを作ることで効力を発揮するものも多いんですの。また特殊なものも多いですわ。持ち主の身の回りを記録するもの、遠方の相手を見張るもの、縛りをつくることで相手の嘘を高確率で見抜くもの。……これらを、エリス様はどう思います?」

 不意にエメラルド色の瞳が細められ、試すような微笑がエリスを見つめる。
 場の空気が一転し、賑やかな周りの音が遠のいていく気がした。窓からは月明かりに照らされ、青白く浮かび上がる中庭が見える。

 問いの意味に戸惑いながらも、エリスは率直に答えた。
「……不思議、です。人が手に入れて良い力なのか……少し怖くもありますね」
 エリスの応えに満足したのか、カミラの唇が笑みを象る。
「ええ。これらは悪魔の力と非常に似ています。ですから私は、尚更思うのです。特殊な力を持つ魔道具とは、一種の悪魔への憧れだったのではないかと」
「憧れ……」
「昔の方々は彼らの力に憧れ、しかし代償の大きさに挫折し、代わりに魔法で再現しようとした。魔道具ばかりでなく、魔法もまた、悪魔の力への憧れだった……」

 オレンジ色の光を放つ華やかな晩餐会と、二人が座るソファ。そして静寂と月明かりに包まれる青白い中庭。
 喧騒と静寂の狭間で、うっとりと虚空を見つめるカミラは、浮世離れした美しさがあった。

「エリス様のそれも。魔道具ですね?」
「えっ?」
 薬指の指輪を指し示し、カミラは首を傾げる。
「微弱ですがエリス様の物でない魔力を感じます。お相手は随分と執拗……いえ、居場所がわかるよう探知出来そうなものですから。大切にされてますね」

 予想外の不穏な言葉にエリスは瞬く。まさか探知される恐れがある代物だとは考えもしなかった。
「これは、見る人が見ればそのような事がわかるのですか?」
「え、ええ。魔術師や私のように魔力を視る事が出来る者ならば、大半は魔力の種類も見分けられますから。知識があれば、ある程度は予想できます。性能については個体差があるので、わかりにくいものもありますが……」
 この指輪は、そうではない。あからさまに戸惑うカミラの視線はそう言っていた。

(ノアはあえて、言わなかったんだ……)
「もしお困りならば、魔術師の知人をご紹介しましょうか? 魔道具に詳しい女性の方を紹介しましてよ?」
「あ、お話は有難いのですが、今のところは……」
「失礼しました。そうですわね。私なんかよりも、エリス様の御家族様の方がお詳しいかもしれませんわ」
 カミラはくすりと微笑み、金の髪をかきあげる。あらわになった耳に光るものに、エリスは思わず息を飲んだ。
「どうやら、御家族様は私の大事な方ともお知り合いのようですし。エリス様のピアスと私のピアス、魔力の色が同じですもの」
 白く小さい耳には、深い青が煌めく。ノアが魔法で造りあげたピアスが、エリスが身につける物と全く同じそれが、カミラの耳を飾っていた。

「愛する方の創ったものって、ひと目でわかってしまうものですね」
 頬を染め、はにかむようにカミラは告げる。反して、エリスの胸には重苦しい疑念がのしかかる。
「あの、その方って……」
 やっとの事で絞り出した声は震えてしまう。エリスは既に、花のように微笑むカミラを直視出来なかった。
「もしかしてご存知なのですか! 優秀な魔術師様ですわ! 青い瞳と金の髪が素敵な……紳士的で優しい方です。王都の魔法院に務めていますが、近くこちらに来られる予定で。お名前はまだ、存じ上げないのですが……」

 恥じらいに頬は朱に染まり、ちらりとエリスの様子を伺う上目遣いは愛らしい。
 カミラの所作や言葉からは、暗に知っていたら教えて欲しいとエリスに伝えている事が推し量れる。
 正直に心当たりを告げるべきか、エリスは意味もなく膝の上でドレスを握り締めた。
(でも、勝手に教えてしまうのは良くないかもしれないし……ノアが魔道具を販売してるなんて知らない……魔力の雰囲気や容姿がよく似た別人かも……)

 得体の知れぬ重く嫌な気持ちが胸を満たし、エリスは言葉を返せない。
 誰の為でもなく、エリスは自身が傷付くことを恐れて言葉に詰まっている。その事が尚更、気持ちを重たくさせる。

 気まずい沈黙が流れ、カミラも何かを悟ったらしい。慌てて彼女は口元を抑えると、頬を赤らめ視線を落とした。
「も、申し訳ありません! 私ったら、お付き合いするのが初めてなもので浮かれてしまい……」
 カミラの言葉が耳の奥で木霊する。

 顔から血の気が引いていくのを、エリスは確かに感じていた。