missing tragedy

過ちて、改めざる是を何と謂う

兎の想いは天に届くか 第十夜 


 フランシスカ王女と交渉し協力を得ようとハイレン王国の城に降り立った翌日に、ルナたちは王女に会う機会を得られた。これも常日頃のリュートの努力のおかげだ。
 フランシスカ王女はルナの登場に驚いていたが、素直に喜んでもくれた。事情を説明し魔道具の取引の話を始めると瞳を輝かせ身を乗り出す。どうやら前向きな答えが期待できそうだ。

 その手の話に明るくないルナには話の詳細はわからないが、どうやらフィンの創り出した魔道具は物体を転移させるものらしい。複数の種類の魔晶石を組み合わせて貯蓄、増幅、発動、制御等をするという話を王女は興味深げに聞いていた。
 フィンは魔力を使い物体を転移させるには空間だけでなく時間にも干渉してしまうこと、それにはこの国の法自体を改正しなければいけないこと、しかし得られるものも大きいことなどを実際この国で起こっている諸問題に絡めて説明する。時折投げかけられる質問にはフィンが主に答え、政治的なものに関してはリュートが話を負った。
「じゃあ明後日、設計図を含めた資料と試作品を正式に受け取りましょう。その時までルナの……わたくしの友人の安全は保障いたしますし、もちろんその先もお約束しますわ」
「心から感謝いたします、フランシスカ殿下。ルナのこと、これからも宜しくお願いします」
「お願いいたします……!」
 フィンと共に正式な礼をとる。時計を見れば部屋に招き入れられ話し始めてからだいぶ時間が経っていた。多忙な中時間を割いてくれたフランシスカには感謝しかない。しかも快く受けてくれたのだ。友人の為だからと言って。

「ルナに素晴らしい伴侶が見つかってわたくしは嬉しいのよ。それにルナ。彼、貴方が思ってるよりずっと魅力的じゃない? まあもう少し身長は欲しいし細くて華奢なのは事実だけど、可愛い女の子みたいって言うのは可哀想よ」
「フランシスカ様っ……!」
「ルナ……それって僕……だよね?」

 恐る恐る横を向くとしょんぼりと項垂れたフィンが目に入った。彼は眉をはの字に下げ、微苦笑を浮かべている。
 王女の紅を引いた形の整った唇が弧を描く。彼の前で態とあんなことを発言したのは明らかだ。その証拠に彼女の菫色の瞳は魔道具の話を聞いた時よりも生き生きとしている。
「フィンっ! 大好きだよ……! 沢山食べるのに太らなくて羨ましいし、たまに私より可愛いなぁとは思うけど……格好いい所もいっぱいあること知ってるし!」

 ルナはフィンの肩を掴むと一気に言い切った。肩を震わせるフランシスカとリュートには少しだけ思うことがあったが、複雑な表情を浮かべていたフィンが笑ってくれたのを見て、そんなほんの少しの苛立ちも何処かへ飛んで行ってしまった。

「僕も大好きだよ」
 そっと両頬を包むように触れられ顔が熱くなる。彼の甘い蜂蜜色の瞳が近付いて、ルナは反射的に目を瞑った。頬に柔らかな感触が降ってすぐに離れる。目を開けると林檎のように真っ赤になって微笑むフィンが見えた。

「あら。リュート殿下と違って弟君はまだ分別がありますのね」
「俺よりは、な! ヘタレなだけな気もするけど」
「兄さんうるさい」
 じろりと兄を睨むフィンは少しだけバツが悪そうだ。王女の前でキスしたのだ。たとえ相手が誰であろうと、何処にしたのであろうと無作法なことには変わりないからだろう。
 ルナは先ほどとは違う種の恥ずかしさで顔が熱くなった。フィンとすぐに二人の世界を作ってしまう癖は何とかしなければいけない。

「ルナ。落ち着いたら来て頂戴ね。また沢山話したいわ」
「フランシスカ様……」
 満足そうに微笑む友人に胸が温かくなった。思えばフィンと別れていた一年間、死を選べなかったのは彼が忘れられなかっただけではない。挫けそうになったルナを心配し続けてくれた彼女の存在も大きい。
「王城にいる間、この間のが足りなくなったら来ても良いのよ?」
 そっとフランシスカに耳打ちされ、ルナの心臓が跳ねる。王女様はすべてお見通しなのかもしれない。
 一昨晩フィンとの性交の前に使ったあの薬を持たせてくれたのは彼女だ。何が足りなくなったらなのかはルナにもわかる。
 花のように微笑み手を振るフランシスカに別れを告げルナたちは部屋を出た。


※※※

 机の上に置かれた重たい布袋を一瞥しフィンは端正な顔立ちの青年を見上げた。
 布袋の中身は見なくてもわかる。金貨、或いは銀貨だろう。ただ中身を確認する必要はない。受け取る気など毛頭ないからだ。
「これは何ですか?」
 努めて冷静を装ってフィンは告げた。この先万が一差し出された布袋を使うとしたら、それはこの男を殴る時だろう。大量の硬貨の入った袋だ、凶器としての威力は期待できる。
「明日、王女に差し出す物を買い取りたい。あの娘の分も含めての金だ」
 どうやら何を持ってきたのかはばれているらしい。こちらの要求までも知られているかは不明だが、まさか相手がこんなに早く手を打てるとは思わなかった。しかも今回は暴力ではなく、大金に訴えてらしい。
 しかし答えが変わることはない。準備はつい先ほど整ったし迎え撃つ手も既にある。フィンは布袋を丁重に押し返した。
「結構です。帰って下さい。ちゃんとそれも持ち帰って下さいね」
 きっぱりと言い放つと整った顔が歪んだ。断られると思っていなかったらしい。部屋に招き入れてしまったから期待でもしたのだろうか。ただ、伯爵という身分の者を断り切れなかっただけだというのに。
「王女よりも良い話だと思うが?」
「王女様にはお礼がしたかっただけです」
 それは建前だが、あながち大嘘でもない。離れている間ルナを支えてくれた彼女には今度また別にお礼をしたいとは思っている。
 伯爵は面白くなさそうに鼻を鳴らすと、いやらしい笑みを浮かべた。蛇のような目、と言うと蛇に失礼かもしれないが、こちらをじわじわと締め付けるような陰険な瞳だ。
「まだあの女にこだわっているのか? 彼女は罪人だ」
「それは貴方もでしょう? だいたい、罪人って誰のことですか?」
 貴方も、という言葉に伯爵は眉を上げた。二重の意味を込め詰ったことに気付いたのだろうか。
「あの女は時間を止めた。大罪に値する」
「一人で? 貴方の気のせいではないですか?」
 そんな話は誰も信じない、と暗に伝える。わざとらしく溜息を吐くと伯爵は憤慨したように立ち上がった。座っていたソファが揺れ、その位置がずれる。
「あいつなら出来る! どっかの出来損ないの為に街一つ治癒魔法をかけた女だぞ?」
「あいつ、じゃないです。ルナ・アルティアという名前があります……あんたには悪いけど近いうちに姓もウィンディッシュに変わるんで。覚えておいて下さい」
 机の上の布袋を掴んで瞳を丸くさせる男に押し付ける。よっぽどそのまま頭を殴ってやろうかと思ったが、辞めた。当然一年前のことは忘れてないし、この間ルナにしたことも一生忘れられない。
 しかし彼も彼女を少なくとも最初は大切にしようとしてくれたのではないかと思っている。最終的なやり方は卑怯だったが、きちんとした教育や生活を与えてくれたし、あの日まで無理に迫っても来なかったと聞いたからだ。
 そこに愛情があったかどうかは知らない。単純に彼女の魔力が目当てだったかもしれないし、そうでないのかもしれない。そしてまたそれが伯爵だけの意志だったのかもわからない。
 それに半ば一方的だったとしてもルナと伯爵は婚約していた。婚約者がいつまでも他の男を思っていたことは、彼にとって面白いことではなかっただろう。暴力をふるったことは絶対に許されないけれど。
「帰って下さい。これ以上要求するようならば、フランシスカ殿下に全てをお伝えしなければなりません。僕は有能な魔術師様の醜聞を広め未来をつぶすためにここに来ている訳ではないんです」
 兄のように世慣れていない自分は笑うことは出来なかった。言葉で取り繕うことしか今のフィンには難しい。
 鋭い視線で男を刺す。その刀で喉元を抉る一撃を追加しようか躊躇ったが、それも下種な気がして口を閉ざした。彼ならあれだけで伝わるだろう。
 一度は気のせいだと、人を疑うのは良くないと捨てた、フィンの兼ねてからの疑念は的中していた。それは役には立ったが、一抹の悲しさは覚える。
 先ほど裏付けも取れたのでフランシスカにも頼んだ。人命には関わらないものの、卑劣なやり口での彼の商売はそのうち成り立たなくなる。明るみに出るかは定かではないが、少なくとも何らかの形でこれ以上被害が出ないよう、彼女にいくつか対策案も告げた。
「どうぞ」
 部屋の扉を開けてフィンは男を振り返る。こちらを睨む瞳の奥は薄暗い。口許に浮かべた薄ら笑いは妙に似合っていた。しかしそこにはもうフィンをどうにかしようという意図はない。相手は引き際を心得ているようだった。
「馬鹿な男だ」
「ええ。僕もそう思います」
 それには珍しく同意だ。だからだろう。笑うことができた。
 彼の持つ布袋に入った硬貨が退屈そうにじゃらり、と声を上げた。

 利用される機会を失い、彼らはつまらなかったのかもしれない。