missing tragedy

今日も君とご飯が食べたい

懐古? 新味? 学びと解と。ひき肉団子のスープ ②

 宿に到着し数時間後。
 汗ばむ程の陽気はなりを潜め、茜色に染まる空には影絵のようにメルトムントの街並みが浮かぶ。

 三部屋ある部屋をどのように振り分けるかについて大いに議論(?)し、聞いていた通りに所用でシリウスが宿を出て少しばかり。今、フィーネはカイと台所に立っている。
 年季が入った調理台に清潔なまな板を始めとした簡単な調理道具、魔鉱石保冷庫と設備は十二分。
 シリウスという嵐も遠のいた今、普段ならば穏やかで温かな雰囲気に包まれるはずが、何故か二人の間にはなんとも言い難い空気が流れていた。

「宿の管理人さんにひき肉をわけてもらったんだ。……だから、今日はフレッシュパープストマトとひき肉団子のスープをメインにしようと思うんだけど……フィーネはそれで良い?」
「あ、うん。そうだね。そうしようか」

 どうにも会話のテンポがおかしくなりながらも、二人は各々下準備や調理へと取りかかる。
 一体今までどのようにカイと話していたのか、どんな話題を楽しんでいたのか。そもそも料理中、どのようにコミュニケーションを取り合って料理していたのか。人目がなくなった途端、フィーネの記憶や経験は|意味を成さないもの《ポンコツ》になってしまった。

 また気のせいか、緊張にぎこちないフィーネに対してカイの様子も普段とは異なっているように見える。
 一見、いつもと変わらぬようにも見えるが、たびたび謎の間が入るし、会話も普段よりもずっと多く途絶えてしまう。かと言って料理に集中してるかと言えばそうでもなく、彼が料理を始めたばかりの頃にしか見た記憶がないような危うい手つきも時折見られる。

 そして怪我をしないだろうかと心配で様子を何度も|窺《うかが》ってはいるものの、一度も視線が合わない。

 これほどこっそり何度も盗み見ようものなら。否、会話に関係無く真横に立つ彼に視線を向けようものなら、一度くらいは不意に視線が合い、互いに気恥ずかしくなり視線を逸らす事も起こり得るはずなのに。
 上の空、そんな言葉が思い浮かぶ。

(魔法院で何かあった感じ、かな……?)
 不安に駆られるフィーネの前には、目に鮮やかな朱色のスープがふつふつと音を立てていた。

 とろりと濃厚なスープの中身は至ってシンプル。生のパープストマトを煮詰めて乾燥野良にんじん、マジョラムなどで香り付けしたトマトソースに炒めた刻み玉ねぎ、コショウ、チキンブロスを合わせたもの。
 いつものフィーネならば芳醇な香りにはしゃぎ、付け合せを増やせないかとカイに相談していただろう。

「『選別スープ』の名前の由来、覚えてる?」

 ふと、スープを掻き回しながらカイは問う。フィーネは合わない視線を気にしながらも大きく頷いた。
「うん。たしか三代魔法科学大戦終末期の逸話が元になったって、さっきお兄ちゃんが」

 広場で聞いたシリウスの話によれぱ『選別スープ』の起源は名前の通り、見慣れぬ者や流れ者を試し、危険人物かを探るものであったらしい。
 当時は、大戦の終息は噂されていたものの、人々の暮らしは大変不安定で貧しく、混乱に乗じて悪事を働く者も今よりずっと多い時代であった。

 また既にヒューム側につく魔族やエルフ族などの人間以外の種族を国内で見かける事も珍しくない時代へと差し掛かってはいたが、それも首都近郊だけであり、メルトムントでは他地域や他種族同士の交流があまり盛んではなかったという。治安の悪さや人々の状況を考えても、魔族等の異種族への警戒が強くなり、見慣れぬ怪しい人間を排斥する傾向が見られたとしてもおかしくない。
 そのような状況の中で生まれたのが『選別スープ』なのだと兄は言っていた。

 シリウス――と言うよりは屋台の売り子の話では、旅装束の者や身元の知れぬ者を迎え入れる際に『選別スープ』なるものを出し、その反応によってどこの出身の者か、異種族が人間へと姿を変えて紛れ込んできたのではないか計ったのが最初の『選別スープ』だったらしい。

 首都や近辺出身とわかれば街への滞在を許し、少しでも疑義が残るようならば街から排除。その排除の方法も様々であり、街の規則だと話して滞在期間を短く定めたりするなどの嘘をつき穏便に追い出す場合もあれば、今では考えられないような残虐な方法を秘密裏に行う場合もあったとの話も。

 話を聞いていたカイやフィーネだけでなく、話す側のシリウスも何か思う所があったのだろう。フィーネは兄の眉間には普段よりもずっと深いしわが刻まれていた事を思い出していた。

「最初の『選別スープ』は相手を品定めして、悪く言うと騙して試す為の手段だったんだよね……」

 当時の様子を想像したフィーネから、重いため息が零れる。
 カイは視線を真っ赤なスープに落としたまま相槌を打った。

「うん。それを……試す側とされる側、生まれも育ちも異なる二人の学者が学問と料理を通して問答し合い、互いに認め合って。怯えて警戒していた皆をも説得しようと、事を良き方へと導こうと誓約を交わして……結果、無事にスープを昇華させた。……すごいよね」
「うん。すごいし、私はご飯が悲しい理由で使われ続けなくて、皆が仲良く食べられるようになって良かったなぁって思った」

 口をついて出たのは気恥しささえ覚える幼稚な感想。しかし俯くカイは嗤う事など一切せずに、少しだけほっとしたように眉を下げた。

「うん。僕も嬉しかった……」

 変わらぬ穏やかで落ち着いた声が、何故かいつもより少し近くで聞こえる。
 ほっとしたのも束の間。つと、カイの手が止まり、再び会話が途絶えた。

 流れる沈黙は三百年以上前のメルトムントに思いを馳せてか、それとも。

(カイ君の様子がまた……? スープの事で何か閃いて、それを私に説明してる途中で魔法院での何か……問題とか? を思い出したのかな……?)

 フィーネは食欲をそそるスープを前にして、全く別の意味からそわそわしてしまう。

 カイが料理のアイデアや感想をフィーネやシリウスに求める際に、情報を共有したり相談し合う事は珍しくない。おそらく今回もその為に料理の由来について、話始めたのだろう。

 しかしいつものカイならば、シリウスが研究については語る時と同じく、少々口数も増え流暢になる。加えて彼は普段の照れ屋な面を忘れてしまったかのようにフィーネを真っ直ぐに見つめて、大変楽しそうに料理への敬意や熱い思いを語り、料理に関連した人々との交流に始まり、最近嬉しかった事や楽しかった事を沢山話してくれるのに。

(やっぱり何か大きな事があったのかも。どうしよう。悩んでるなら力になりたいんだけど、こちらから聞くのも必要としてないかもしれないし……)

「フィーネ、僕も本当は……」

 俯くカイから覇気のない声が零れて、止まった。

「うん」

 促すフィーネの視線の先で、ほんの一瞬だけカイの唇がきゅっと引き結ばれたかのように見えた。しかし、それもすぐに解けてしまう。

「…………肉団子、二種類作ろうかと思うんだけど、感想貰えるかな。シリウス君に出す時に参考にしたいんだ」
「あ、うん? そうだね! 提案するからには美味しい方が良いもんね!」

 不安を拭いきれぬまま、フィーネは台上の炒め玉ねぎの残りとひき肉の入ったボウルへと手を伸ばし、もう一つのボウルへと餡を分けていく。

 悲しいスープは学と人により、贖罪と発展と革新とを象徴するスープとなった。現在は更に変化し、賢く勇気ある学者を敬いあやかったり、贖罪や戒めとしての意味合いから魔法院の発展や研究成功、はたまた研究者同士の意見のぶつかり合いなどが起こった時の仲裁に使われる『選別スープ』となっている。

(私も勇気を持って、色々経験して、様々な事を学んでいけば……)
 たとえば今みたいに幼馴染みが悩んでいそうな時に、適切な言葉をかけられるようになるだろうか。

 感謝や尊敬という言葉だけでは決して納められないカイへの想いを全て言葉にするのではなく。彼らのように思い遣り、熟考して伝え合った上で行動へと移せるようになるだろうか。

(なれるか、じゃないよね)

 勢い余って、大きな音を立ててボウルが左手から逃げた。

「大丈夫? おさえてようか?」
「だ、大丈夫! それより、二種類作るんだよね? どの辺りを変えるの?」

 カイとは依然、視線が合わない。見つめる先もボウルからスープと木べらの境へと移っただけだ。

「今日は香辛料の比率と量かな。玉ネギが入っているから、パプリカパウダーと胡椒、野良にんじんあたりで牛独特の香りを活かせるようになるとは思う。けど……乾燥かフレッシュかは―――」
 耳に心地よい声はつかえ、やはり普段とは異なる所で途切れながらもフィーネに願う。
 香辛料の比率や量、肉の捏ね具合、作りやすさ等を探っていきたい、良ければ気付いた事は遠慮なく伝えて欲しいとカイは告げた。

「わかった」

 了解の意を示して。フィーネは捏ね終わったひき肉を彼へと渡すと、台上の布巾へと手を伸ばしながら、調理台の壁に立てかけられているボードを一瞥した。

 ボードに貼り付けられているのはレシピメモ。
 作成者曰く簡単な叩き台メモらしいが、簡素な単語の羅列ながらも要点や疑問点など細かく書き込んである。また、小ぶりで柔らかな書き文字の後には疑問符も多く、二重丸で強調するなどの作成者の苦心の痕跡も。魔法院でのことで悩みながらも、主人や皆が喜ぶ新名物をと必死に考えているカイの姿が浮かんだ。

「……カイのレシピ、好きだなぁ」
「え……」

 ごく自然に言葉が零れ出て、何故だか少しだけ目頭が熱くなる。
 ほぼ同時に。こちらを見上げ、瞳を見開く幼馴染みに気付いて、すぐにフィーネは唐突なそれを補う為に言葉を付け足した。

「ほら。簡単なものも多いし、ポイントもわかりやすいし、色々アレンジできるものも多くて、凄いなぁって。昔の人の日記や研究記録で当時の様子や気持ちが浮かぶように、カイ君のレシピにはカイ君が一生懸命考えて試行錯誤したんだろうって想像がつく箇所が沢山ある。なのにカイ君のレシピノートを見せて貰うと、私全然カイ君の凄さとか努力してる所わかってなかったんだなって思うんだ。それがなんか、嬉しいなって」

 極々簡潔に補足をするつもりが、唇からは伝える予定のなかった言葉がぽろぽろと零れ落ちる。

 僅かな羞恥心と、その裏の自分勝手なやるせなさと。彼のレシピへの想いと一緒に零れ落ちそうになった涙とを秘する為に、フィーネは本音で本音を覆い隠す。

「だから、おじさんにも皆にも喜んで貰えると良いね」
 不意に、そこまで告げてからハッとなった。

 思えば、レシピとは料理人の矜恃とも秘匿文書とも水面下に隠しておきたい記録とも言えよう。それを他人がどうこう意見し賞賛するのは、冒涜とみられてもおかしくない行為かもしれない。しかも未完成のメモを前にしての言葉。現在進行形で続いているのは沈黙。尚更、不安は募る。

(ど、どうしよう……わかったような褒め言葉は不快だったかも。会話終わっちゃったし、蒸し返すのも)

 しかし暫しの間を置いて、カイから返ってきたのは淡い頷きと一瞬の微笑だった。そして。

「……ご飯が終わったら部屋で話したい事があるんだ」
 真剣な声音にフィーネの胸が、不安や恐怖とは全く別の意味で跳ねる。

「半時位、二人で。神に誓って、絶対におかしな事はしない。……から。少しだけ時間、とれないかな……」
 思い詰めたような硬く重苦しい声は次第に弱く儚いものへ。

 鍋を凝視し俯くカイとは未だ視線は合わない。けれども、フィーネの応えは決まっていた。

「わかった。それに大丈夫だよ。カイがおかしな事しても……あ……! え、そっか?! そういう?! あの大丈夫だよ! カイがそういう変な事をしない人だって、ちゃんと知ってるよ⁈ でもあの、他の部分はもっと、そんなに遠慮しなくても?!」

 フィーネは力説する。
 途中で過ちに気付いたというミスやうまく表現出来ていないという点は置いておいて。
 そこに嘘偽りなどは一切ない。
 カイが兄から聞き及ぶような非紳士的で不埒な行為を――男女二人きりという絶対的な力の差に有無を言わせ、急に手を握ったり、無理やりに肩を抱いて距離を縮めようと――するなど天地がひっくり返っても有り得ないし、魔法院で生じた悩みを親しい誰かに相談し、模索する行為を恥じる必要もない。

(ちゃんとそこも信頼していると言うか、全然そんな事考えつかなかった……。でも、普通の女の子なら確かに不安がるものかも??)

 信頼関係の問題以前に物理的にな力に恵まれたフィーネにとっては、たとえ相手が悪漢でも熊でも平気なのだが。それをそのまま告げる訳にもいかず。
 代わりに「ちょうど私もカイ君とゆっくり話したかったんだ」と言い足すと、彼から困ったような気まずそうな苦笑が返ってきた。

「……ありがとう」

 そんなはずは無いのに。今日初めて真っ直ぐに、キャラメル色の瞳がこちらを向いてくれた気がして。どうしてかフィーネの心臓は速くなってしまう。

「ううん、うん。カイ君、うん……ひき肉団子の、ご飯楽しみだね」

 フィーネは適する言葉を添えられないまま、真っ直ぐなキャラメル色の瞳から逃れるようにココアブラウンの髪へと微笑みを返した。

 どうか遠慮などしないで欲しいと、悩みや苦しみが和らいで、問題が解決する事を心から願っているのだと、ほんの少しだけ伝わりますようにと祈りを込めて。
 同時に。不謹慎にもフィーネはカイに頼られる事が嬉しく、支え、力になれる事を誇りに思っている、との浅ましい本心を少しだけ隠して。

 フィーネは再びひき肉を捏ね始める。
 おかしなテンポの会話が続く中、二人は各々、必死に目の前の料理に取り組んでいった。

(私からはあまり聞かないようにして。まずはカイ君が話しやすいように……多分、あの事は気にしてると思うし……。あ、あと頭が回らないと絶対私、解決策が迷走しちゃうからお腹いっぱいにならないように気をつけよう……ううーん。私で役立てる? どう足掻いても力不足感が……)

 今夜の対応をも頭の中で捏ねくり回すフィーネは知らない。隣のカイもまた今夜の事をあれこれと想像し、対応を考えては望まぬ結果に怯え、再び別解を探すという無限ループに悶々としている事に。

 パープストマトの豊かな香りと空腹と。大切で大事だからこそ、間違えたくない直近の課題。それらは次第に、フィーネが感じていた小さな変化の数々を包み込み、意識からさらっていってしまった。